Polar star of effort (case8 後編) アスリートとアスリートに関わる全ての人達に・・・
Case 8 35歳 男性 競輪 後編
石渡さんは、すでにウォーミングアップを終えていた。
「今日のコンディショニングは大丈夫ですか?」
「大丈夫です。前回の内容もバンクで確認してました。問題ないと思います。」
「いいですね!では、実際の動きをやってみましょう。と、その前に結論を言いますと、一般に言われる筋肉を大きくするトレーニングとパフォーマンスUPのためのトレーニングは、全くの別物です。どっちが良い、悪いではなく違うものだと考えてください。」
「え?違うんですか?」彼は、首を傾げた。
ということで、実際に「利重力デッドロー」で負荷を掛けてトレーニング開始。
前回やった「デッドロースクワット」の動きを思い出しながら、動作を確認する。
この動作を見ると、9割の人は、「腰を痛める」と言う。確かに腰が反っているように見えるが、ハムストリングスと殿筋の張力を引き出し、胸腰椎移行部が可動すれば、腰には全く負担がかからない。
本来動くべき部位が動いているだけなので当然である。腰に負担がかかる場合は、胸腰椎移行部そのものの可動制限や、肩甲骨、骨盤との連動が上手くできてないことが考えられる。
いずれにせよ、各関節の可動域が良好に保たれていることが重要。その関節の可動域を左右するのは、筋肉の柔軟性である。 すなわち、人間の行動体力の要素で最も重要なのは柔軟性と考える必要がある。
「石渡さん、腰は大丈夫ですか?」
「大丈夫ですね。でも、これは逆ですね。」
彼は、気付いたようだ。そう、一般のデッドローは重りを持ち上げる時に肩甲骨を背骨に寄せる。しかし、利重力デッドローは、重りが下がった時に肩甲骨を寄せる。
肩甲骨を寄せながら重りを受けることによって体幹部のバネを引き出すのである。
重りが下がり切った瞬間に最大の出力を発揮できるように練習していくのがポイント。
自転車に置き換えて考えてみよう。ペダルを踏みこんでダッシュをする際、何種類かのパターンがある。今回は、ハンドルを引き付けて上半身を固定しその力を利用してペダルを踏み込む動作とリンクさせる。
一般的にデッドローとは背中の筋トレであるが、今回の場合は脚の種目と考える。正確に言うなら身体のどこの部位の種目と考えるのではなく、単純に地面を押し付ける力を高める種目ということである。
つまり、自転車で考えるとペダルを踏み込む力が高まるということになる。
ハンドルを引き付ける力を利用して体幹部のしなりによって骨盤が前傾する。
股関節に骨盤が上から被さり、上から押しつける。地面を踏み込む力が増す。
ということは、脚の力を使わず、体幹部の出力でトルクを掛けることができる。
扱える重量が増せば増すほど、自転車のダッシュ力がUPするという理屈である。
得てして、デッドリフトやデッドローといった種目は重りを引き上げることが主目的になり、骨盤を立ち上げることだけ考える。
「利重力デッドロー」は、バーベルやダンベルの重さを利用して、この場合、重量を一度受け入れて、体幹部や殿筋、ハムストリングスの張力を引き出すことが重要になる。
さて、ここで一つ疑問が出てくる。「自転車の乗車フォームは、背中丸いよ。それでは、実際のフォームとはかけ離れているのでは?」ということである。
そう、「見せかけの猫背」がある。
例えば、二人の競輪選手。背中が丸い。この二人は「見せかけの猫背」であり、本当に背中が丸まっているわけではない。
腰が丸まっているだけである。「猫背」か「見せかけの猫背」の判断のポイントは上背部。
自転車という狭いスペースの中で、体幹部全体をしならせたフォームをとるのは難しい。かといって本当の「猫背」では、パフォーマンスは低下する。
この限られた狭いスペースの中で骨盤前傾、胸腰椎移行部の伸展の姿勢をとろうとすると腰が丸まるのである。
簡単に言うと、見た目は丸いが、中身は反っているということである。
これを見抜けずに一流選手の真似をして同じフォーム、同じトレーニングを行うと、とんでもないことになってしまう。
やっていること、見た目は同じなのだが身体の中で行われていることは全くの別物になってしまう。当然効果も別物になる。
結果、パフォーマンスが下がってしまうのである。
