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人間の可愛さを思い出す話


私には息子がいる。
名前はレイ。レイはもうすぐ5歳になる。

今日、レイが「ママに半分あげる。」って。パピコというアイスを割って、母にひとつくれた。久しぶりに食べるパピコ。私、若い頃は、パピコのコーヒー味が大好きで、夏の帰り道によく食べていたことを思い出した。まぁ、レイがくれた今日のパピコは、カルピス味だったのだけど。そのカルピス味は、若干ミルクっぽくてものすごく甘ったるくて。でも、中にはちゃんと幸せの味がしたんだ。なんとなく「半分こ」の中身には、安心という味があることを思い出した。ひどく懐かしい気持ちがした。

一時期は私、パピコも食べたくないくらい。心には安心がなかったし、ひねくれていた。ヘラヘラとイチャつきながら大衆が交わす「半分こ」が嫌いだった。カップルにむかついた。つまりは、脳ブレイキン。いつも安らぎとは真逆の世界にいたんだ。いつも孤独と戦っていた。おかげで人間は騙す生き物で、嘘の塊だとイラつき、自ら遠ざけていた。自分だって表情と言葉が一致しない、器用な生き物だからこそ。絶対的に、人間が面倒臭かったんだ。それは今でもたまに。自分や、他人が心配になる。やっぱり、表情と感情がチグハグなのは、人間だけだから。怖くなる。感情が怖くなって「心のうちはどうですか?」と聞きたくなる。ただ、私はそうやって随分長く心配してきたせいか、誰と会っても、ある程度の心の声が聞こえるようになった。それはテレパシーでもマジックでもないよ。ただの予測だけどね。そうして私は人よりも、心が読める大人になった。読みすぎて、いつも疲れている大人になった。



だけどね、最近。どんなに心を読んでも、人間なんて大したことないって知った。予測できない嬉しい予想外があることを知った。どうやら怯えてばかりの私は、このままじゃ損しちゃうぞと。ふと我に返って少しずつでも勇気を出して心を開こうと。すると出会いの数だけ心が治ったんだ。リラックスして辺りを見渡すと、まっすぐな人もいた。平な人もいた。全部を見せてくれる人がいた。だからやっぱり、嫌なところがある奴もいた。変わり者がいた。でも私、気がついたんだ。

嫌な奴の方が好きだ。だらしない奴が好き。無口だけど、目を逸らさない人が好き。優しい嘘つきが好き。意味のある悪が好き。真っ黒を知っている人のほうが、よっぽど純粋だって。自分のことも含めてね。今は、そう思う。

そう思ったら、今は安心してるなって。こんな自分でもいいし、どんな他人でもいい。パピコを食べながら懐かしさにハッとしたんだ。私は人間のかわいいところを思い出した。多分、これでまた、何も考えずにパピコを食べられると思う。夏、コーヒー味買ってきます。半分こしてもいいし、自分で全部食べてもいいね。

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