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氷見|深海を漂う

紀行エッセイ「漂々」
2021.9 - 2022.12 都内広告代理店に勤めるサラリーマン1年生が、日本のローカルをめぐる旅のエッセイ。生活の拠点としては住まいのサブスクサービスADDressを活用しています。なお、このエッセイは20代半ばの一人間の精神史のスケッチを第一義として書かれています。あらかじめご了承ください。

 燕では一週間ほど暮らした。出発の日は、嫌味かというほどカラッとした秋晴れだった。

 燕を発った後、その足で北陸地方を周る。

 行き先を決める際のルールはたった一つ。いままでに行ったことがあるか、それともないか。なければ行く。あれば行かない。

 といっても、市町村単位で考え出すと、ルールがルールの意味をなさない。新潟県は全部で二十市・六町・四村あるので、行くべき場所がまだ十九市・六町・四村も残っていることになってしまう。一か所で一週間くらいは暮らしてみたいので、二十九週間、すなわち二百三日かかる。ちなみに日本の市町村は千七百以上ある。一か所で一週間くらいは暮らしてみたいので、千七百週間、すなわちおよそ一万二千日、すなわちおよそ三十三年かかる。これでは横浜に凱旋するとき、僕は還暦直前のおじさんということになってしまう。アレクサンドロス大王の東征だって十一年である。しかも彼には軍功がある。もちろん僕には軍功がない。

 だから割り切って、県単位で考える。もちろん同じ県のいくつかの場所を周ることもある。あと大前提として、ADDressの家があるかどうかも重要な制約条件だ(ない場合でも、普通に宿を取って訪れることもある)。そして、わざわざ書くほどでもないしみったれた話だけれど、仕事や人間関係の都合で横浜に帰る予定がときおりあるので、時間上の制約も存在している。

 とにかくこの秋は北陸である。燕から山間を南西に下る形で、長岡と十日町。北上して日本海沿いに人生初の富山県に入り、氷見と高岡。延べ五カ所を一カ月ほどで周る。
 


 しかし、燕以降の日々については振り返って書くべきことがほとんどない。書くべき出来事が起きなかったからだ。でも正直これはどうしようもないことだったと思う。僕の態度の問題じゃない。たいていの人は、語るべき出来事と出会えないに違いない。この時期の北陸では。特に、氷見という街では。

 まず、秋と言ったが、十一月も下旬である。すでに燕で片鱗はあったが、この時期の北陸はつくづく晴れない。雲は盾のように黒く分厚く、雨は矢のように細くしつこい。

 なかでも氷見は格が違った。突然家の天井から固い打撃音が小刻みに轟き、何事かと外を見れば、霰が降ってきていた。まるで銃撃だ。曇りならびに雨ときどき霰。それが氷見の一週間分の基本的な天気だった。そんな氷見も、ごくまれに晴れた。しかし、結局のところその太陽は囮なのである。付け入る隙のなかった敵軍が、不用心なことに平原で暢気に夜営しだしたようのものだ。そんなもの策略に決まっている。すわ好機なり、一気に戦況を覆さん、と攻め込んだところで、総叩きに合うだけである。事実、僕が太陽につられて街なかに出るやいなや、空は陰り、雨と霰が襲ってきた。氷見の空には名軍師がいるらしい。僕はみじめな敗残兵として、すごすご家に引き返すしかなかった。当然気分も晴れるわけがない。

 そして、所在なさがその文字通りの意味をもって僕につきまとっていた。訪れた街はどこもよそゆきの顔しか見せてくれず、心を繋ぎとめるような何者とも出会えなかった。

 街について、個人的な見解、あるいは妄想の話。街は、一見、建造物が敷きつめられた無機的な構造物だ。しかし、その裏側では、とても有機的である。人と人をつなぐ地脈のようなものが無数に張りめぐらされ、ドクンドクンと波打っている。ひとつの街に親しみを覚えられるかどうかは、この地脈がその一端を地上にのぞかせている場所を見つけることができるかにかかっている。それはひっそりと営まれる書店かもしれないし、夜な夜な派手な明かりを放つスナックかもしれない。見つけたら、あとはそこから地底に潜ればいい。約束事はひとつだけ。郷に入っては郷に従え、ということだ。しかし今回、地脈の気配すらしなかった。

 なかでも氷見は格が違った。何においても氷見は格違いなのだ。氷見には比見町商店街と呼ばれる大きなアーケード通りがある。端から端までかなり長く、脇道も含めれば相当の広さがある。しかし、商店街の店はほとんどが営業していなかった。活気というものがまるでなかった。当然、街の人と出会うこともない。これでは地脈など見つかるはずもなかった。静寂の幕がすべてを覆い隠していた。

 その静けさは、しばしば不気味な声に突き破られた。声というより、音声といった方が正しいかもしれない。商店街のあちこちに、いくつもの像があり、センサーが人を感知すると、突然話しはじめるのだ。実は氷見市は漫画家 藤子不二雄Ⓐ氏の出身地である。それゆえに観光資源として彼の作品のキャラクターが商店街に立ち並んでいるというわけらしい。商店街は別名まんがロードとも呼ばれているようである。

 おかげで、ギョロッとした眼の忍者風の男や、謎の巨大海水生物に、何度もいきなり話しかけられた。いや話しかけるなんてご丁寧なものではない。奇声を上げられたというべきだ。やけに陽気なその奇声は、商店街に沈滞した静けさをつんざく。もちろん世界はすぐに静けさを取り戻す。しかし数十メートル歩いた先で、また別の像が奇声を上げるのだ。まんがロードのことを知らずにこの商店街を初めて訪れたのは到着日の夜だったが、音の消えた夜道、突如耳元で奇声を発され、ぎょっとして見たら、耳まで裂けた口でニカッと笑う男がいた。作品のファンにはたまらないのかもしれないが、残念ながら作品を知らない僕にはたまったものではない。

 始まりからしてトラウマものだったわけだが、その後一週間歩きまわっても、たいして心を繋ぎとめるような出会いはなかった。ADDressの他の会員と滞在が重なることもなかった。手持無沙汰という以上に、突き放された感じさえした。


 空は暗く、街は静まりかえっている。拠りつく場所はどこにもない。それらの日々はまるで深海のようだった。光の差さぬ深海を漂う生命体。そういう状態に僕はあった。もしかしたら本来は、仕事が光となり錨となるものなのかもしれないが、いまの仕事から距離を置こうとしている僕にとって、それは望むべくもなかった。日々は深海だった。息詰まるほどに濃厚な水と闇の世界を、僕はぷかりぷかりと漂っている。

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