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【連載小説】夢で見た #07

白石ケン至

 お二人ともに聞いておきたいのですが、返還の儀以前にそれについての濃密な夢を見た記憶はありませんか。

 チャンダンは思わず驚愕の声を上げた。唐突に秘密の存在を掴まれたような感覚だった。全身から汗が吹き出す。

 少し慌てた様子で三人が新たな資料と記録機材を操作し始めた。母がどうしたのと言った様子で私は何度も夫の夢を見たけど、それがどうかしたの?でもその返還のどうとかいう夢は見ていないわね。と言う言葉には反応せず先生がチャンダンの様子を見て問う

 チャンダン、あの夢を見たのね。大丈夫よ、実は今回返還者の関係者の一部に、全員ではないわ、一部の方々が返還の儀についての濃厚な記憶に残る夢を事前に見ていることが判明したの。彼女がどういった意図で誰に夢を見せたのかはわかっていないのだけれど、あなただけではないわ。今からその夢について詳しく教えてもらえる?

 チャンダンは自身が囚われから解放されるような安堵を覚えながら、その言葉を聞き話し出した。すぐ横でなんで私に話してくれなかったのと言う母の言葉に心配を掛けたくなかったんだよと返しながら。あの夢を見たのは自分だけではなかったのだ。そのことへの安心なのか何なのか、そして同時に特別な体験は自分だけではなかったことへの悔しさも思っていた。この自分が特別でありたいと言う常に昔から胸の内に漂う感覚は何なのだろうか、それでもって皆にもっと受け入れてもらいたい、それなのに自分にとっての居場所への所属感の感覚が希薄でもあることへの不安も感じてきたのだった。

 あの日アニクに語ったことと同様の夢の詳細を先生に語ったのちチャンダンは言った。人間の時の感覚でしかないのかもしれませんが、大昔からガンガーがこの行為を続けていたとすれば、今僕たちが翻弄されている奇跡と呼ばれるような事態も太古から起こると定められていたということなんでしょうか。僕個人や家族の運命のような出来事も彼女のプログラムされたことに沿っているだけなのかもしれないですよね。もしかすると、僕はずっと時々そう思っていたのですが、人の運命はすでに決められたストーリーをなぞっているだけなのでは、なんて思うのです。向かいに座る三人は黙って聞いていた。先生が言う。

 さっきも言ったように私たちも今回のことについては分からないことが多すぎて、というか分からないことだけで事態が進んでいるのね。だから、あなたの今の思いとこの事態の関係性について思うことを簡単には伝えられないわね。

 チャンダン、これから私たちはラケシュさんの今後のことを見守るために定期的にここへ訪問させてもらうわ。丁度良い機会よ、あなたの今の思いへの回答も含めてたくさん話をしましょう。私にとってもとても興味深い話ですしね。ここで少佐が重い口を開いた。

 チャンダン、先生はカウンセリングの資格を持っている。なんでも良いんだ、思っていることを二人の時に話してみるんだ。それが良いと私も思う。

 わかりました。チャンダンが複雑な表情で答え、再び今後の予定を話し大量の資料を置いて三人が退去した室内で親子は放心していた。父が帰ってくる。正直帰ってくる父がどのような様子なのかと言う不安はあるが、あの失踪が父の意思ではなかったという事実。事実とはいってもそれを事実と捉えて良いものか、そして帰ってくる父が本当の父なのか、薄気味悪い感覚も正直あるのだが、チャンダンはそのことを口には出来なかった。母がどう思っているのかはこれも聞けなかったが、表向きには安堵の様子であるし、それはそれで良いのだ、と言い聞かせるように気持ちをそこに留めた。報告が深夜に及んだこともあり、チャンダンは明日の仕事を休むことを父が戻ってくることを含め報告すべくチャイ屋の親方の元へ向かった。親方には父の代から仕事の世話になっていた。父にとっては仕事の師でもあり、長きに渡る友人でもあったからだろうか、父が失踪した後も彼が同じ場所でチャイを売ることを許可し、更にはそのまま今までと同じ住居で暮らすことも薦めてくれたのだった。

 深夜の時間だったが、夜明け前からチャイ屋を開くこともあり、親方がこの時間に起床していることは知っていた。旧市街の真っ暗な路地を駆け、時折遭遇する犬や牛を避けチャンダンは親方の家の扉に着き息を整えベルを鳴らした。何度か続け鳴らし屋内に人の気配を感じながら自身を名乗った。開けられた扉の中から親方が驚いたように現れ、ただならぬ様子を感じながら彼を屋内に招き入れた。チャンダンは一気に伝えた。今夜政府の役人が来たこと、その話し合いで遅くなり明日の仕事を休みたいということ、そしてその報告によって父が帰ってくることが決まったと。

 親方は天を仰ぎ、神に感謝の言葉を唱えた。そして少し目を潤ませながらチャンダンの手を握り力強く肩を抱き叩き無言で頷いた。何度も何度も。そしてわかった、わかったよ。良かった本当に良かったと呟き始め、部屋の奥の家族に向かって、おい!ラケシュが帰ってくるぞ!本当だ、ラケシュが帰ってくるんだぞ!と声を上げた。そして、三日間だ、いいなラケシュを迎える宴を三日三晩開くぞ!と叫んだのだった。


 その日は快晴の朝だった。自宅の前の路地には車は入って来られないこともあり、父は徒歩で自宅に帰ってきた。あの夜から二月ほどが過ぎていた。数日前、帰宅の日が決まったと先生が報告をしてくれていた。ラジュと先生の二人に付き添われ真新しいクルタとパジャマの出立ちで現れた父は自宅の前で暫し立ち止まり玄関の扉を見つめていた。先生に促され自宅に足を踏み入れた父は扉の向こうで待っていた三人の家族に抱きつかれ涙を我慢せずに流し続けた。先生とラジュが泣いていた。

 テーブルに母が用意したチャイをゆっくりと飲みながら父はしみじみと言葉少なく寛いでいる様子だった。少し近所の様子を見たいと告げチャンダンと外へ出た途端、待ちかねた親方が駆けつけ父を抱きしめた。親方は家族の再会を邪魔したくなく近所の者にラケシュが外出したらすぐに知らせろと手を回していたのだった。数日中にお前の帰宅祝いの宴を開くからな。三日三晩だぞと告げ喜びを爆発させていた。

 チャンダンは少し気高く、気恥ずかしかった。父と並んで歩くだけで近所中から声がかかり父の肩を抱くからだ。

 お前は大きくなったんだな。四年の歳月とは言えあの時点でお前は十五だった。背も伸びたが、大人になったんだな。だから大きくなったというべきか、俺が小さくなったとも言えるかもしれないな。残された家族を守ってくれてありがとうな。気づけば二人はジャンタル・マンタルまで路地を歩いていた。二人でここの階段を登るのはどれくらい振りだろうか。ガンガーを見下ろすここからの景色を眺めるのは返還の儀の時依頼だった。二人してあの対岸を黙って眺めていると父が語り出した。

→ #08 へ続きます。


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