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オレンジに溺れたふたり【第1章 第2話 別れ】

↓第1章 第1話

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第1章 第2話 別れ



私は幼稚園の頃から場面緘黙で外ではほとんど話せない子どもだった。特に酷かった小学生の頃はほぼ相槌のみで
「才子ちゃんってロボットみたい。」
「しゃべらないからつまんない。」
など本人たちは悪気なかったかもしれないが子どもながらに傷ついた。

「お父さんトイレ早くー!ながーい!」
「お母さん、テストで100点採ったの!」
など家では普通に話せるが、外に出ると何故かスイッチが切り替わったように話すのが不安になる。

中学生になってもあまり変わらず、杉田や美咲がたまに話しかけてくれたが
「うん。」
「ううん。」
「ははっ。」
などと言いながら頷いたり首を横に振ったりニコッと笑う事で精一杯。

その結果、学校ではほとんど1人で過ごしていた。

「大山さんいつも席に座ってじっとしてるよね。お尻痛くなりそー。」
私は休み時間もずっとイスに座って本を読んでいた。トイレに行く事も恥ずかしくて、どうしてもと言う場合のみ別の校舎のトイレを使っていた。
「さっきのクジでさ…あの子と一緒になっちゃった。ちょっと気まずいなぁ。嫌だなぁ…。」
私とペアになったとある子はそう言って泣くようは仕草をし。周りの友人によしよしと慰められていた。

自分でもなぜこうなってしまったのか分からない。声が出ない。やっと出せた声が気持ち悪く思われていないか心配。

本当は話したいのに話せない。

だが、どうにもできず悔しくて悲しくてイライラする。余裕がなくなった私は自分の殻に閉じ籠もるしか方法が思い浮かばなかった。

そんな私を少しでも外の世界に連れ出そうとしてくれたのが当時の副担任だった志賀先生だった。私が休み時間1人で本を読んでいると
「その本面白いのか?あ、さっきの授業、分からない事があったら言ってな。」

「はい…。」
としか返さない私に対して毎日のように些細な事でも話しかけてくれた。まぁ担当の生徒なのだから当たり前なのだろう。

それでも私は次第に先生に惹かれていった。先生は2年生から担任となった。特別カッコいい訳ではない。漫画のようなイケメン教師からは程遠い見た目である。

先生は仕事に集中し過ぎて細かい見た目に気を使う暇がなかったのだろう。失礼だが今よりずっと不潔だった。

メタボっぽいお腹。

しわくちゃで部屋干し臭いシャツ越しの猫背。

脂ぎったおでこ。

近くで話すとタバコの臭いが漂う口。

それでも私は先生に対し謎の魅力を感じていた。

2年生の時に私は思い切って文化祭の委員長に立候補した。

私は自分を変えてみたくなったのだ。

理由は本当に単純で。前に立って堂々と話せる生徒会長や論文を発表する生徒が自分よりずっと先生に近い存在に見えた。先生に褒められたい、少しでも大人に近づきたい。

「自分を信じろ。頑張れよ。」
本番直前まで先生に言われた。そう言っている先生の方が何故か足が震えていた。

文化祭本番では緊張しすぎて噛み噛みだったが、何とか終える事ができた。我が子の成長に両親はとても喜んでいた。
「才子、挨拶とても良かったわ。お母さん涙が出ちゃった。お父さんもね。」
「しっ!止めろ!あ、写真いっぱい撮ったからな。」

先生が私たちのところに来た。
「おい、志賀先生がいらっしゃったぞ。」
「あら先生!いつも才子がお世話になってます。本当に先生には感謝してもしきれないです。」
「いえいえ。才子さんの努力の結果ですよ。大山、本当頑張ったな。」
と心から喜んでいるようだった。
「ありがとうございます。」

心の中では
『先生に褒められた!やったぁ!しかも才子さんって…もう好き過ぎる!』
と大興奮していた。その日は嬉しさでなかなか眠れなかった。

――

想いはだんだん強くなり、ある日先生の授業の小テストでわざと悪い結果を出し、補習組に入った。私は2人きりになるようにわざとゆっくり問題を解く。終わった生徒はプリントを提出し採点してもらってから帰って良いと言う形式だったのだ。

夕日で綺麗なオレンジ色に染まった教室。解き終わった後のプリントを受け取ろうと伸ばした先生の手が私の手に触れた瞬間

「…っ!す、すまん!」
と夕日に負けないくらい真っ赤になりプリントを落とした。

私が拾おうとすると
「い、いいから!よいしょ!採点したやつはもう遅いし明日渡すから。まぁそれにしても珍しいな。大山が補習なんて。」
頬杖をついた先生がこちらを見ながら語りかけてきた。夕日に照らされたしわくちゃのシャツ。よく見るとボタンが1つ外れそうだ。
「はい…。すみません。」
だって、先生と少しでも一緒に長くいたかったから。なんて言えない。
「俺は別に…。あ。」