チーターは、「走り方」を考えない。「本能」のまま走る。それが本来のパフォーマンスを発揮する最大の秘訣である。
身体能力が高いアスリートは、どんな体勢、空間、環境の中でも人間の本能の身体動作を行う。それは、考えて行っているのではなく「本能」なのである。
「本能」の身体の使い方とは「重力を利用した身体の使い方」である。
生物が地球上に誕生してから重力の下から逃れたことはない。重力があることを前提に進化してきたのを考えれば当然の話である。
すなわち
石渡さんの動作は良好であった。
「石渡さん、大丈夫そうですね。負荷を掛けていきましょうか。」
さて、負荷を利用して肩甲骨、胸腰椎移行部、骨盤の連動により体幹部のバネの力が引き出せることを確認できれば、あとは一般的なウェイトトレーニングの理論が当てはまる。
例えば、筋力アップの最も基本的な負荷のかけ方は、最大筋力の80%の重量で10回3セット行う。などのウェイトトレーニングで行われているセオリーを取り入れていくだけである。
ただし、ここで気を付けなければならないのは、背筋の筋力で力任せのやり方と、体幹部のバネを使って行うやり方では、最大筋力が変わってくる。
多くの場合、力任せの方が重いものを持ち上げることができる。
それは体幹部のバネを使って重いものを持ち上げることに慣れていないためである。それだけ、体幹部が使われていないのである。当然、競技動作にも体幹部の力が使われていないことを意味している。
これが、慣れてくると体幹部を使った方が遥かに重いものを持ち上げることができる。
最大筋力を測定。
「石渡さん、軽めから始めましょう。そうですね。石渡さんの場合、40㎏からスタートしましょう。動作を崩さないように1回引き上げてください。」
彼は、軽々と持ち上げた。10㎏ずつUPしていく。100㎏のところで体幹部のしなりがなくなった。
「ここまでですね。初めですから、ざっと分ればOKです。MAXは100㎏としましょう。」
「え?まだ余裕ありますよ。」
背部の筋力で引き上げれば、まだ重い重量を引き上げることができるだろうが、ここで大事なのは、終了の目安はオールアウトではなく、動作が崩れた時だということである。
オールアウトとは、筋肉中に乳酸という物質が溜まって筋肉が動かなくなる状態をいう。一般に筋肉をオールアウトの状態に持っていくことを「筋肉を追い込む」と表現する。
ボディビルやボディメイクのトレーニングでは、筋肥大させるために、いかに筋肉をオールアウトさせるかが目的となる。
しかし、競技パフォーマンス向上を目的とする場合、動作が崩れた時が終了となる。動作が崩れた状態でトレーニングを続けても意味はない。意味がないだけならまだいいが、マイナスに働きパフォーマンスが低下してしまう。
「え?筋力があった方が、パフォーマンスは高くなるんじゃないですか?」石渡さんは、眉をひそめて聞いてきた。
私は、ちょっと考えて「結論から言うと、一流と言われるアスリートたちは、初めから乳酸が溜まるような筋肉の使い方・・・いや、身体の使い方をしていないのです。」
競技パフォーマンス向上を目的とするなら、ある「呪縛」言い換えるなら「一般常識による洗脳」から脱しなければならない。
それは、
という「呪縛」である。 一般的に考えるなら、乳酸が溜まるのは当たり前で、それに耐えて動かすことが強さにつながると考える。
よって練習、トレーニングの目的は、乳酸を溜め、耐えて動き続けることになる。
一流アスリートは、いかに乳酸を溜めないで動き続けるかを目的とする。
真逆である。この始めのボタンの掛け違いが一流とそうでない選手との差になる。
始めのボタンが一つズレてしまえば、その下は全て掛け違いになってしまう。
ボディビルやボディメイクのウェイトトレーニングのやり方は、いかに一つの筋肉を追い込むか、である。
一つの筋肉を集中して動かすには、一つの関節を一方向に動かす。つまり、身体の連動は考えない。むしろ連動をさせないように動かすのである。
筋肉を大きくするには、有効な方法であるが、競技パフォーマンスを向上させるには向いていない。人間は、同じ動きを繰り返すとその動きを覚えてしまう。
すると自転車を漕いでいるときも体幹部が使えなくなって、脚、特に膝を使ってしまう。
