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【連載小説】夢で見た #06

白石ケン至

 ガンガーだ。チャンダンがつぶやいた。

 お見事。その通り。ラジュがチャンダンを指差しながら答える。電波は君があの朝目撃した奇跡、返還の儀が執り行われたヴァラナシのガンガーから発信され電離層を用い我々のシステムに送られていたんだ。どういうことかデジタル暗号化されてね。それでその電波を分析したところ、おおよそ三百年前から届いていた記録が見つかった。見つかったはいいけどどうやって暗号を解読すれば良いのか、僕らには全く解読できなかった。でもね過去の古文書なんかを辿ると、このメッセージを受け取り理解している記録なんかがあってね、そこにヒントがあった。ただ、その古文書を見つけることで我々は九十年代をほぼ費やした。大変だったよ。我が国が所有する膨大な資料庫の中から探し出した。映画の『インディアナ・ジョーンズ』を知ってるかい?あれに出てくる倉庫のような所さ。どの国家も一体何に使われるのかさえ判らないガラクタや何が書かれているのか判らない文書を一緒くたにして溜め込んでいるものさ。

 隣に座る二人から失笑が漏れた。少佐が口を挟む。お前の自宅のクローゼットと似たようなものさ。それにしてもお前はよく喋るな。少佐の言葉に反応もせずラジュが続ける。

 まあ、そういうこと。それでそのクローゼットから見つかった三百年前の古文書に書かれていた彼女からの、あ、そうだ彼女ってもうわかるだろうけどチャンダンはヒンドゥー?チャンダンが頷く。じゃ、わかるよね、ガンガーは女神だろ、つまり彼女さ。古文書には彼女と既に記されていたし、言葉は光の言葉と記されていた。それでだよ、当時光の言葉を解読していたのはチベット人、正確にはチベット仏教徒がその暗号解読を担っていたと記されていた。ガンガーの源流がヒマラヤであることと彼らの関係が繋がっているのかどうかは今のところ解明されていないけど。僕らは焦って直ぐにダラムサラでダライ・ラマに謁見したよ。会った瞬間彼は笑顔でこう言った。そろそろ来る頃だと思ってましたよ。彼女からも知らせが届いています。だって。拍子抜けしてポカンとしたね。法王曰く、今は専用のデジタル端末に彼女からの光の言葉を文章化するシステムを構築しているらしい。驚いたよ。かつてはダライ・ラマ専用のラジオのような機械に解読前の言葉が届いていて古文書の暗号解読表を用いて解読していたらしい、それでそれ以前や今もこれは継続されているらしいのだけれど夢でも届くらしい。正直本当かよ、って罰当たりな感想を持ったね。
 夢というワードが出てきてチャンダンは少し身構えた。それはあの奇跡の夢のようなものだろうか。ラジュが続ける。
 お二人が信じるかどうかの判断はお任せしますが、君とお母さんはラケシュさんの失踪時捜索願いを出しているよね。この街で育ち商売までしている君なのだからこの街の治安の悪さや、その原因の一つである裏組織の存在は知っているはずだ。
 それを聴きながらチャンダンは親方の顔を思い浮かべていた。
 ラジュは言う、実際毎年多くの者がこの街で行方不明になっている。人種性別問わず、事件、事故に巻き込まれてね。でも実は、実はね、いいかい、その行方不明者の一部は彼女によって連れ去られていた。しかもその真実は光の言葉で持って、つまりは彼女本人から伝えられた。

 ダラムサラの亡命政府の協力を得た我々は早速彼女からの言葉の解読を試みた。過去の言葉を含めてそれはあっという間に成功した。驚くべき内容だった。そもそも彼女は太古から「自宅」とガンガーを行き来していた。翻訳によると遊びに来ているとなっていたな。はっきり言ってその自宅がどこかは不明なんだけどね。でもって連れ去りという行為も悪戯なのか何なのか、その本意もわからないのだけれど何れにせよ大昔から彼女は人を拐っていたらしい。とんでもない悪行なんだけど、それは我々の感覚に基づいた悪であって何とも言い難いのだけれど。