視線同士が絡み合う。ほんの数秒だろうか2人の時が止まった。まるで溺れたように息ができない。

私を見る温かく優しい目はどこか切なさを感じた。私はそんな先生の目が愛しくて仕方なくなった。決していやらしい事をしたいわけではない。

ただただ抱きしめたい。そんな衝動に駆られた。

「…早く帰る準備しなさい。じゃあまた明日な。さようなら。」
数秒後、先生が口を開く。息ができるようになった。
「は、はい。さようなら。」

何でそんな目で見つめてくるの?先生も私の事が好きなの?先生だったら私、抱きしめられても良いよ。当時未熟で子どもだった私は心のどこかで期待していた。

―私は現在に至るまでこの空間から「さようなら」をできずにいる。

――

毎日近くにいて姿を見れる、些細なやり取りをできるのが当たり前、そんな幸せな日々が続きますようにと何度も願った。

しかし時の流れというものは残酷である。あっという間に卒業式がやって来てしまった。私は卒業の歌を歌いながら、「告白したい」という思いと、勝手に自分が"両想い"と設定した上で「先生がせっかく叶えた夢を壊してしまうのが怖い」という思いと葛藤していた。

式が終わり、私は親に「ちょっとトイレに行って来る」と嘘を付き、思い出が詰まった校内を歩きながら先生を探した。

「大山。」
後ろから呼ばれ振り返ると少し涙目になった先生がいる。先生は一言だけ振り絞るように
「頑張れよ。」
と言った。
「…あ、せんっ…ありっがっ……」
ありがとうございますと言いたかったけれど、嗚咽が邪魔をして声が出ない。

先生は切ない顔をしながら頭をポンとして
「あのさ…」 
と何かを言いたそうな様子だったが
「あ!志賀先生ー!写真撮ろうよー!」
後ろから他の生徒たちが呼んでいる。
「…はいよー!じゃあ、また元気でな。頑張れよ!」
と呼ばれた方に行ってしまった。

その時はもう二度と会えないような気がして涙が枯れるほど泣いていたら通りがかった杉田に
「おいおい大山さん。また同窓会とか開くからよー。そんなに泣くなし。永遠の別れじゃないしみんなまた会えっからよ!」
と泣いている理由が違うのに慰められた。

誰も知らない秘密の恋はこうしていったん幕を下ろした。

――

高校に入学してからも先生の事は忘れられず、平凡な高校生活を送る一方で、心のどこかには常に隙間があった。場所は違えど夕日に染まった教室を見るたびに胸が締め付けられそうになった。

実は高校を卒業した後、先生を訪ねてまだ在席していた母校を訪ねた。県外の大学へ進学するため最後に会いたかったのだ。下校時間に合わせて訪問した私は応接室に通された。

すると外から先生の笑い声が聞こえる。きっと相変わらず生徒たちにちょっかいだされているのだろう。そろそろ来るかな。

しかし事務員から

「あのね志賀先生、今ちょっと手が話せないって…せっかく教え子が来てるのに。ちょっとくらい時間割いてくれてもいいじゃんね…そうだ!私ちょうど可愛い便箋持ってるからお手紙書いたら?それを渡すわ。」

「い、いえ。大丈夫です。ありがとうございます。来た事だけお伝えくださ…」
「そんなせっかく来てくれたのに。いいから遠慮しないで。お世話になった先生でしょ?」
「そ、そうですね。ではありがたく使わせていただきます。」

根負けして手紙を書く事にした。急だったので最初は何を書けば良いか浮かばず、なかなかペンが進まなかったが何とか書き終えた。そして書いた手紙を事務員にお礼を言いながら渡した。

―志賀先生へ―
本当は直接お会いしてごあいさつしたかったのですが手紙ですみません。先日無事に高校を卒業する事ができました。4月から県外の大学に入学します。そこで心理学を学び資格を取ってカウンセラーになれるように勉強を頑張ります。先生も体に気をつけてお元気でお過ごしください。いつか飲みましょう(笑)
              ―大山才子より―

本当は直接会って想いを伝えたかった。「待てば良かった」とか「やっぱり来なければ良かった」「引き返そうか」など様々な思いが一気に溢れてくる。それらに飲み込まれぬよう夕日に照らされた道を涙を拭いながら足早に歩いた。

『大学を卒業して私が一人前の大人になったら付き合ってください。』

もしもあの時伝えていたなら、現在私がいるこの空間はどんな風に変わっていたのだろうか。

――

同窓会が終わり、二次会に行こうか迷いながらスマホをいじっていると

「…大山。この後ちょっと空いているか?」
先生が走ってきたのか息を切らしながら言う。
「あ…っと…何ですか?」
しまった、少し冷たい口調になってしまった。
「いや…あの、あぁやっぱいいや!じゃあまた!元気でやれよー!」
「こちらこそ今日はありがとうございました。お元気で。さような…」

また逃げて後悔して夕日に染まった教室で永遠に帰る準備をしているのか。

あの頃の先生とずっと一緒に「さようなら」「さようなら」と言い合い続けているつもりなのだろうか。そこにはもう先生はいないというのに。

私はもう28歳の大人なのだ。

せめて真実だけでも聞かせてほしい。そして前に進みたい。出口の先が暗闇だとしても。


―続く―


↓第1章 第3話


 


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