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底辺×高さがあるのに|三角形の面積を求める公式が教えてくれたコト

仙台の乾いたシャツは、冷たく重い

 今朝は朝から冷たい雨が降っていて、朝から気分が優れない。「雨の日の強い味方!」という宣伝文句に釣られて購入した靴の中は、一歩踏み出すごとに浅瀬を歩いている感覚に見舞われる程で、雨の日にも関わらず僕の味方をしてくれる様子はない。雨は後方からの強い風と共に容赦なく打ち付け、小さな折り畳み傘を傾けて必死に抵抗するも、強風にコントロールを奪われ、露先から垂れた滴が襟元から首、背中へと垂れる。強風で背中を押されてる感覚と、背中を伝う滴の不快感。まるで、会議を早く終わらせ、自分以外の人間に仕事をなすりつける為に、会社に一人はいる御局が、沈黙を破る新入社員の意見に、「素晴らしい!井原君に任せましょう!きっと素晴らしいものになるわ」と、厚化粧の裏側の本心が見え見えな時の、あの感覚。そう、正しく今日は、その桑原になすりつけられた仕事の営業で遥々東京まで出てきたのだ。

 9月の東京は暑い。蒸発した雨がジメジメと身体に纏わり付き、不快感は増すばかり。仙台から東京まで新幹線でたったの2時間だが、こんなにも違うものなのか。会議の沈黙を良かれと思って破ってしまった事で、不本意な仕事を任されてしまった。こぼしたリンゴが、平地と下り坂の境界線を越えた瞬間、ゴロゴロと加速し止める事が出来ないように、憂鬱な気分にブレーキはなく、こういう時に限って嫌な事は畳み掛けてくる。雨に濡れた背中が、ずんと重たくなった。

 取引先に着き窓口で挨拶を済ませ、ピースが1つ足りていないヨーロッパのどこかの街の、大きなパズルが飾られた待合室で、濡れた身体を拭きながら担当者を待つことになった。社内は空調がきいていて、濡れた体を急激に冷やした。体に面するシャツが冷えていくのを背中に感じ、ゾクッと身震いをしたところで、曇りガラスの向こうから人が来るのが見えた。岩井と名乗る担当者は、小太りのスポーツ刈りで、額に汗玉を溜めながらも笑顔で出迎えてくれた。会議室までの数十秒、仙台から雨の中来た事への感謝の気持ちをのんびりとした口調で話す岩井を見て、転がり続けていたりんごの勢いも少しはゆっくりになってきたと安堵した。

 部屋に着くなり早速商談へと移り、新幹線で練習してきた通りにプレゼンを進める。岩井は終始笑顔で話を聞いていたが、どうも何か違和感がある。喋りには自信があったし、プレゼン資料だって、なすりつけられた仕事の割には上出来だと思っていたが、何かが変だった。それは些細な事で、相槌が自分の喋っているペースにあっていなかったり、どう考えても目線がプレゼン資料の余白を見つめていたり、そして何より最初に挨拶した時の表情から何ら変化なく話を聞いている事が違和感の原因だという事に気付いた。一通り話終え、岩井に視線を向けるが、余白に笑顔を向けるだけで反応はない。少しの沈黙の後こちらが話さない事に気付いて、初めて岩井がこちらの顔を覗いた。「…いかがでしょうか?」と問いかけると、岩井は表情を変える事なく「いや、素晴らしい。是非検討させて頂き、また追ってご連絡致します。帰りの新幹線の時間は大丈夫ですか?」と抑揚のない口調で岩井は僕に話した。とても屈辱だった。結局その後にプレゼン内容に触れられる事なく、冷え切った身体のまま会社を後にした。降り続けた雨は止み、嫌な暑さだけがそこにあった。一度は姿を消した汗もすぐに顔を出し、冷えた身体から冷たい汗が流れ始めた。

 今日は散々だった。学生時代は積極的に行事にも参加して、勉強だってそこそこ出来た。その頃から積極的にボランティア活動に参加して、大学では難民問題について学び、将来は難民支援の団体を立ち上げたいと、若い頃から志を高く持っていた。今だって週末の休みを使って難民支援に関する事業計画を作り、関連団体にも足を運んで準備を進めている。大学卒業後すぐに団体を立ち上げる事が出来なかった事で一般就職する事になったが、僕はいずれメディアで取り上げられるような人間になると信じて疑わなかった。そんな僕が、遥々仙台から、擦りつけられた仕事をしにきて、悪天候に襲われ、取引先では屈辱的な思いを味わい、結局なんだかんだで乗るはずだった新幹線も間に合わなかった。帰宅は深夜になるだろうか。明日も仕事だと思うと、乾いたはずの服も重たく感じた________


 …という話を、僕はどこかで読んだわけでもなければ、人から聞いたわけでもない。もちろん、僕のストーリーでもない。でも中には同じような境遇に見舞われた経験がある人はいるのではないだろうか。「自分の居場所はここではなく、もっと高いところにある」「なんで自分ばかりこんな目に遭わなければならないのか」「何をやってもうまくいかない」。そんな言葉に埋め尽くされる日もあったのではないだろうか。そんな、僕を含めた全ての人へ伝えたい事がある。

僕らのいる場所が僕らの現在地で、僕らが思う程その場所はどん底ではない。

 僕らの境遇の辛さは誰と比較できるものでもないし、その時、自分が最も不幸だと感じる事は当然の感情。何故なら「当事者」だから。でも、この先何十年も生きていれば、もっと辛い事は待っている。誰もそんな事言ってくれないけどこれは事実だ。それに、僕らの思い浮かべる理想の自分は、思ったよりも遠い場所にいる。そんなに世の中は甘くないし、目の下にクマをぶら下げたからって何でも手に入るわけではない。SNSで流れてくる「3ヶ月で売り上げ500万」みたいなのは、基本的に無視しよう。そんなもので理想に辿り着けるほど、道は舗装されていない事が殆どだし、そもそも、あの手の広告は嘘だから。それでもね、

底辺(どん底)×高さ(理想)÷2(現実)

これから先、今まで以上のどん底を経験し、いつだって自分以上の理想を掲げるからこそ、「現実」という刃で二等分されても、末広がりに広がる設置面と、高みを目指す頂点の綺麗な三角形を作るんだ。明日以降に待つどん底は、「私」という人間の設置面を広げ、今日よりも「痛み」に耐える力を与えてくれる。そして設置面の広さだけ、多くの人たちの「痛み」を理解してあげられる温かい人間にしてくれる。そして掲げた理想の高さは、例えどんなに苦しくて、自分のつま先を見ることで精一杯な人がいても、あなたの高みを目指す頂点を見上げざるを得ないから猫背も治るだろう。それに頂点のない山に人は興味をそそられないし、「そこに山があったから」なんて名言も生まれなかっただろう。だからこそ「現実」という刃には進んで斬られよう。小学校(僕の小学校は図工と体育しかなかったので、一般的に正しいかはさておき)で習ったはずの三角形の面積を求める公式は、現代を生き抜く上で、とても大切なこコトを教えてくれた。

※この物語はフィクションです。登場する人物と私になんら関係はございません。
※あ、でも所々は事実です。

「最後まで読んでくれた」その事実だけで十分です。 また、是非覗きに来てくださいね。 ありがとうございます。