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燕市吉田地区 1|上から降る雨

 燕三条駅で新幹線から在来線に乗り換え、ほどなくして、吉田駅という小さな駅に降り立った。

 状況は芳しくはなかった。時刻はすでに二十一時を廻り、あたりはすっかり真っ暗である。在来線に乗っているあたりから、激しい雨が降り出してもいた。くわえて、いつの間にやらスマホの充電がすでに尽きている。これでは拠点までの道のりが調べられない……。ただ一方、いつもの癖で、この窮地を乗り越えずして何が旅か、と笑顔で武者震いしている自分もいるから厄介である。

 とはいえ、今回は窮地というほどでもなかった。拠点の住所はかろうじて充電があるうちに記憶していた上に、駅舎を出ると人気のないロータリーにタクシーが一台停まっていたのだ。私はそれに乗り込み、次第にうろ覚えになりつつあった行き先の住所を告げた。

「燕市吉田ⅩⅩⅩまで」

 口に出してみて、ふとしたことが気になった。

「燕市、なんですね。てっきり燕三条市なのかとばかり思ってました」

 私が訊ねるともなく訊ねると、人のよさそうな運転手のおじさんは、ああそれね、と小さく笑い、教えてくれた。

「燕市と三条市は別。平成の大合併のときに一緒になる話もあったんですけど、お互い仲が悪くて……。燕三条駅の名前を決める時なんかは、どっちが先かで結構揉めたんです」

 早慶戦か慶早戦かみたいな話である。ということは、燕市も三条市もパワーバランスでは拮抗しているのだろう。それでいて、互いを分かつ特徴をそれぞれに持つ。燕三条は金物の街として知られているが、燕市と三条市とでは造られるものも異なるのだろうか。これから向かう拠点の家守は燕鎚起銅器の職人だという。燕の一文字を冠しているからこれは燕市の工芸なのだろう。しかしそもそも鎚起銅器とはなんだろうか……。

 雨脚は強まっていた。針のような雨がタクシーの窓にぶつかって丸く潰れては、瞬く間に後ろへ流れ去っていった。タクシーは、大通り沿いに三分ほど進み、左の路地に入ったところで停まった。

「着きましたよ」

 雨粒の合間から覗くと、一軒の日本家屋がぼんやりと見えた。どうやらこれが拠点らしい。支払いを済ませ、車を降りる。タクシーが走り去ると、暗闇だけが残った。街灯は一本もなく、周りの民家はすでに寝静まっているようだった。拠点の鍵はキーボックスに入れて扉のあたりに置いてあるとのことだったが、うまく見つけられなかった。聞こえるのは地を打つ雨音のみ。拠点の軒先まで来て、私はふと心細くなった。

 扉はガラスの引き戸で、広い土間と、奥へと続く細い廊下がうっすらと見えた。誰かまだ起きている人がいないだろうか……。

 ちょうどそのとき、ポッと玄関口の電灯が点いた。温かい橙の灯だった。そして奥からひとりの若い男性が出てきた。彼は扉を内から開けてくれた。どれほどほっとしたことか知れない。礼を言うとともに、服や荷物に付いた水滴を払いながら扉をくぐった。

「今日から一週間よろしくお願いします」

 私が告げると、彼は軽く微笑みながら頷き、
「家守の田中です」
と名乗った。やや内向的で落ち着いた印象を受ける男性だった。と同時に、表情、特に眼元に柔らかさやあどけなさを湛えているようだった。ただそのときばかりは、夜も遅く、眠たげではあったが。

 意外だったのは、彼がまだ青年と言いたくなるほどに若々しく見えたことだ。実際には三十歳を数年過ぎたあたりの年齢であったが、それでも意外な若さであった。というのも、職人と聞いて、私は実に勝手かつ短絡的に、額や手先の皺から老巧さを漂わす高齢の人物を思い描いていたから。

 さて、私が泊まる部屋は二階だった。この建物は築百年を超えるそうで、そういった昔ながらの日本家屋の階段が急勾配であるのは承知していたのだが、ここはそれに輪をかけて急だった。ギシギシと言わせながら階段を慎重に上り、案内されたのは八畳程度の和室だった。部屋には、小さな座卓と座椅子とテーブルランプ、それにハンガーラックや姿見、そして布団が一式置いてあった。拠点の利用に際しての諸々を説明してくれたのち、田中さんは自分の部屋に戻っていった。

 部屋の中はひんやりとしていた。雨はまだ降り続いている。灯りを消し、布団に入ると、雨音は一層大きくなった。ダダダダダと、屋根に叩きつける音ばかりが響いてくる。雨は外で降っているのではなかった。上から降ってくるのだった。北陸の秋夜、雨への畏れのなかで、私はいつしか眠りに落ちていた。

(「燕市吉田地区2」へ続く)

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