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住民参加とは何なのか?

行政が考える施策の中で、”住民参加”というフレーズをよく聞く。

これは、特に「ハコモノ」を建てたりする場合、大きな税金を投入して行われる公共事業について、特に使われることが多いと思う。

これは少し穿った見方をすると、「行政が勝手に建てた」と住民から言われないためのエクスキューズともとれる。

これまで行政がこしらえてきた「ハコモノ」には、地方創生関連で建てられたものも含めて、「何でこんなもの建ててるの?」と首をかしげたくなるものもあるので、住民からそういう声が出るのも分かる気がする。

では、最初から実のある物を建てておけば、そういうことにならないのではないか、という気もするのだけれど、これがなかなか難しいのだろう。

行政が税金を投入して何かを建てようとする場合、それが緊急かつ必要なものでない限り、なかなか住民の合意や理解を得ることは難しい。

それは、住民一人一人の価値判断を求めることになるからで、当然のことながら、その価値基準はみんなバラバラだからだ。

だから「住民参加」という「仕掛け」が必要になってくる。

価値基準が一人一人違う中で、それでも一緒に公共の場を作っていく。

これはとても難しいことだと思うけれど、投票という行為に加え、民主主義を形作る上での大事な行為ともいえる。

実際に北欧では、こうした本来の意味での住民参加型によるマチづくりが活発に行われていると聞く。

住民参加を実現するチャネルが多様にあることが、民主主義の成就度を測る一つのバロメーターにもなっているのだろう。

ある会議で公共施設の利活用に関わる検討委員会に参加しながら、改めて「住民参加」の意味と、そのあるべき姿について改めて考えさせられた。

日本でも、本来の意味での「住民参加」が、当たり前となる日が早く来てほしいと思う。


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