ドラマを見るのは持久走!|最終回を見ないままになっているのはなぜ?
テレビドラマを見るのが好きな、れっどぱんだです。
ドラマを見始めたのはいつだったか。
はっきりとは覚えていませんが、小学生の頃からだったと思います。
祖母が見ていた時代劇を、隣で一緒に見ていのが最初の記憶です。
時代劇以降、日本のドラマ(現代劇)に始まり、海外ドラマ(主にアメリカ)まで、数多く見てきました。
現在も、日本のドラマを毎回楽しみに見ています。
ドラマを見ることは、今や私のライフワークになっています。
しかしある日、ふと気がついたのです。
ここ数年「ドラマの最終回を見ないままになっていることある」と。
失礼な話…。
でもこれには理由があります。
今回は、なぜドラマが好きなのに最終回を見ないままになっているのか。
考えてみました。
終わってしまうのが寂しい
ドラマの最終回を見ないというのは、見ないことを、決めているわけではありません。
最終回を見ていない状態で、次のクールのドラマを見始めていることを意味します。
ドラマのワンクールは通常約3カ月。
私の場合スタートからずっと見続けて、最終回だけ見ないことがあります。
その理由は、単純にドラマが終わってしまうのが寂しいからです。
終わって欲しくない、寂しい、だから最終回はまた今度にしようと。
ドラマを見るのは持久走
例えば、ドラマを制作することがマラソンだとすると、私にとってドラマを見ることは持久走です。
好きなドラマの場合、私は1話につき3回(もしくはそれ以上)は見ます。
1回目、楽しむ
2回目、演技を楽しむ
3回目、脚本を楽しむ
これをワンクールで、10話~12話繰り返すことになります。
ここで「持久走」とは何かを調べてみると。
1話につき3回見るには体力を必要とします。
10話~12話という長い距離をほぼ同じ速さで走り続けるのは、簡単にできることではありません。
最終回を目前にして疲労困憊になることが多くあり、力が尽きてしまうのです。
ゴールしたい気持ちはあるのに、体力がない。
つまり、最終回を見ないままなのは、私の体力不足によるものです。
過程を楽しみたい
私は最後がどうなるよりも、最後に行き着くまでの過程を楽しみたいと考えます。
好きな食べものは、最後に取っておくタイプとは違うような。
最後まで取っておいて食べないタイプなのか?
途中で食べてしまうタイプなのか?
過程を見ることができれば、最後はどう着地してもいいんです。
ドラマの1話1話の中で、俳優さんの演技を見て一喜一憂したり、脚本に心を動かされたり。
途中で力が尽きて、最終回にたどり着けなくても十分楽しいのです。
無事最終回にたどり着いて、着地がどうなったか知ることができれば、その時は持久走完走です!
今日のひとこと
楽しくて力尽きるタイプ
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