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俳壇の方々は、真の俳人と言えるのか?

いったいなぜ俳壇というのは、一般の俳句愛好者と隔絶した感があるのでしょうか。

数量的にピラミッド構造になっていて、頂点が俳壇なのだと考えれば話は早いですが、そんな簡単なものではないように思えます。

俳句はいわば隠者の文芸だと言えます。季語・季題という概念を中心とした定型詩は、社会のシステムやルールから外れた、極端なことを言えば、カウンターカルチャーだと思うのです。

あの芭蕉も、深川に隠居してからが、本格的な活動の始まりですよね。門人たちもクセ者揃いで、この登場人物たちだけでも映画一本できそうです。

近代に入って、子規は大秀才にもかかわらず、立身出世の第一線からは外れてしまいましたし、虚子はほぼ生涯、職業俳人です。

いま、俳壇を構成している人たちは、どのような方々なのでしょう。〇〇協会の理事や委員、各結社の主宰、総合誌の特集で短文を寄稿している著者は、どんな背景をもった方々なのでしょうか。

想像するに、彼らは、社会のインサイダー、つまり企業人や、教員を含めた公務員、医師などの専門職その他の職業人として、地位を得ている、あるいは得ていた人たちがほとんどなのではないかと思います。

彼らは、隠者でもなく、アウトサイダーでもなく、つまりは優れた俳句を詠んで、指導できる人ではあっても、本来の俳人がいるはずの場所とはかけ離れたところにいる人たちなのではないでしょうか。

現代社会で俳句を広め、組織を維持するためには、確かにそういう人たちの力が必要でしょう。

でも、表現者としての真の俳人は、その中にいないと思うのです。

RCは、俳句愛好者と言えるピラミッドの中間から底辺に、真の俳人が発掘されずに眠っているのかな、と思っています。

その人たちを見つけたい、仲間になりたい、とRCは切に願うのです。

RC



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