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第16回「ブックマン瀬戸川猛資⑩」

 今回は「ブックマン瀬戸川猛資」編の最終回ということで、瀬戸川猛資に縁の深い人物についての彼の文章を見ていきたいと思う。

 そのうち、最初に取り上げるのは開高健である。
 開高健については既に、本連載第10回「ブックマン瀬戸川猛資④」にて、谷沢永一・向井敏との鼎談集『書斎のポ・ト・フ』評(〈週刊宝石〉1981年10月31日号)を紹介したが、これと併せて読みたいのが、〈國文學〉1982年11月号の特集「開高健――時代精神のメタファー」に寄稿された「饒舌の効用」というエッセイである。
〈國文學〉という雑誌は当時の(いや、キャリア全体を見ても)瀬戸川の寄稿した媒体としては別格レベルのもので、並んで掲載されている寄稿者には既に名を成した大学教員や高名な文芸評論家(埴谷雄高、中野美代子、磯田光一……)が揃っている。年齢の近い寄稿者としては糸井重里が上がるが、当時糸井は若手のコピーライターとして既に絶大な人気を得ていた。開高との縁はおそらく上記の書評一本のみという現在売り出し中の新人文芸評論家瀬戸川は、このラインナップの中では完全に浮いている。編集者もなんで寄稿を頼んだのでしょうね。謎です。
 閑話休題、内容を見ていこう。瀬戸川は高校生の時に三田の古本屋で〈洋酒天国〉という謎めいた雑誌を手に取った。「至るところにカクテルの飲み方やバーの話が書いてあり、その間にモーパッサンやサキの短篇がはさまっている」この雑誌を購入した理由は、酒に興味があったというよりも、一つにはその雑誌の値段がたったの十円であったためだったという。
 この時買った〈洋酒天国〉第55号では〝短篇小説ベスト10〟特集が組まれていた。五十人以上の作家や評論家に〝短篇小説ベスト3〟を問うアンケートを実施、その結果をもとに吉行淳之介、開高健、大江健三郎の三人が座談会を開いて、ベスト10を決するという内容だったが、瀬戸川青年はその座談会の模様を読んで大いに痺れたらしい。参加者の読書量と博識に感嘆、そして三者三様の語り口の面白さに魅せられた彼は、何度もこの特集を読み直した。殊に開高の姿勢に惹かれた瀬戸川はこのようにまとめている。

 ヘミングウェイの代表的名作とされる『日はまた昇る』をあっさりと〝若書き〟と片づけ、文豪の中の文豪ともいうべきトーマス・マンを「ぼくは、いけないんだ」と平然と拒否する。そして、それらの作家と同じ次元で、ロアルド・ダールやカミの小説の面白さについて語る。
 こうしたことばの背後に感じられるのは、荘厳にして厳粛な〝文学〟の権威や雰囲気をものともせず、小説は楽しむもの、面白がって読むもの、面白くも楽しくもないものは駄目なのだ、とする明瞭にして強烈な読書の姿勢である。

 この文章はもちろん、開高一流の面白がりが谷口・向井との化学反応によって炸裂した鼎談集『書斎のポ・ト・フ』を念頭に置いてのものだろう。そしてこの面白がりこそ、開高の文学の背骨である独特のリズムを持った早口の文体と通底しているのだと瀬戸川は喝破する。

 この速射砲のようなヴォキャブラリイの豊富さ。閃光のようなイメージと語り口の独創が生む、その面白さと楽しさ。これは、たんに文才で片づけられるものではないだろう。そこに〝遊びと楽しみ〟の精神が躍動しているからに他なるまい。

 この文章を読んでいて私は、瀬戸川自身の「面白がり」の傾向を、そして彼の文章を思い起こした。一例として、『夜明けの睡魔』巻末の「明日の睡魔」の一編「〝狂気〟なんて呼ばないで」を挙げよう。アンチ・レンデル、アンチ・サイコスリラーの典拠として引かれることもある文章だが、瀬戸川自身は「引っかかるものを感じていた」「何作読んでも、どうしても好きになれない」と書いているだけで、別にレンデルを嫌ってはいない(このことは、〈ミステリマガジン〉や〈ダ・カーポ〉に彼が書いたレンデル評を見れば明らかだ)。
 この文章の要諦は二つだ。すなわち、
・「わたしはリッチな精神に支えられた小説が好きなのである」(『夜明けの睡魔』、創元推理文庫、p.289)
・「ミステリは、殺人という狂気じみた題材を、狂気とは正反対の精神――知性や理性で楽しむ虚構なのである」(同、p.292)
 こう並べると、瀬戸川のバックボーンに開高の精神がバシッと叩きこまれているのがよくわかるのではないだろうかと思うのだが、どうだろうか。

