下書き供養

夏、全然好きじゃないけど、夏の曲は好きなのばっか。だからなんか悔しいけど、夏の気配がするとウキウキしちゃう。夏曲のプレイリストなんか組んじゃって、私しっかり浮かれてる。だけど夏のことなんて好きじゃないからね、ほんとだよ。暑いし汗ダラダラになるし、彼を想って気合を入れたメイクだって台無し。でもそんな時だってイヤホンから大好きな曲たちが流れたら自然と口角上がっちゃうんだもんね。そりゃあ「ほんとは夏好きなんでしょ?」って疑われても仕方ないか。

みーんなキラキラしたストーリーばっかあげてる、それを見て劣等感を抱いちゃう自分があんまり好きじゃない。私は自分の意思で、SNSに載せないことを選択してるわけで、実際私の日々をみんなみたいにSNSに載せたらきっとキラキラしてるように見えるはずで。いやいやそんなことないのか、私ってほんとにキラキラした毎日送ってんの?なんて考えても無駄なことばっか考えちゃう。私が楽しい、嬉しい、幸せ、って感じるその瞬間が確かに存在するのなら、別にキラキラしてなくてもいいじゃん。分かってるよ、分かってる、でも比較しちゃうことだってあるよ。これって私が弱いから?

最近小説読めてない、なんか義務感みたいに「読まないと」って思っちゃう。それは書きたい気持ちがあるからだろうね。わたしの持論だけど、アウトプットするためにはインプットが必要なんだよ。だから私は書きたくなると「読まないと」って思う。良いアウトプットには良いインプットから!こんな感じのキャッチコピー?あったよね、なんだっけ。すぐ話が逸れちゃうの、私の悪い癖です。とにかく小説、読みたいな。だけど義務感で読むのはやだな。

友達にしろ恋人にしろ、所詮他人なんだよね〜。って実感する度わかってるはずなのになんか寂しくなる。まあ今は恋人いないんだけど、それは置いといて。どれだけ仲良くても、どれだけ好きでも、分かり合えないことってあるよね。譲れないものはお互い持ってるわけだもんね。全部無駄に思えちゃう、これでも私、あなたのこと大事に思ってるんだけどな〜。まあ結局誰だって自分が一番可愛いもんね、それは私も同じだよ。

地元、道ですれ違う人には挨拶するのが当たり前だったの今考えるとあったかすぎたな。学校帰りの私に「おかえり」って言ってくれる人に迷わず「ただいま」って返してた。笑顔と思いやりで溢れてたな。都会に憧れる日もあったけど、今では死ぬなら地元がいいと思ってるよ。

ライブハウスに一人で行けない人間が得意じゃないです。今まですぐに「嫌い」って言葉を使ってたのに、オブラートに包めるようになったのはきっと成長。ほらまた話が逸れた、やっぱり成長してないかも。私にとって音楽は孤独に寄り添うものだから、一人で音楽を楽しめない人を見ると頭にハテナが浮かぶ。ライブが終わってから一人でライブハウスを出ると、何人かで集まって写真を撮ったり感想を言い合ったりしてる集団をよく見かける。羨ましいと思ったこと、1度もないって言ったら嘘になる。でも私の大好きなバンドが「ひとりぼっちの帰り道、耳鳴りが愛しかった」って歌ってくれるから、私はその歌詞に沿って、耳鳴りを愛おしく思いながら一人で歩いて帰るの。どう?羨ましいでしょ?

「エモい」って言葉で評価されるものが「良いもの」だとしたら、私の周りには悪いものだけがいてくれたらいいな、と思うよ。エモいなんて一言で形容しないでほしい。私が感じたことも、君が感じたことも。言語化するのは時に辛くて苦しいこともある。でも3文字で要約できる感情なんてきっとこの世に存在しないよ。

母親から「荷物を送ったよ」というLINEが届いた。数日後に鳴らされたチャイム、「重いですよ」って言われて渡された荷物。その言葉と、実際に感じた重みに、どうしようもなく泣きたくなった。私が好きって不意にこぼしたことまで、ちゃんと拾って、覚えててくれたんだね。愛情は目に見えないし、お金で買えるものではないけど、そこには確実に愛が存在してた。家に誰もいないのをいいことに、思う存分泣いてやった。

noteを書くようになってから、感じたことをどんどんメモに書き溜めていくようになった。どんどん溜まっていく一方で、吐き出す場所はなかったし、吐き出せるほど整った文章でもなかった。行き場を失った言葉たちを捨てることが、私にはできない。だからこんな風に、つらつら羅列することにした。私は文章を書くことで、言葉を綴ることで日頃の鬱憤を晴らすことができてるから、本当にこの場所があってよかった。居場所がないんじゃなくて、見つけられてないだけだよ、あの頃の私にそう伝えることができたらもっと楽になれてたかな。



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