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映画:「ザ・ミソジニー」を観てきました

『リング』『女優霊』の脚本などで知られるJホラーの第一人者高橋洋監督作としては、『霊的ボリシェヴィキ』以来です。あれも怪作でしたが今作もなかなかすごい。
ミソジニー、つまり女性嫌悪というタイトルからはクズ男の話かとおもいきや格調の高い端正な古典的ホラーでした

ストーリーはこんな感じ(ネタバレ無し)

■劇作家のナオミは、かつて自分の夫を奪った女優ミズキを
一夏借りた山荘に呼び寄せ、芝居の稽古を始める。ミズキにはマネージャー大牟田が同行した。ナオミはここで歴史上の非業の死を遂げた女性の写真を集めていた。
■ナオミがTV番組でみたエピソードが題材だ。母が突然狂ったようになり消えた、その娘の話。しかもその娘は番組放映後殺された。
■ナオミが霊媒になり母を呼び寄せる、ミズキには娘が乗り移ったようになる。
■母親を殺した娘の役を演じるミズキは、やがて事件が起きたのはこの屋敷ではないかと疑い始める、森で謎の儀式を幻視する

本作は複雑なレイヤ構成になっています。ベースとなるのは劇作家ナオミと女優ミズキが新作の映像作品を作っている。これがとりあえず地のプロット。
しかし題材である母娘の殺人事件に憑依して当事者を呼び出すと、憑依なのか映像作品のための演技なのか区分が溶けてくる。
それどころか、ナオミ、ミズキ、マネージャーの大牟田という現実?の役回りも溶けだしてアイデンティティが変容するので観てる方はかなり混乱します。

そう考えると役者が映画のために演じる事、霊媒として憑依することの差分ってなんだろうという不思議な気分にさせられますね。
また、家族というものも家族を演じているのかもしれないとも思います。
そのような演じる事の不思議さが、登場人物の役目が微妙に変容するアイデンティティの揺らぎの中で目の前で展開する眩暈のような感覚。

映像的にはすごく古典的で格調の高いものを感じました。ニコラス・ローグの古典的傑作『赤い影』を思い出しました。見えそうで見えないもの、何かたまたま映っちゃっている怖さの表現、、、、
『リング』のようなビデオという媒体はすでに時代が変わって使えないのですね。ではyoutubeかというとそれも雰囲気が出ない。今年『牛首村』をみたけど、youtubeでの動画というのがビデオに比べるとあまり怖くない。youtubeがアカウント運営しているので管理された感がでてしまうのでしょうか。
本作ではとてもオーソドックスに森の中の一瞬の影とか、室内の暗がり、歴史上の残酷写真などにその何か映っちゃっている感を表現している。
これも古典的なホラーテイストのおどろおどろしい音楽と相まってかなり成功していると思います。

これは高橋洋のこだわりか幻視なのかわからないのですが、スピリチュアルなホラーに政治をモチーフに絡めてくる傾向があります、『霊的ボリシェヴィキ』がまさにタイトルからしてそうです。本作でもファシズムとオカルトというモチーフがさりげなく挿入されます。
『霊的』の時はホラー作家らしい高橋洋の特異な政治観だなあと思っていたけど、最近のなんちゃらかんちゃらのニュースを観るとむしろ現実じゃんかと、、
高橋洋は現実を見通していたのかもと空恐ろしくなります。

思想家のミシェル・フーコーが提唱した生政治(Bio-politics)という概念がありますが、これは生物学的知見も含め国家が市民を管理包摂する政治構造のことです。これをもじって霊政治(spiritual-politics)と造語を思いつきました。
結界を作る場面あたりはアクション的にカッコいいです。ちょっとリメイク版『サスペリア』を思い出させました。あれも霊政治的なモチーフが底流に流れてました。

かなり特殊な作品なのですが、秋の始まりに端正なホラー映画いかがでしょうか

ではでは




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