 次に登場するのが小林信彦だ。本連載で小林の名前が出てきたのは第十二回「ブックマン瀬戸川猛資⑥」において〈読売新聞〉のコラム「昭和30年代翻訳ミステリ雑誌の疾走」の中でのことだ。そこではごくあっさりした扱いになってしまったが、瀬戸川はそれ以外にも小林に関連する文章を書いている。例えば〈週刊文春〉での『コラムにご用心』評(1992年6月25日号)、あるいは、小林の映画評論集『映画を夢見て』(ちくま文庫、1998年1月)の文庫解説があげられる。
 この解説「小林信彦の映画批評から何を学ぶべきか」は、本連載の第4回「ミステリ評論家瀬戸川猛資③」で取り上げた福永武彦・中村真一郎・丸谷才一『深夜の散歩』(ハヤカワ文庫JA、1997年11月)の文庫解説と並んで瀬戸川の文庫解説の仕事の掉尾を飾るものだ。
 瀬戸川はこの文章をこのような形で始めている。

 小林信彦の映画批評は、それのみで独立不羈の世界を構築している。似たような批評は過去には存在しなかったし、将来も出現することはないだろう。もちろん、日本のみならず海外も含めての話である。
 だが、ここまで独創的だと、影響力も巨大なものとなる。意識的にせよ無意識的にせよ、マネをする者が増えてくるのだ。まず小林文体のマネであるが――やめなさい、そんなことは。マネをしようとしてもマネにならないから。誰もマネとは思ってくれないから。そのくせ一人で妙な啖呵を切ったりして、読むに耐えないほど醜悪なものとなる。まあ、こんなことは多少なりとも文章を書いたことのある人間ならわかるだろう。
 問題は、小林信彦の批評をウケウリする連中である。これもまたキケンであり、時にはマネ手のブザマさをさらけ出すことになるから、やめたほうがいい。

 ヒェッ、手厳しい。続いて瀬戸川はこのように語る。

 では、本書から何を学べばいいのか? 範とすべき点はないのか?
 もちろん、ある。たったいま私が書いた「一つのジャンルをどこまでも追いかけてゆく映画への情熱」「時代を視る眼」の二点だ。

 過去から現在へと受け継がれていく作品群。膨大な「過去」を積み重ね、「現在」を的確に見抜く眼を持つことで、まだ誰の前にもない「未来」を知っていく……それは小林信彦の活動の初期からまったく揺るがぬポイントである。それを端的な言葉で表現する瀬戸川の力は確かだ。
 ただ、個人的には瀬戸川のこの言葉にそれ以上のものを読み取ってしまった。本人の企図しないところで盛り込まれたものかもしれないが……すなわち、これらの文章は小林信彦を指すと同時に瀬戸川自身をも示しているのではないかということである。ミステリの分野において、瀬戸川ほど「一つのジャンルをどこまでも追いかけていく情熱」と「時代を視る眼」を的確に、しかもバランスよく持ち合わせていた評者はいない、と言っては過言だが、該当する者はそう多くはないだろうと思う。そして、ミステリ評論において「文章の上っ面だけ撫で」て、本質をまるで理解しないサルマネをされたという意味でも、瀬戸川ほどの「被害者」はそういない。
 この文章が瀬戸川の「最後の文庫解説」になったというのは、ただの偶然だ。おそらく瀬戸川は、純粋に小林のオリジナリティを、それを支える情熱とセンスを称え、自らのあるべき姿として記しただけだろう。ただ、自分はこの文章を瀬戸川からのある種の「叱責」、またある種の「エール」として受け取った。亡くなる直前まで「情熱」を失うことなく、色々なものを「面白がり続けた」この偉大な先達に続く何かを生み出していければと、考えるばかりだ。

 当初の予定では、この後丸谷才一について書くつもりだったのだが、文字数も規定量に近づいているし、丸谷についての瀬戸川の文章は既にいくつも紹介しているので、割愛することとした。予定の目次との変更、相すまぬ。


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