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笑いながらリアリストであること

テルマエ・ロマエの作者、ヤマザキ・マリさんのエッセー「たちどまって考える」を読んだ。

この人の文体と、生活に根差した考え方が好きで、前から新聞に寄稿されていてたエッセーなどは読んでいたのだけれど、纏まった形で読んだのは初めてだ。

何となくブレディ・ミカコさんにも近いものを感じてしまうのは、二人とも海外と日本を相対的に見ていて、あくまでも生活者目線で社会のことを捉えているからかもしれない。

本書は、イタリアと日本におけるコロナ対策の違いや、それを通してみる文化的、思想的背景の違い、”民主主義”に対する捉え方の違いなどについて、ヤマザキさんなりの考えが披露されている。

といっても読んでいてそんなに重たい感じがしないのは、徹底したリアリストでありながらも”笑い”を失わない、イタリア人達の姿が描写されているかもしれない。

そして、そうしたイタリア人を家族に持つ、ヤマサキさんならではの視点が優しいし、面白い。

これまでに幾多の外圧や侵略の危機にさらされてきたイタリアと日本では、同じ民主主義国家でありながら、その成り立ちも捉え方も全く異なるし、リーダー像も違う。

とにもかくにもイタリア人は喋るのが好きで、特に政治に関しては恰好の話題となるそうだ。

一方の日本では政治に関して市民が物を申す事が何となくタブー視されている。

日本でもかつては政治は”祭りごと”と言われる通り、誰もが関心を持って、参加するような気質があったのではないかと思う。

特に地方に住んでいると、まだこうした気質は色濃く残っているように感じる。

ただ、日本の場合、政治について語ることは何かちょっと重苦しく、堅苦しいイメージがある。

これが何故なのか、私は正確に分からないけれど、恐らくメディアや教育もなどあらゆるチャンネルが、”政治”という物を難しく、そして市民から遠い存在としてしまっているように感じる。

勿論イタリアの民主主義も完璧なわけでは全くなく、時にベルルスコーニなど、メチャクチャな政治リーダーを生んでしまったりもしている。

それでもイタリアの人達がコロナ禍のような厳しい災厄の中にあっても、”自分達は大丈夫”、”何とかなるさ”と腹をくくっていられるのは、単に楽観的であるというだけでなく、徹底したリアリストでもあるということを、本書を通して知ることができた。

”笑いながらリアリストであること”

簡単なようでいて難しい、この姿勢をちょっと意識してみたい。



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