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夜に寄り添う

大阪にある小さな書店。

「夜に寄り添う」というコーナーに、1冊見覚えのある本を見つけた。
サンテグジュペリ『夜間飛行』
この本には思い出がある。

そんな、私の中にそっとしまっていた思い出を誰かに聞いてほしいと思った。

約3年前、私は夜の中にいた。
それはもう二度と明けることなんてないんじゃないかと絶望してしまうような、真っ暗な夜だった。

そんな夜の底で出会った1人の人がいる。
その人は眼鏡をかけていて、くるくるのパーマ頭で、声が大きい。
職業は精神科病棟の看護師。
私は患者として、その人に出会った。

ある日の夜、消灯後の静かな病棟のベットの上。
眠れずにぼーっと天井を眺めていると足音が近づいてきて、私のベットの傍で止まった。
目線を天井から逸らすとその人と目が合う。
いつもは大きなその声を抑えて、小声で「眠れないか?追加のお薬使う?」と聞いてくる。
いつものセリフ。
私はいつも通り首を横に振る。
ベット横にある椅子にその人が腰を下ろしたのをみて、私も体を起こす。

ほとんどの人が眠りにつき、夜勤スタッフの気配だけが残る静かな病棟で、ひそひそ話が始まる。
その人が夜勤の日の数分間。
夜があまりに真っ暗で意識を保っていることすら苦だった当時の私が、唯一楽しみだと思えた数分間。

私はこの時間が好きだった。

この数分間にその人はいろいろな話を聞かせてくれた。

好きな本の話、競馬の話、給料をもう少し上げてほしいって話、娘さんの話、哲学科の大学に進学した話、その大学を中退した話、看護師を目指した時の話、カメラの話、明日のご飯の話、家が燃えた話、最近の外がものすごく寒いって話。

挙げればきりがないほど、いろいろな話を聞かせてくれた。

今日はどんな話を聞けるのだろうと思っていると
「○○ちゃんに読んでほしい本があるんだ」と言われた。
そうして教えてもらったのが、サンテグジュペリの『夜間飛行』だった。

「○○ちゃんがまだここに来たばかりの時から見てるからさ。今は少しずつ落ち着いてきたけど、あの時はずっと辛い辛いって泣いてたじゃん。そんな○○ちゃんを見て、夜間飛行のことを思い出したんだ。どんな話だったかももう忘れちゃったけど、読んでみてよ。そして感想教えて」

その人はいつも、暇さえあれば余計なことを考えて、なにもかも嫌になってしまう私にやることを作ってくれる。

「ベットに引きこもってるのもいいけど明日はホールにあるパズルやってみなよ。難しいんだぞあれ」
「退院したらさ、インスタに写真とかあげてみなよ」
「退院したらここのカフェ行ってみな。おすすめだから」

早速次の日、面会に来た母に『夜間飛行』を買ってきてほしいと頼んだ。
そして私の手元に届いた『夜間飛行』
黙々と読み進めた。

読み終えた感想は「難しい」だった。

当時の私にはよくわからなかった。
そう伝えたらその人はいつも通りの大きな声で豪快に笑った。

「いつか分かる日が来るよ」

そういわれて、この本を読み解きたいと思った。

とても久しぶりに何かをしたいと思った自分に気づいた時少し驚いた。
明けることなんてないと思っていた夜の暗さが、少しだけ和らいだ気がした。


あれからもうすぐ3年が経とうとしている。

私の生活は大きく変わって、あの頃の私が今の私を見たら驚くだろうなと思うほど、今の私はあの夜を超えた。
生活も環境変わったけれど、本棚には今も変わらず『夜間飛行』が置いてある。

未だに私は『夜間飛行』を読み解けていない。
あれから心境が変わって、読み解きたくないと思うようになった。
読み解けてしまったら、終わってしまう気がして。
読み解きたいと思えたあの気持ちをそのまま閉まっておきたくて。

いつも夜にのまれそうになった時は『夜間飛行』のことを思い出す。
まだ読み解けていないから、私はこの夜を超えなければいけない。
この夜を超えて読み解かなければいけない。

あの時はあの人が作ってくれていたやることを、今は自分で作る。

あの時も、これからも、あの人と『夜間飛行』は私の夜に寄り添ってくれる大切な存在。



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