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川根本町という静岡県の田舎町に移住し、村づくりをしています。ときどき移動本屋として出店…

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川根本町という静岡県の田舎町に移住し、村づくりをしています。ときどき移動本屋として出店や読書会をしています。

マガジン

  • 村の生活 Life in the Village

    2023年5月から川根本町という静岡県の田舎町に移住し、村づくりをしています。なかば放棄されたファーム(そこにはヤギもニワトリもいる)を借りて、敷地内にシェアハウスをつくる試みです。ところで僕は25歳になるまで都会で育ったこともあって、農業も木工もとんと分かりません。田舎暮らしのあれこれも知りません。日本を旅していたころ偶然訪れたに過ぎないこの町に、たいした知恵も展望もなく移り住むことを決めてしまったのです。このマガジンでは、村づくりをふくめた日々のことを書いていきたいと思います。

  • Bookish Recollections

    本について、というよりも、あの本を読んでいた、あの頃の話。あるいはときどき、たんに本の話。おもに小説についてです。

  • D'où venons-nous?

    学びのアウトプットです。歴史・神話・精神など。気長にやっていきます。

最近の記事

  • 固定された記事

田舎暮らしについてのひとまずの報告 ①

報告、という形式でこれからの文章を書くことにします。扱うのは僕が見たこと聞いたこと、あるいは感じたこと考えたことについてであり、その主体である僕自身については基本的に眼を向けないようにします。あくまで僕は状況についての情報と反応が蓄積されている小さな箱としてふるまうこととします。そして報告はできるかぎり平易な言葉で行われるものとします。 町と、その集落について 今年の5月から静岡県川根本町という町で暮らしています。県内中北部に位置し、そのまま北上すれば南アルプスへと接続す

    • 田舎暮らしについてのひとまずの報告 ④

      そのおじさんはミネオさんといいます。三根生と書きます。男三兄弟の三番目だから三根生。それを聞いたとき、思わず笑ってしまいました。いまもまた笑けてきました。お腹の中の子どもがまたもや男だと分かったときの親の感情が一切のためらいもなく込められています。命名の瞬間が想像できる名前というのは、たとえばダイコンなんかがそうです。草を引っこ抜いて見たら、縮れた根のあるはずのところに、白くてずんぐりしたボディが登場するわけです。それで、大根。むしろ大!!根!!。口はあんぐりで、眼は飛び出し

      • 田舎暮らしについてのひとまずの報告 ③

        自然が仲間であるということ Yさんは個人農家です。いまでは7反(約7,000㎡)の畑をもち、ダイコンやナス、オクラやスナップエンドウ、なかにはパンツズッキーニなどと呼ばれる変わった野菜を育てています。6年ほど前にこの町に初めてやってきたとき、彼女はまだ二十代半ばで、生きることについての痛切な放浪の季節から抜けきることができずにいました。事実、川根は旅の一通過点に過ぎない予定でした。当時、彼女の中にはむくむくと形を成しはじめていた思いがありました。農業をやりたい、という思いで

        • 田舎暮らしについてのひとまずの報告 ②

          技術への志向性(続) 川根本町に見られる技術への志向性について、話を続けましょう。さきほど僕は、アリストテレスの言葉を借りて「技術とは真のロゴスをそなえた制作能力である」と表現しました。クラシカルな美しい定義だと思います。でも実際に僕が観測して、いまのところ技術と呼ぶことにしている町民たちの特質については、ここにいくつかの要素を付けくわえなければなりません。 なんというか、もっとダイナミックで、弾けた感じなのです。クールジャズというよりむしろビバップなのです。当然理論はあ

        • 固定された記事

        田舎暮らしについてのひとまずの報告 ①

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        • 村の生活 Life in the Village
          4本
        • Bookish Recollections
          2本
        • D'où venons-nous?
          0本

        記事

          辺境でのリアライゼーション(『ゲド戦記Ⅰ 影との戦い』を読んで)

