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座禅で若干謎のゾーン入ったことと、小野美由紀さん、林伸次さんの文章を読んだ日の事

12/5

昨日は小池龍之介さんの座禅の講座にいった。


今回もだけど殆ど寝てしまった。私は寝る才能があり過ぎる。昔、パワーナップという15分以下の睡眠を練習したことがあるが、それ以来眠る才能があり余ってる。横になると/目を閉じるとすぐ寝ちゃう。


講座は13~16時で、法話は面白いから起きてたんだけど、座禅中(休憩抜いたら正味60分くらい?)のほとんどはウトウトしてた気がする。休憩中「こんなに寝るなら帰ったほうがいいんじゃないか」と思ったけど、次こそは次こそはとケチ臭く学び取ろうとして結局次も寝ちゃった。

昼寝は、15分以内(諸説ある)だと劇的なリフレッシュ効果があるのだが、それ以上だと頭がボーッとして逆効果。そのためその日の残りはイマイチな覚醒度で過ごすことになった。
「ちぇ、座禅しにきたのに具合悪くなっちまった、とほほ」って感じだった。

のだが。


次の日目覚めてみると謎の余裕が溢れていた。朝からなんだか好きに、自由に、のびのびとやれそうな感じ。時間がゆっくり進んでいる。根拠なき幸福感。
とても頭が片付いている感じ。
天気の良さが心に染み入る。動作はゆっくりで、確信に満ちている。


バイトに行ったらいつもネットサーフィンをしてサボるのだが、ついついみちゃうtwitterもnoteも全然見たくならない。頭を散らかしたくない。細切れの文章をたくさん入れたくない。読むなら小説が一番読みたい。

とか言いつつ一個noteを読んだのだけれど、

(すごく好きでここ最近さかのぼって読みまくっている林伸次さんのnote)

ネットにおいて、
「お役立ち」「ハウツー」「あなたにも応用がきく私の体験談」ってまあ手堅くヒットするんだけど、
それとは正反対の、
「失敗」「個別の、人間臭い、全然参考にならない体験談」も、やっぱり読み物としては面白いよね。

で、例えばネットの恋愛コラムにおいて
前者の例は、「出あい方」と「口説き方」と「不倫(浮気)」と「結婚」。
後者の例は、「片思い」と「失恋」なのだそうだ。

で、「失恋手帖」という、インディーズでしか買えな謎の書籍が面白い、と。

(速攻注文した。はーはやく私もこういう企画に呼ばれる人間になりたいな……面白そう……)


上記記事を読みながら、
「そういえば2個前に借りてた物件は「当時惚れた男が宿なしだったので、「いつでも転がり込んでもらえるように」無駄に2Kを選んだんだった」という事実を思い出した。

そういえばそういえば、最近、小野美由紀さんが私の知人とシェア暮らしを始めたことをTwitterで知った時、一瞬「いいな~」と思いつつも、一瞬後に「いや私は今は自分で自分を可愛がることで事足りてるからな」「今はひとりが必要十分」「今の家の広さが、今の私に十分」と思いなおしたことも思い出した。

そんなことをとりとめなく思い出した。

話戻るけど、林さんの上記noteを読みながら、

「お役立ち」「ハウツー」「あなたにも応用がきく私の体験談」的な、2000~3000字の、食べやすいサイズに切り分けられた、結論がちゃんとついてる文章、やっぱり私は好きじゃないんだなあ、と気付いた。(noteにこんなこと書くのもアレだけど)

今日、一時的にそういう「細切れ文章」が摂取できなくなったことにより、
「ああ、やっぱり私、細切れ文章苦手だったんだな。『流行ってるから』って無理して食べてたんだな。座禅でデトックスしたら分かったわ、やっぱ、キツいんだよな、微毒だったんだな、これ」と気付いた。

そういう食べやすい文章を、最近は読むどころか書いてもいたけど、キツいわ。






やっぱり私は小説家だわ。ねっからの長文屋だわ。




こういう時ってとっても楽しい。はしゃいじゃう。小説がダントツで一番楽しい。

昨日の座禅で、小池龍之介さんが「誰かと一緒にいる時、私達は、相手そのものを見てるんじゃなくて、相手といる時の「好き」とか「嫌い」という感情を見ているのだ」という話をしていた。
痛みや痒みも同様で、「痛み、痒みそのものじゃなくて、「痛くて/かゆくて嫌だな―」という感情を見ているのだ」とのこと。

この世の!誰も! 誰と一緒にいても! 相手を! 見てない!!

