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第15回「ブックマン瀬戸川猛資⑨」

 そろそろ瀬戸川の書評連載についてもネタが尽きてきた感があるが、さて、今回取り上げるのは、〈東京人〉1997年1月号から始まったコーナー「事事物物/東京人の読書」に連載された書評である。
〈東京人〉と瀬戸川の関係については前々回に語った通り、丸谷才一・向井敏との鼎談「ハヤカワ・ミステリは遊びの文化」(1989年2月号)をその端緒とし、また1990年7月号のBooksでは川本三郎『アカデミー賞』(中公新書)の書評を寄せている。その後若干の期間をおいて、1996年3月号では逢坂剛、川本三郎、小林静生との鼎談「古書店は宝の山」が掲載された。なお、瀬戸川猛資と「古書店」という組み合わせでは、『世界古本探しの旅』という本も出ている。これは、瀬戸川を含む数人の古本マニアたちがそれぞれ世界の古本屋を訪問するという〈小説TRIPPER〉に連載された企画をまとめたもので、1998年に刊行された(瀬戸川の「ロンドン古本探しの旅」は1995年冬号に掲載された)。

 閑話休題。連載の話に戻ろう。この連載は「書評同人」というグループが持ち回りで寄稿するというもので、当初は「鹿島茂、五味文彦、瀬戸川猛資、向井敏」とクレジットされていた。のちに青山南、猪口邦子、松岡和子も加わって総勢七人になっている。
 コーナーの構成は1ページ書評・2ページ書評・2ページ書評の三本立てである。この枠の使い方は各々の評者に任されていた節があり、特に瀬戸川は1ページ書評を担当する時には「読書日記」と称してよりエッセイに近い文章を書いていた。例えば、第一回に当たる1997年1月号で巻頭の1ページを担当した瀬戸川は「「風の谷のナウシカ」は〈指輪物語〉?!」と題して、「前年1996年10月から11月までの日記を抜粋した文章(という体のエッセイ)」を寄稿している。実際に瀬戸川が読書日記を付けていたかは知る由もないが、尋常の書評よりも一層生の声に近い彼の文章が読めるというのは貴重であろう。取り上げているのは野口悠紀雄『「超」整理日誌』、松田道弘『遊びとジョークの本』、サミュエル・R・ディレイニー『アインシュタイン交点』の三冊。ちなみにタイトルに関わるのは『「超」整理日誌』。同じく大ベストセラーの『「超」整理法』の二番煎じかと思いきや、中心を占めるのは『風の谷のナウシカ』論であったという驚きを語りつつ、ベストセラーの続刊と思って買ったビジネスマンたちの戸惑いはそれ以上であったろうと苦笑している。
 また、2ページ書評では、徳岡孝夫『五衰の人』、ピーター・アントニイ『衣装戸棚の女』【前回、瀬戸川は90年代のクラシックミステリ復古に言及していないと述べたが、こちらを見落としていた。伏して謝す。ただ、それでも異様に少ないのである】、コーリイ・フォード『わたしを見かけませんでしたか?』、矢野誠一『文人たちの寄席』、植松黎『毒草の誘惑』、シャーリイ・マクレーン『マイ・ラッキー・スターズ』、古厩忠夫『裏日本』、森まゆみ『鴎外の坂』、筒井康隆『敵』、高橋豊『幻を追って』、宮城谷昌光『太公望』の11冊を扱っている。これらの内容は、〈毎日新聞〉の「今週の本棚」と概ね方向性を同じくしており、瀬戸川の実力の高まりを感じさせる。とりわけキレのいい書評としては筒井康隆『敵』についてのものが上がるだろう。瀬戸川は〈毎日新聞〉の書評でも筒井作品を三度取り上げており(『朝のガスパール』、『筒井康隆の文藝時評』、『邪眼鳥』)、いずれも高く評価している。同じ作家の作品を取り上げることが少なかった瀬戸川がいかに強い興味を筒井に抱いていたか分かろうというものだ(実際、ほかに三回取り上げている作家は川本三郎だけだ。(資)名義の短文紹介も含めるなら和田誠も三回)。

