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【連載小説】夢で見た #11

白石ケン至

 朝を迎え公園で体を洗い、露店で買った古着に着替え、さらに銭湯で身を清め石川は電車に乗った。東へ東へ向かった先は生まれ故郷の村だった。道中見ず知らずの土地の風景、人々の声を耳にしながら辿り着いたその地に郷愁は全く湧かず、夜半人気の全くない村内の小道を迷わず歩き村のはずれのかつての実家の前に立った石川は未だ手付かずにそこにある家屋に火を放った。
 そのまま裏山へ駆け上がり彼はかつての自宅が燃え上がるのを頂から、父が首を括った松の木の下で眺め続けた。父の弔いからの行為では無いことはわかっていた。でも父への思いが含まれていることもわかっていた。悔いの気持ちは湧かなかった。
 村の消防団が駆けつけ消化活動が行われ、まるでこの村で一番の大きな音であるような半鐘の音が響くとその音に混じり背後の松の木から父の声がした気がした。
 純、これでいいんだ。延焼もしてない怪我人もいない。父さんは星となるし、お前は自分の道をゆけ。
 
 鎮火を見守ることなく石川は山を下り再び西へ向かった。京都の支援施設を経て出家は間もなくのことだった。気づけば父の気配は感じなくなっていた。

 出家したのち、仏教系の大学へ進学し学びの日々の中で千日回峰行を知り、石川は荒業という悟りを得る機会に引き込まれていった。機会を得るということに。


 講演会の参加者からの峰行の最中についての質問に答える際、彼はいつも微かな寒気と共に記憶の棚から迫り出してくる存在がある。あの濃密な存在との遭遇の夜、父と母は立ち現れた。二人は同時に現れることなく、無言であった。父は穏やかな笑みを浮かべ、片手を上げて頷いていた。母は、母は青かった。青インクを顔に塗りたくったような顔だった。聞こえぬ声を張り上げ正気ではない表情を張り付かせていた。戦慄の中で石川はただ耐えていた。そして勿論質問の回答でこの話をしたことは一度もない。

 人には意識できる心の闇とさらに深く暗い闇がその下に広がっている。そこからの無意識の影響がその人を人たらしめ、苦悩や不安をもたらしている。だが無意識なのだから、その闇の存在に気付く者は少ない。気付けぬ闇に潜む何者かがその人の生きる道を操っているのやも知れぬと石川は時に思うのだった。


 スピードを落としたこだま号から見る車窓の景色から見ず知らずの人々の生活が垣間見える。再びその景色に没頭しながら車内アナウンスの声に耳を傾ける。三島駅でのいつもの通過待ちのアナウンスだ。停車した静かな車内で石川は一口のお茶を飲み、人気の無いホームを何気なく眺めたのち老眼鏡を外し目を閉じた。一瞬の車両の揺れと轟音、のぞみ号が車両右側を疾走通過していくことを想像させた。いつもの時間いつもの合間だ。

 間も無くの発車を告げるアナウンスが流れ出し何気なく再び左手窓からホームに目を移した石川は驚きで腰を浮かした。そこに袈裟姿の僧侶が立ち窓越しにこちらを凝視していたのだ。先方も口を半開きで驚きの表情を浮かべている。互いの存在を向き合いながら感じた刹那、我に帰ったようにホームの僧侶は腰の法衣鞄から慌てた様子で何かを取り出した。そしてその手に半切の和紙を開き車内の石川に読めと言わんばかりに広げたのだった。何事だ。いったい何が起こっているのだ。見ず知らずの者がこの新幹線のこの席に座っていることを知っているかのように待っている。ザワザワとした不快な感覚と不可思議に遭遇し、それに身を委ねる快の感覚両方が全身を走っている。今自分の思いに潜り安心の風景だった車内の環境が一変しているように感じた。

 広げられた和紙に筆書きで達筆な文字が書き込まれている。瞬間、どこかで見たようだという記憶が京都駅のキオスクに平積みされていた月刊誌の前に垂らされていたビラだったと思い出し、すぐさまその記憶を打ち消し手書きの勢いのある言葉の連なりに集中した。男の手を通し少し震えるその文字を。