          たしか小学一年生か二年生のころ、家の本棚にあった『ハリー・ポッターと賢者の石』を初めて読んで、僕はすっかりやられてしまった。あっという間に読み終え、巻数を重ねた。何周も読んだ。けっして軽くはないハードカバーをランドセルに詰めこみ、学校でも読みふけった。そうやって僕は十一歳の夏を待ちわびた。フクロウの脚に結わいつけられたひとつの便箋が届くことを。結局、くだらないチェーンメールはいくらでも届いたけれど、願った手紙は来なかった。当時の僕としてはもどかしい思いだった。二十六歳になった

          辺境でのリアライゼーション(『ゲド戦記Ⅰ 影との戦い』を読んで)

          人間は詩的生物である

          ここ数年間のとある感覚や考えに、いまやっと簡潔にして包括的な言葉が見つかったような気がした。果てしなき迷宮へと続く一枚の扉みたいな言葉だ。出口ではなく入り口。迷宮の全体像は分からなくても、ここから入りさえすれば地道な探索の先に出口があるかもしれないと、あるいはもし迷ってもここに戻りさえすればまた一から辿り直せると思えるような、そういう入り口。そこにはシンプルな一枚板の扉が取りつけられていた。扉にはこう書かれている。 「人間は詩的生物である」 これが僕の見つけた言葉である。

          人間は詩的生物である

          川根本町2|年老いた列車にゆられて

          JR東海道本線を金谷駅で降りる。一月二日の正午過ぎ。やわらかい日差しと、小さな男の子を連れた三人家族。世界のあくびのような、弛緩した幸せな時間だ。 プラットフォーム脇の改札口からもうひとつの乗り場へと向かう。乗車券を買おうと、かっちりした制服の駅員に行き先を告げる。「青部駅まで行きたいんですけども」駅員は職務への忠誠心にすき間なくコーティングされた声で乗車賃を告げる。「千七百円になります」僕は紙幣一枚と硬貨三枚を手渡す。支払いは現金のみなのだ。そして青部駅までの切符を受けと

          川根本町2|年老いた列車にゆられて

          川根本町1|静かなところへ

          一昨日、二〇二一年が暮れ、昨日、二〇二二年が明けた。今日、僕は実家のある横浜から静岡県へ向かう。静岡県のとある山奥の町へ向かう。 僕にはひとつの予感があった。新しい年を、その町から始めなければならない。そうしなければ、僕はどこにもたどり着けないし、僕のある部分は永遠に失われてさえしまうかもしれない。そういう、からだ中の筋をキュゥっと絞り上げるような、圧のある予感があった。 その町には、かつていちども行ったことはなかった。今回が初めてである。それどころか、つい数日前まで知ら

          川根本町1|静かなところへ

          氷見|深海を漂う

           燕では一週間ほど暮らした。出発の日は、嫌味かというほどカラッとした秋晴れだった。  燕を発った後、その足で北陸地方を周る。  行き先を決める際のルールはたった一つ。いままでに行ったことがあるか、それともないか。なければ行く。あれば行かない。  といっても、市町村単位で考え出すと、ルールがルールの意味をなさない。新潟県は全部で二十市・六町・四村あるので、行くべき場所がまだ十九市・六町・四村も残っていることになってしまう。一か所で一週間くらいは暮らしてみたいので、二十九週

          氷見|深海を漂う

          燕の職人たち ーADDressLifeエッセイー

          1 ある秋の暮れ、僕は東京から新潟に向かう新幹線の中にいた。車内の乗客はまばらで、景色が流れていくはずの車窓は、しかし延々と続くトンネルの暗闇に塗りつぶされたままだった。 定まった住まいをもたない暮らしを始めて、ひと月以上が経っていた。いわゆる多拠点生活と呼ばれるものだ。僕は住まいのサブスクサービスADDressの会員となり、彼らが提供する家々を利用していた。すでに三、四カ所の家を周った。いずれも横浜の実家に近い首都圏の拠点だった。首都圏外の拠点に向かうのは、今日が初めて

