下書き供養

人と比べずに生きるって、私にはできないから、人と比べても負けないと断言できるものを持っていることが大切なんだと思ってる。確かに私より素敵な言葉を綴る人は沢山いるけど、私にしか表現できないことだってあると思ってるよ。自画自賛って悪いことなの?謙虚なことが美徳だなんて、馬鹿らしいと思っちゃうな。

なんだか気持ちが晴れなくて、そんな私の心に呼応するように最近の空模様は曇りか雨ばっかり。梅雨が明けたってあのニュースは嘘だったの?目的もなく電車に乗って、終点の駅で降りた。「ご乗車お疲れ様でした」のアナウンス、小さな気遣いに救われた気がした。そう言えば、いつの間にか雨が止んで太陽が顔を出してることに気付いた。

コロナが苦痛だと、ステイホームは限界だと、そう言っている人達の気持ちがこれっぽっちも分からなかった。私には苦痛じゃなかったし、私には限界が来なかった。ただそれまでよりも心地よくて、ただそれまでよりも穏やかな毎日だった。そして私はそれを寂しいことだなんて欠片も思ってない。

よく、私の生き方は間違っていたのかもしれないと考えてしまうことがある。もしあの頃に戻れるなら、が通用したとしても、どこで選択ミスをしたかも分からないんだから、そんなものは頼りにならない。もしも話すら満足にできない自分に、また嫌気がさす。まあ結局のところ、過去に戻る術はないもんね。なんだかんだで今も生きてるし、しかもそこそこ楽しいんだから意外と私は間違ってなかったのかもしれないな。

いかにも「エモいですよ!」 みたいなエピソードを書き連ねたnote、最近よく見かけるけどあんまり得意じゃないな〜。人に言うことは恥じるような恋愛での失敗(セフレになっちゃったとか、一夜限りの関係とか)を得意気に書いちゃえるの羨ましいな〜(笑)

輪郭がぼやけたものがあまり得意ではなくて、自分にとって大切なものや人は明確にしておきたいと常に思ってる。そしてちゃんと「大切だ」とか「大好きだ」と伝えたいと思ってる。生き急ぐのが嫌いでも、進路希望が未定でも、大好きなものに大好きって言わなくちゃいけないもんね。

「あんたの親友より」で締めくくられた手紙を読んで、耐えきれずに泣いてしまった。1人でも平気だとすぐ強がってしまう私だけど、私の好きなことはどれも1人ではできないことに気付いた。その子の字で書かれたその子にしか綴れない言葉たち。私の宝物がまた増えた。

エッセイ集は、誰かの生き方に触れることができるものだと思っている。文章だけど、映像ではないけれど、本を読んだと言うよりかは1本のドキュメンタリーを見たあとのような、そんな読後の満足感がたまらなく好きだ。自分自身の弱い部分に触れたエッセイを読む度に思うけれど、弱さをさらけ出せるのは強さだと思う。






この記事が参加している募集

#スキしてみて

523,049件

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?