 一地方の寺の住職です。先週あの夢を見ました。夢の中でこの日時、三島駅ホームのこの場所であなたと窓越しに向き合っていました。彼女から言葉を託されました。

『私を送って下さい。彼を迎えて下さい。そしてその為にあなたの言葉が必要なのです。友人と会ってください』

 私からは以上です。検討を祈ります


 最後は彼からの言葉が添えられていた。間も無くの出発の案内が始まり我に帰った石川が下車しようと腰を浮かすと窓の外の僧侶が即座に掌をこちらに向け、そのまま、と無言で訴え首を振った。それを受けゆっくりと腰をシートに戻した彼に頷く僧侶の安心したような笑顔が救いに思えた。車内の快適な空気に反するように背中にじっとりと汗を感じていた。発車ベルから動き出す景色といういつもの光景が全く違うものに見えている。穏やかに役目を終えたような表情で遠ざかって行く彼にもう一度腰を上げ石川は深々とお辞儀をしながら、自分の役目を果たさなくてはならないという決意のような感情が湧き上がってくるのを感じていた。

 座席に深く腰掛け再び口をつけたペットボトルの中身がほぼ空だったことに動揺しながら彼は狼狽した心を落ち着かせていた。一体どういうことなのか、彼女は私の今日の行動を熟知しているということなのか。あの僧侶が夢を見たのが昨夜では無いことが明らかな限り、彼女は未来の私の行動を知っていたということになる。そういうことなのか。気味の悪さを感じなぜか車内の周囲を見回しその行為の意味の無さを思いながら石川は一度トイレに向った。席に戻り再び思考に潜り込む。

 答えは彼女にしか分からない事実、尋ねる機会はきっと訪れないのだからという諦めと開き直りのような思いと先程までの焦りの感情が混濁しているのを感じながら彼は思い出していた。いつものあの若き幼き頃からの思い。人々は何か大きな存在によって既に描かれた物語の登場人物に過ぎず、人生はそのあらすじに沿った出来事であり運命なんてものも既に定められているのかも知れないという仕組み。それに対し人々が白紙に自らが書き込んでいるかのように人生を歩んでいるという相反する仕組みとを。自身、宗教指導者などという大それた仕事をしていても結局は自身の内に在ることですら、いやそれだからなのか分からないままに一生を進んで行くのだなと時に浮かぶ思いを今石川は噛み締めていた。

 時々に浮かぶその答えの出ない仕組みを思いながら石川は車窓からのいつもの流れる景色を見つめていた。先ずは友人に会わなくては。どこか先の時、海の向こうでの予定と思っていた自分に彼女からのこちらは本気なのだと言わんばかりのメッセージ、急ぎ十二月の帰還の儀までに託された役目を彼に確認し果たすことを思っていた。
 新横浜駅を過ぎ新幹線のスピードが緩やかになるのは走行に伴う騒音を意識してのことなのだろうか、都内に差し掛かる頃からの高架から眼下に広がる生活感溢れる家々の様子を眺めるこの時間が石川は好きだった。屋上に寝そべる男、並ぶ観葉植物、午前の日差しに晒され揺れる洗濯物。それぞれが彼の知らない人生の一部の風景であり、それがそこにあるということをなぜかありがたく思えてくる。例えそれらが大きな存在の描いた物語の背景の一部だったとしてもそうでなくとも彼のそのいつもの思いは薄れていなかったし、そのことが嬉しかった。

 鞄の中のタブレットにメールが届いているようだ。メル友からだろう。いや正確には彼女からということだ。手回しが良すぎるな、焦っているのかも知れないと感じ彼は彼女の性格を想像していた。
網棚の荷を下ろしある意味目一杯充実したこととなった移動に石川は呟いていた。
だからこだま号だったんだよ、加奈ちゃん。お土産はあのカフェのサブレーで良かったかな。

→ #12 へ続きます。

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