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2.社会貢献と創作活動の関連

本章では、以下の内容について明らかにする。

社会貢献を意識した創作は価値があるとされるが、その背後にある社会的期待が創作の自由を侵害する。

創作者が社会的貢献を意識しすぎると、創作は外部からの要求に応える手段に成り下がり、真の自己表現から遠ざかる。

結論として、社会貢献を追求することは創作の自由を制限し、創作者の内面を歪める可能性がある。


社会貢献を意識した創作は価値があるとされているのか?

これについてデータが獲得できていないので、これが本章の論における脆弱な部分である。是非文句をつけたり反論のために使用していただきたい。
ここでは価値があるとされているとして進める。

社会貢献を意識した創作には価値があるのか?

価値の基準を社会への貢献度によって計るとした時、社会貢献を意識した創作には価値があるのかについて、二つの場合のそれぞれの結果によって価値の有無が定まると考える。一つ目には価値があり、二つ目には社会に特にものを残さない。

一つ目の場合は「社会貢献した上で、社会貢献を意識した創作」(価値がある)、二つ目の場合は「社会貢献せず、しかし社会貢献を意識した創作」(価値がない)である。

二つ目の場合が最も世に氾濫しており、この状態が最もグロテスクであり気持ち悪いものである。

社会的期待は創作の自由を侵害するのか?

社会的期待は創作の自由を結果的に侵害する。
社会的期待は創作者の考えに作用し、結果として創造物、アウトプットの形式や方法、言葉の選択範囲を制限する。

社会的期待による創作の自由の侵害の形は様々で、例えばYouTubeポリシーなどのような、フィールドに用いられたルールでもって創造物の形を制限する場合もあれば、それならばと自身の創造をまた新たな別のフィールドで示そうと思えば民意からなる時の社会的期待が創造物の形を制限する場合もある。

外部からの要求とは?

外部からの要求とは前章で語られた外部からの影響という言葉と似た意味であるとする。
外部からの要求とは、発信活動の際に自身以外の人間からもたらされる縛りや期待、言動のことである。

外部からの影響とは、発信活動の際に自身以外の人間からもたらされる縛りや期待、言動や言動から来る思想、それらがもたらす発信内容の変化、この一連を外部からの影響とする。

真の自己表現とは?

真の自己表現とは前章で語られた純粋な自己表現という言葉とさっぱり同じ意味である。
つまり、発信に伴う場合に他者がまったく干渉しない状態で表現を行うことが真の自己表現である。

ここでの純粋性は何を基準に計られるのかについて、発信に伴う場合に他者がどれほど干渉するかの度合いで計られるものとする。
つまり、真の自己表現=純粋な個人の内面=純粋な自己表現である。

創作の自由とは?

創作の自由とは、各個人が創作したいと思うあらゆる創作物を創作する自由、という意味。

これはほとんどの場合守られず、守ることが非常に難しいものであり、なぜ守ることが難しいのかについて人々の生活には創作だけがある訳ではないからだ。
これもまた社会的期待や法律などによって守られないことが往々にしてある。

法律はこれを多くの場合制限しないが、ある特定のとある範囲などで制限することがある。これは人々の身体的安全や特定の創作がもたらす人々に対する感覚的な不快感を制限するためである。

社会貢献と創作活動の関連

総じて、社会貢献は創作活動に大きな影響を及ぼす。

もう少し言うと、社会的期待が創作活動に影響を及ぼす。

社会的期待が影響を及ぼし、創作活動のベクトルはじわじわと社会貢献の方向へと向き、当初の目的とはさっぱり違う終着点にたどり着く。その終着点が社会貢献であり、表現活動ではなくいわゆる産業的な形に成る。

しかし、例えば芸術は芸術産業としてそもそも産業であるという見方もあり、しかしむしろこれは自己表現を否定する本論において重要な見方である。

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