自転車でダッシュするごとに大腿四頭筋と殿筋が追い込まれていく、いうなればオールアウトへのカウントダウンである。
筋肉が動かなくなるのは時間の問題である。
片や連動によって体幹部のバネを使えば、より大きい筋肉の張力によって出力する。張力とは簡単に言うとストレッチである。
筋肉を伸ばして使うため筋肉への血流が促進され効率的に酸素が供給される。乳酸が分解されエネルギーに変換される。
つまり、動き続けることができる。
大きい筋肉の方が力は強い。つまり体幹部の筋群を使った方が力は強い。なおかつ動き続けることができる。
どちらが競技パフォーマンスの向上につながるかは明白である。
ここまで説明すると、石渡さんは、
「でも、野球なんかでメジャーに行った選手がウェイトトレーニングでパフォーマンスがUPしたなんて話聞きますよ。」と疑問を投げかけた。
秘密は、一流と言われるアスリートは元々意識せずとも重力を利用した体幹部のバネ使い方ができているためである。
筋肥大を目的にした筋トレを行っても、身体が自然に体幹部のバネを使って重りを持ち上げてくれるのである。
悪い言い方をすれば、きっちりセオリー通りやらないで、いい加減にというか、適当にやっているということなのである。
身体能力の高い「天才」と呼ばれるような人達は、そこから違うのである。ただし、「天才」にも弱点がある。
それは、自身がこのような身体の使い方を行っているという「自覚」がないことである。
例えば、ケガをして復帰した後、スランプに陥って、なかなか復調することができないといったケースがしばしばみられる。
ケガによって関節可動域が変化すると、今まで自然に行われていた動作が崩れてしまう。今まで意識せずともできていた動作なので、ケガをする前、どのように動作していたのかが分からないのである。
調子の良かった時の動画などを見返して戻そうとしても、どうやって動いていたのか、動作ができていたのかが分からない、といった状況に陥ってしまう。
そうなると、もう迷子である。良かれと思われるものを取り入れるが、逆効果になってしまい、さらに調子を落としてしまうのである。
もし、努力により獲得した動作、感覚ならば、仮にケガで動作を失っても戻すことができるのである。なぜなら、獲得した過程をなぞれば良いだけだからである。
ここに「天才」に「凡人」が勝つチャンスがある。
おっと、話を戻そう。トレーニングの重量を設定しなければ。
競技パフォーマンス向上のためのウェイトトレーニングの重量設定は、ギリギリ正しい動作で扱える重量がその人の適正重量ということになる。
「石渡さん、MAXが100㎏ですから、計算では80㎏になりますが、今回は、初回ということもあるので、60㎏から始めてみましょう。」
「分かりました。60㎏を10回3セットですね。」
動きはそのまま、重量を上げていくだけ。この体幹部のしなりが消えた時点で終了。
すると、動きに必要な筋肉が必要な分だけ鍛えられる。つまり、必要な筋肉が必要な分だけ大きくなる。見た目も機能的な身体つきになっていくのである。
決して筋肉を大きくすることが悪いことではない。動作に即してバランスよく機能的に発達させることが競技パフォーマンスUPには重要なのである。
「なるほど!全然疲労感が違いますね!疲れるは疲れますが、どこか一か所の筋肉が疲れるんじゃなくて全身というか、なんか身体の内側からドッと疲れる感覚ですね。疲れるんですけど、まだ動ける感じがあります。確かに、これは今まで経験したウェイトトレーニングとは別物ですね。」
その後、彼には今回の動きを基本に、複数の筋力強化の種目に取り組んでもらった。
それから半年後、石渡選手は、G1レースの決勝に出場していた。最近は競輪もG1の決勝は地上波で放送してくれる。
残念ながらG1制覇とはいかなかったが、思わず声が出る熱いレースを見せてくれた。
今日も・・・いや、たまには本物のビールで乾杯しようか・・・・
スタートラインに立ち、結果を残すのはアスリート本人である。
トレーナーとは、常に裏方の存在なのである。
このお話は、一部事実を元にしていますがフィクションです。
この事例が、全ての人に当てはまるとは限りません。トレーニング、ストレッチをする際は、専門家にご相談ください。
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