          燕の職人たち ーADDressLifeエッセイー

          燕市吉田地区6|あたたかい仕事終わりの光景

          (「燕市吉田地区5」から続く)  礼を言って玉川堂を後にしたときには、すでに辺りは暗くなっていた。  実はもうひとつだけ行っておきたい場所があった。通りを真っすぐ進み、川が見えたところで右に折れて、ほどなく。三階建ての雑居ビルの一階に、目当ての看板が出ていた。「みんなの図書館 ぶくぶく」とある。  端的に言えば、私設図書館である。完全な民営であり、地域住民らが本棚の一角を借りて本を陳列・貸出する一箱本棚オーナー制度を特徴とする。近頃、そういったシステムの本屋はよく目にす

          燕市吉田地区6|あたたかい仕事終わりの光景

          燕市吉田地区5|働く横顔

          (「燕市吉田地区4」から続く)  待ち望んだ週末は、やはり曇っていた。ときおり細い雨が降った。  玉川堂の工場は燕駅が近い。吉田駅から、JR弥彦線で二駅進む。窓の外に広がる田んぼは収穫期を迎えて大きくなびいていた。  工場は、格式ある日本家屋だった。立派な迎門を構え、掛けられた看板には、流麗な書体で「玉川堂」の屋号が記されている。雨露を吸って濃く佇む庭園をわき目に石畳を進む。土間で靴を脱ぎ、待合のための和室に通される。  そこには、眼を瞠るばかりの鎚起銅器がいくつも飾

          燕市吉田地区5|働く横顔

          燕市吉田地区4|職人の虚像、実像

          (「燕市吉田地区3」から続く)  それから数日は、私以外の宿泊者はいなかったこともあり、静かに過ぎていった。仕事をして、たまに町に出ては商店街をぶらつき、夜はこたつに入って本を読んだ。この生活にも、しだいに慣れてきてしまっている自分がいた。  見慣れてきたもののひとつに、道の色があった。多くの道が赤茶けた色をしているのだ。夕暮れどきの閑散とした商店街などを歩いていると、下ろされたシャッターに広がる錆が道にまで侵食してきてしまったのかと思えてきて、寂寥の念が増してくる。もち

          燕市吉田地区4|職人の虚像、実像

          燕市吉田地区3|息子ではない息子、父親ではない父親

          (「燕市吉田地区2」から続く)    拠点に着いたときは、すでに夜だった。しかし、今日はよく歩いた。おかげで吉田駅周辺の地理が徐々に把握されてきた。また一つ、これまで知らなかった町の地図を描けていることがどこか誇らしい。帰り道で見つけた中華料理屋で食べた鶏肉とカシューナッツ炒めの味が舌の上で後を引き、一日の幸福な締めくくりを演出していた。  ガラス戸を引き、土間へ入る。昨晩と同じ景色が、まるで違うようである。細い廊下を進み急な階段を登ると自分の部屋があること、この家には家守

          燕市吉田地区3|息子ではない息子、父親ではない父親

          燕市吉田地区2|シャッター街を歩く

          (「燕市吉田地区1」から続く)  翌朝、雨は降り続いていた。田中さんは既に出かけているようで、家の中には誰もいなかった。雨音に加え、階段や床を歩くときのみしりという軋みや、ヒートテックやパーカーを重ねても完璧には防ぎきれない空気の冷たさが、空間の静けさを一層際立たせていた。  始業時間の九時半を迎え、パソコンを開いた。この一台さえあれば場所を問わず仕事ができるのだから、こんなにありがたいことはない。東京から離れているからこそ、その念を新たにする。前日の連絡に返信したり、今

          燕市吉田地区2|シャッター街を歩く

          燕市吉田地区 1|上から降る雨

           燕三条駅で新幹線から在来線に乗り換え、ほどなくして、吉田駅という小さな駅に降り立った。  状況は芳しくはなかった。時刻はすでに二十一時を廻り、あたりはすっかり真っ暗である。在来線に乗っているあたりから、激しい雨が降り出してもいた。くわえて、いつの間にやらスマホの充電がすでに尽きている。これでは拠点までの道のりが調べられない……。ただ一方、いつもの癖で、この窮地を乗り越えずして何が旅か、と笑顔で武者震いしている自分もいるから厄介である。  とはいえ、今回は窮地というほどで

          燕市吉田地区 1|上から降る雨