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アート&ブレイン~右脳で絵を描く講座に行ってきた④(まとめ)

③からのつづきだよ

「右脳で絵を描く」がテーマの絵画講座「アート&ブレイン」の5日間集中講座、昨日、終了しました!

今の気持ちは


「さみしい」。


「あー、今日からもう褒めてもらえないのかー。明日から絵を描いても誰にも見せびらかせないよー! みんなにももう会えないのかー!」

っていう気持ちでいっぱい。

朝の9時半に開始して、夜は19時とか20時とかまで授業があって、帰っても2時間、3時間も絵を描いて、翌朝みんなで見せびらかしあう。そんな、絵への興味が途切れない5日間だった。受講生は割と皆そうだった。平日に無理やり休みとって、会社の仕事持ち帰りながら受けてる社会人もいるのに、このテンション、すごくない?! だから今めちゃめちゃさみしいよー。

そんなテンションだからさ、みんなもう当然上手くなるよね?

これわたし(before・20分)

(after・4時間)

すごくない?! 4時間でこんなに書き込めるなんて思わなかったよ。そして何より、超楽しかった。

他の受講生の方も、画像アップを快諾してくださったので載せるね。

Before

After

Before

After

すごくない?! ヤラセかっていうほどうまくなってるよね?! Beforeさ、わざと下手に描いてるんちゃう?! ってくらい。

これまで学校の美術の授業以外受けてないような人が、たった5日間でここまで描けちゃうのだ。そして何よりみんな超楽しそう、めっちゃ笑顔で卒業してました。

そんなスペシャルなこの講座の秘密は、授業内容と同じくらい、「教え方」にあると思っている。

今回の記事ではこの「教え方」の秘密にフォーカスしていこうと思う。そしてさらに、「絵が上手くなった」と同じくらい大きな収穫だった、私の「ある変化」についても語っていきたいと思う。


さて、冒頭にも書いたけどね、第一に、この講座、先生にめちゃめちゃ褒められまくるんですよ。もう、「褒め道場か?! ここは絵の講座じゃなくてここは『人の褒め方講座』か?!」ってくらいに褒めまくる。

そして第二に、「好き」と「やる気」を引き出してくれる。

例えば、「おみやげ」。毎日授業終了時に出される課題は「宿題」ではなく「おみやげ」と呼ばれている(「宿題」というと「やらねばならないもの」と思って重荷になっちゃうけど、これは「おみやげ」、やれば明日の自分が嬉しくなる、わくわくするものだよ、そして「おみやげ」はマストじゃないから、別に疲れてたらやらなくていいよ、と言われる)。

おみやげは大体「1mm1秒の速度で描く」なんだけど、「なんでも『好き』なものを描いていいよ」と言われる。お気に入りのぬいぐるみでも、ペットでも、食べ物でも、なんでもいい。

それから大体、模写のおみやげもあるんだけど、「教科書の『好き』な絵を選んでいいよ」と言われる。やりかたも「『好き』なやり方でいいよ」つまり左手で描いても、上下逆で描いても、ネガを抜いて影絵にしてきても、部分だけ拡大して描いても、ペンでも、鉛筆でも、視点を変えて鳥瞰図にしてきてもいいよ(!)、と言われる。

そして、翌朝はみんなのおみやげを壁に貼り、たっぷり時間をとってフィードバックする(「講評会」とは呼ばない。批判はしないから)。

たとえば、二日目終了後の私のこの「おみやげ」(鏡で自分の目を見ながら、紙面を見ず、1秒1mmの速さで目と鉛筆を動かしながら描く)。

「へえ~いいじゃない。すごく力強い線ですねー、やっててどうだった? ……へえ、横から見たら角膜の厚みが見えて面白かったのね、すごーい、よく見てますねー。1mm1秒に根気強く取り組んでるのが線を見てもわかりますよね、昨日の課題もそうだけど、渋澤さんは奥行きを見るのが得意だよねー。奥行きを描くの好き? ……そうだね、楽しそうに描いてるね。ほかに何か気づいた点ある? ……そうね、目の中にキラキラがありますよね、よく見て描いてますね。いろいろ気づけて素晴らしいですよ! まぶたの感じも、たった一本の線だけで、陰影もつけてないのに、皮膚の肉が上から乗っかってくる感じがよく出てるよね!」