 個人的に興味深く読んだのが、1ページ書評の中で唯一「読書日記」ではない、「「戯曲を読む」という習慣を。」(1998年9月号)である。これはアガサ・クリスティー/チャールズ・オズボーン『ブラック・コーヒー(小説版)』を取り上げた書評で、内容は正直かなり手厳しい。とはいえ、それは内容以前の問題、つまり「一度戯曲として世に出たものをノベライズする(しかも他人の手によって)必要なんてあるのか」というツッコミである。「それもこれも「戯曲を読む」という慣習を、我らが身につけていないせいだろう。とりわけ探偵小説ファンにはこの慣習が全く浸透してないといっていい。残念なことだ」という瀬戸川は、では劇作家としてのクリスティーの腕前は?と分析を始める。「会話が巧みであるとか、台詞がしゃれているとかではない。そこは、いつものクリスティーのままである。ただ、会話によって浮き彫りにされてくる人物キャラクターが生き生きしているのである。そのからみあいが生む緊張感もたいしたものだし、小説には見られぬユーモアまである」「アガサ・クリスティーの本質は劇作家だったのではないか。女史の文章が平易だが味わいに欠けるのは、芝居のト書きの呼吸で書かれているせいではないか」
 なるほど~と思わず言及されている『ブラック・コーヒー』や『ねずみとり』を手に取って検証したくなる。台詞の分析というと、〈毎日新聞〉の書評の中で言及した和田誠『お楽しみはこれからだ PART5』のことを思い出すが、瀬戸川がこのように言及するのは、彼自身アガサ・クリスティーの戯曲を翻訳したことがあるからだろう。具体的には『ホロー荘の殺人』と『そして誰もいなくなった』の二作がそうだ。このうち前者は〈ミステリマガジン〉2010年4月号に再録されているが、後者は残念ながら読むことができない(他の訳者による翻訳は存在する)。瀬戸川が語るところのクリスティーの劇作における会話の妙を彼がいかに日本語に落とし込んだか、原作と突き合わせながら改めて確認してみたくなってくる。
 このように、新たな媒体においても活躍していた瀬戸川であったが、1999年の登場は4月号の「読書日記・春」一回であった(日記の日付は一月と二月)。同年夏に亡くなった彼が、おそらく最後に書いた原稿がこれだったのではなかろうか、と少ししんみりしてしまった。

 ここまで、瀬戸川猛資の「文芸評論家」としての仕事についてみてきたが、取り上げる機会がなかったものについて若干述べておく。まず講談社の〈現代〉では、「本のエッセンス」のコーナーに寄稿を行っていたが、回数・分量が少なく、ごく不定期的なものであったため割愛した。文藝春秋の〈マルコポーロ〉でも「ミステリーはこれを読め!」として、北上次郎とページを分け合う形で書評を載せているが、これも回数はごく少ない。文藝春秋における仕事の一部として取り上げても良かったが、機会を逸した。同じく文藝春秋の〈カピタン〉における川本三郎・和田誠との鼎談「今日も映画日和」(のち単行本化)と併せて語るにはテーマがかけ離れすぎていることもあるし、本連載では割愛することにする。
 テーマがかけ離れていると言えば〈EQ〉における「むかしむかし何かが……」(1998年1月号~1999年3月号、全7回)は良く分からない連載である。ひらいたかこの挿画とともに「グリム童話」などの昔話をミステリ風に再話することを狙った企画と思われるが、結局完結することがなかったため全体像を窺い知るすべがない。先ほどの翻訳と並んで「瀬戸川猛資の創作」にタッチする数少ない機会であったわけで、何とも残念なことである。

 さて、次回は「BOOKMAN瀬戸川」編の締めくくりとして、瀬戸川に大きな影響を与えただろうと思われる三人の評者について、瀬戸川自身による評を軸に考えていく予定だ。あるいはそれこそが瀬戸川という評者を語るうえで重要な切り口になるような、そんな気がしている。


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