これはなかなかに衝撃的な話だった。確かに付き合う直前の恋愛なんて特に、「きゃー! 好きー! わくわくー!」に振り回されて、相手そのものの事なんて見てるようで全然見てないよね。

「好き」とか「嫌い」に執着すると、冷静さが欠けて、感情に振り回されてしまうらしい。

逆に、たとえば、痛いとき、痛みそのものを丁寧に観察していくと、「あ、これは脳が『痛がれ』っていってるだけの信号だな」と、ある時に分かり、スッと痛みがひいていくらしい。(まだ全然わからなくて言語化が下手で申し訳ない、こんなカルトな言い方はしてなかったんだけど)。

でもまあ、確かに、「恐怖」も、怖い対象にビビって直視せずに逃げたり目をつぶったりする方が怖いよね。直視したほうが怖くなかったりするよね。まあ怖いけど。


めちゃめちゃなのですが、ネットサーフィンで細切れの文章が読めなくなり異様に小説が読みたくなったため、昼過ぎに勝手にバイトから抜け出して帰っちゃった。(もはや自由過ぎてそんなことしても誰も気にしないバイトなのだ)

でも、帰ってきた途端、朝から湧いていた謎の余裕感はしゅるしゅるとしぼんでしまった。
「あ、全然Twitter見たい。Note読みたい」ってなってた。いつも通りに戻ってた。

とりとめもなく「あ、あの件連絡しなきゃ」「失恋手帖買おっと」などの雑事が湧いてきて、いつも通りの、「頭が片付いていない状態」になった。

この半日の私の浮遊感、謎の余裕感、何も生みだしてないのに絶対何か生みだせるという確信、なんだったんだろう?

もし今日バイトが無かったらこの半日を何に使っていただろう? 多分一本、超短編小説を書こうとして、そのあとポールオースターでも読んでただろうな。



なんとなく、「部屋にいちゃいけなかった」気はする。だから部屋に帰って来た途端にしぼんだんだろう。
でも、朝、部屋にいた時から湧いてたんだよ、イケる感。

大森靖子は「部屋が狭い!!!!」と言って自室の窓ガラスを割った。
割といまそんな気分。


そういえば今朝は彼氏が泊まりに来てて、本当なら、いつも通り6時に起床した私(寝起き良い)が隣の彼氏(寝起き悪い)を起こし、8時のバイトに間に合うように送り出すはずだったのに、なぜか今日だけ4度のアラームを無視して二人して眠りこけてしまったんだ。7時20分に目覚めてわあーーーっと叫びながら30秒で家を出た彼氏の横で、私は事態をよく呑み込めないままiPhoneを起動しTwitterを開き、小野美由紀さんの長文ブログを起き抜けの頭に流し込んだのだった。

http://onomiyuki.com/?p=3299

そしたらやっぱ、「あー、長い文章がいいよなー。食べやすいサイズに切り分けられてタグのついた分かりやすい文章じゃなくてさ、こういう、人格ズルズル引っ張り出されてる文章が好きなんだよ、私は」って思ったんだ。座禅よりそっちの影響の方が強いのかな。

ともあれまあ、そんなnoteを書いてみた。



※12/10追伸 失恋手帖届きましたがクソウンコつまんなかったので読まないことを全力でおススメしますがもし私のこの記事を読んで買ってしまって詰まんなかった人がいたらかたじけない。

スキを押すと、短歌を1首詠みます。 サポートされると4首詠みます。