これくらい褒められます。ただ褒めるだけじゃなくて、自分の個性も見つけてくれるし、観察した時の発見も聞き出してくれる。

こんだけのことをするので、一人あたり3分だとしても、17人受講生がいたから、おみやげのフィードバックだけで一時間かかる。

はじめは

「なんでこんなに時間とるんだ?! 他人の1mm1秒なんて観ても蛇が這い回ってるみたいで何描いてるか分かんないよ! つまんなーい、早く描かせろー」

と思ってたけど、……これが、だんだん楽しくなってくるんだな。

というのも、こんだけ、先生が他人を褒めまくるところを見続けてると、「先生が憑依してくる」のである。

他の受講生の絵を見たとき、どこが褒めポイントか、どこが自分に無い観点かが、自分にもクリアに分かるようになるのだ。だから自然と「ほー」「すごーい」という歓声が漏れる。他人の絵の鑑賞も楽しくなる。

さらに、そうしてみんな褒められてノリノリになるから「左手で描いた」「足で描いた」「なんか興奮して眠れなかったからおみやげを10枚作ってしまった」……なんて猛者が続々現れ、それを見た側は「よっしゃ! 明日は私も左手で描いてやる!」という気になる。そして翌朝また褒められる……という好循環。

これに関して、先生は「他脳」というキーワードを使っていた。

「『へえ~、あの人あんなことやってるんだ、私もできるかも!』と思うと、人って、出来ちゃうんですよ」

「他人の作品でも気づいたことはどんどん言ってね、そのほうがみんなで成長出来てお得だよ」

とよくおっしゃっていた。

実際、先生が絵の教え方を研究するなかで、実際に手を動かす時間を増やすより、フィードバックに時間を費やしたほうが、上達が早かったそうだ。

「これからは右脳、左脳じゃなくて、他脳の時代だよ」とのこと。

というわけで、他人のおみやげをポジティブな目で見つめるのはすごく意義があることだと学んだ。(私の「横から見ると角膜が見える」という気づきも、皆に褒められ&共有され、翌日には「私も横目を描いてみました!」という人が現れたので、嬉しかった)。

ちなみに、先生は、褒めるのがめちゃめちゃ上手い。というか、実際に才能を開花させて目覚ましい進化を遂げた人を目撃しまくっているから、心の底から言えるんだと思う、「人は誰でも才能をもっている」「あとは才能に気付くだけ」「みんな個性があって、本当に素晴らしい」と。

自分の個性は自分のもので、持って生まれた「画風」がある。それは、自分でコントロールできるものではない。

他人の個性を羨んでしまう時もあるけど、それって、不毛。芸術家同同士のいがみ合いって無意味だよね

(ギャラリーも、ライヴハウスも、同人サークルも、全部観てますけどね~)

ただ、自分の画風を1mm1秒の速さでゆっくり成長させればいいの。

この講座に来れて、「自分の画風を好きになれた」「他人の画風を見つけて、(ケチつけたり僻んだりせず)素直に『いいな』と思えるようになった」のが、本当に素晴らしかった。


……私のこと前から知ってる人はご存知だと思うのですが、私、めちゃめちゃ性格悪いんですよ。基本、偉そうだし、みんなのこと嫌いだし、すぐケチつけるし、優劣つけるし、評価されたがるし、順位を求めちゃう(先生いわく「全部左脳のしわざ」だそうだ!)。

だからこの講座に来た時も、初日はほかの受講生と自分を見比べて「やっぱり私は絵は普通よりは上手い方だよな~」と思ってドヤったり、「あーでもやっぱ本職のイラストレーターや漫画家のひとはうまいよなー」と弱気になったりして、無駄に精神を摩耗してた。

(そんなイラストレーターの受講生の方が描いてくれた私の横顔。二時間。感動しかない)

だいたい人生をデフォルトでこういうモードで生きてきたのだが、講座を受け続けるうち、先生が憑依して、「褒めモード」が搭載され、自分を自分でチアアップできるようになったし(他人と比べる必要が無い!!)、他人の作品も、まず「良いところはどこだろう?」と前向きに味わおうと思えるようになった。

あ~嬉しいな、実はね、私がこの講座を受けた動機は、に書いた「集中したい」「言語で世界を把握するやりかたに行き詰まったからほかの方法をやってみたい」以外に、「感動したい」っていうのがあったんです。

だから小野美由紀さんのブログ『見ることは生きること―「脳の右側で描け」のワークショップに参加した』のこの部分を読んで、「もうこの講座に参加しない手はないなって思ったんですよ。