 で、彼女は今回の言葉で持って驚くべきメッセージを送ってきた。それが一年後の十二月に自宅へ再び帰るので我々に協力してほしいと言うんだよ。

 申し訳ないが今のところその具体的な協力の内容は機密事項で伝えられないのだけれど、その自宅への帰還の日を我々は「帰還の儀」と位置付けそれに向けてのプロジェクトが今進んでいる。そして彼女から帰還の儀より遡って一年前の同日に今まで拐った人々を返還すると言葉で伝えてきた。あの奇跡の朝の三日前のことでした。ラジュは掌を上に上げ、お手上げでした。と言わんばかりの素振りを見せた。

 それを聞いてチャンダンはあの朝、少佐がチャイを啜りながら呟いた愚痴を思い出し彼の顔に視線を移した。目が合った少佐は、思い出したように頷きながら苦笑をうかべた。
 ラジュは続ける。それが君が遭遇したあの奇跡であり、ラケシュさんたちがガンガーに立ち現れた事態だったわけです。我々はあの朝の奇跡を「返還の儀」と称しています。

 チャンダンは思っていた。実際にあの奇跡を目の当たりにした自分でさえ俄には信じがたい内容の話なのだ。これを数多くの人に伝えることの困難さは想像以上だろう。

 ここで先生が話し始めた。どう、とんでもない話でしょ。政府としては機密事項として帰還の儀まで進めようという計画が持ち上がったの、でも私を含めプロジェクトに関わる者たちから返還に関わる方達には真実を伝えるべきだと言う意見が噴出したの。

 隣の二人に視線を向けながら先生が続ける。正直に言うとこの真実を伝えずに何を伝えて返還者を引き渡せば良いのか、検討も付かなかったの、政府お得意の嘘とだんまりで済ませるには余りにも現実は悲惨な状況なのです。今回の返還の儀で帰ってきたのはラケシュさんを含めて総勢四七人なのですが、こんな言い方してご気分を悪くされたら申し訳ないのですが、ラケシュさんは返還者の中に於いてかなり運が良かったと思います。四年の月日と記憶が失われたことは不幸だと思いますが、他の返還者の中で最も古い失踪記録者は三百年前まで遡っています。

 チャンダン親子は驚愕し目を見開き彼は思った。そんな彼らに帰る家はないだろう。先生が続ける。

 そうなんです。三百年分の記憶が無く、年齢も当時のままなのです。そんな彼らを含め被害に遭った方々に機密という残酷な言い訳はできないと私たちは判断せざるを得ませんでした。それはこうしてお会いさせていただいたご家族をはじめとした関係者にも同様です。我々は口止めを強要しません。ただ、返還、帰還共に流布は「ご遠慮願いたい」というお願いはさせてください。真実を伝えご自身で判断してもらうことを政府は決めたのです。それはそれで残酷なのですけどね。帰る家のない返還者たちは政府の専用シェルターで生活をすることになっています。もちろん本人の意思で現代社会を学んだ後に出所することは自由です。ラケシュさんの場合は最短での帰宅となりますので、近いうちに具体的な通達があります。

 あの人は無事なのですか?母が三人に尋ねる。

 ラケシュさんは無事です。ただ、これも全ての関係者に伝えている真実なのですが、返還者の身体的な問題、一部人体組織に奇形状の障害が見つかっています。それぞれに一致しない障害なのですが、例えば耳の欠損、手足指の欠損などです。一部の研究者によると、彼らは一度細胞レベルで分解され再び再生されているのではないかと言う説も出ていますが、現在の時点では原因は不明です。ラケシュさんにも残念ながら左耳の機能損失ほか、いくつかの障害が見つかっています。詳しくはこちらの資料をご確認ください。尚、我々組織としては今後の経過を含め確認指導のために定期的に返還者本人、家族を含めた関係者への面会聞き取りを継続していく予定です。ラケシュさんには私たち三人が今後フォローして参ります。そして何かお困りのことがありましたら、こちらに遠慮なく連絡してください。返還者ホットラインと記された連絡先の書類と膨大な資料をこちらに渡しながら幾つもの同意書へのサインを母に促す。やっと一通りの説明が終わったと言う安心感が伝わり、チャンダン親子も安堵した折だった。

→ #07 へ続きます。


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