ちゃんと見ることって、世界を知るヒントになるのだなぁと思いながら、WSが終わった日の夜、へとへとになりながらいつもの銭湯に行き、湯船につかっていたら。

ふと顔を上げたその瞬間、目の前のちょっと高い位置にあるシャワーの蛇口のカーブのとこの、人の行き来を映してびかびかともだえまくる銀色、とか、湯船に沸き上がる無数の泡が、天井から降り注ぐ蛍光灯の光のもういちいちすべてを手篭めにするようりやりやとさわいでるとこ、とか、富士山の絵の、何度も固く塗り直されてむっつり黙る青、とか、女の人のお尻の、むりんと弧を描いてせりだしてくる肉の内側のピンク色の血管のもこもこ感、とか。

全部、全部、全部が1ミリ1秒の解像度のまま、球体であるわたしの眼に、全方位からピッチャーの投球速度で飛び込んで来て。

ああ、私が生きている世界は、実は、こんなにも美しかったんだ、

そしてそれはとても幸せなことなんだ、

そう気づいたとたん、涙があふれて、湯船の中でひとり、勝手に泣いてしまった。

彼女のこのブログは本当に素晴らしいんでぜひ全部読んでみて下さい)

最近、本や映画や美術や音楽、何に触れても、感動できなくて、実は、超困っていた。

何観ても、作品のテーゼとか、モチーフとか、あらすじとか、二項対立の構図とか、要は「言語で要約できる要素」ばかりにとらわれてしまって、「なるほど、ふむふむ、理解理解」とは思っても、心が動くことが滅多になかった、動いてもすぐ忘れてしまった。「こんな風にしか読めないなら、小説読まなくても批評だけ読めばいいじゃん、あらすじまとめサイトだけ読めばいいじゃん」と思ってしまうことが多々あった。

私は最近、現代アートが好きでよく観に行くのだが、講評会慣れしてる作家達が、作品のコンセプトについて非常に流暢に説明してくれて大変楽しいんだけど、同時に、「こんな風に言葉で要約出来るなら、何百時間もかけてバカでかい作品作る意味無いよな、この「語り」から零れ落ちるところに、アートの本質があるはずなのにな…」と虚しい気持ちも抱えていた。

文体や、筆致や、色彩や、重量感、匂い、質感。そういうものにもっと敏感になりたい、いや、ていうかおいしいもの食べて「おいしい」って素直に思えたら人生超楽勝モードじゃね? それだけでもいいんだけどな、なんでこんなに純粋に楽しめないんだろう、子どもの頃みたいに無邪気に感動したいのにな……と思ってた。でもこんなこと誰にも相談できないし、相談しても意味ないと思ってた。

そんな中で、「モノをモノとして理解せず、ありのままを、ただ、鈍速で見つめる」ことを、この講座は教えてくれた。

そしたら、なあんだ、自分の手を描いてるだけで超感動するんだわ、超簡単。なんてこった、こりゃ人生楽勝モードじゃね?

もちろん、5日間ですべてが変わるわけじゃない。

左脳バリバリタイプの私は、またすぐ、比べたり、嫌いになったり、評価を求めたり、順位をつけちゃうと思う。

でも、そうなったら、ただ自分の手を描けばいい。

1mm1秒の速度で自分の手を見つめて描いて、「え?! まだ五分しか経ってないの?! こんなに描けたのに?! めっちゃ濃い時間だったわ?!」と思えた時間は、自家製タイムマシン、LSDより貴重だ。


おめでとう! れい は 新しい呪文を覚えた。


(鼻。20分。利き手とは逆で)

他人から上手いとか下手とか言われても言われなくてもいい、別に絵が上手くなったかも実は割とどうでもいい、何より、20分で描き飽きてた自分の顔を、4時間でも描き足りないと思えるほどに、新鮮な目で見つめられたことに大きな意義があった。


今朝、小説を読んだら、いつもよりずっと面白く感じた。いつもみたいに「読んでるつもりが目が滑っていて、『ん、読んでなかった』と気づいて、二、三行戻る」ということがあまり無く、「一行一行じっくりゆっくり読む」ということができた。

あと挿絵がやたら気になった。私も、自分の小説の挿絵を自分で描きたいな。当面の野望はそんなとこかな。

義務化すると苦しくなるから、楽しめる範囲で、だいたい毎日ちょっとずつ絵を描いてきたいな。と思います。

友達諸君よ、これから私はきっと、いきなり絵の写メを送り付けて、子どもみたいに無邪気に「見て見て!」って言うから、そしたら適当に褒めてあげてね笑


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