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【ニューヨーク物語①】

アメリカ合衆国ニューヨーク州ニューヨーク市は、人口約820万の米国最大の都市である。東京都23区の人口が約970万なので、東京の方が人が多い。ニューヨーク市の陸地面積は約800㎢、東京23区は約620㎢、東京の方が混み合っている。
 アメリカのサイズ感はどうもピンと来ない。例えばニューヨーク州の広さは日本の北海道プラス九州より広いのだ。
 ニューヨーク市は、マンハッタン、ブロンクス、クイーンズ、ブルックリン、スタテンアイランドの5つの行政区からなる。いづれも映画やTV、歌にもよく出てくる地名である。
 特にニューヨークの代名詞でもあるマンハッタンは摩天楼のイメージが強い。
 マンハッタンとは先住民のアルゴンキン族のレナペ語で岡の島を意味する。昔は岡が連なり、森や川、沼に多くの野生動物が生息する大自然のパラダイスであった。たぶん新宿もそうだったろう。
 1524年にイタリア人の海洋探検家ジョヴァンニ・ダ・ヴェラツァーノがフランス国王の要請で大西洋から太平洋への水路を探すための航行中にマンハッタン島を発見した。しかし彼は上陸はしなかったという。惜しかった。彼の名の付いた橋があるようだが。
 1609年にイギリスの探検家ヘンリーハドソンがオランダ東インド会社に雇われ、同じく太平洋への航路を探してマンハッタン島に寄る。調査をしたり、原住民と交流したり、島の西側の川を上っていった。後に西側の川はハドソン川と呼ばれる。東側の川はイーストリバーだからそのままだ。
 この話を聞いて多くのオランダ人がやってくくる。彼らはここをニューネザーランド、新オランダ、と呼んだ。1621年にはオランダ西インド会社を設立、植民地建設を始めることになる。
 最初に植民したのは、大部分がオランダ人ではなく、カトリックの国スペインで迫害を受けたフランス系プロテスタントのユグノー教徒だと言われている。火あぶり弾圧から逃れ、ベルギー経由で西インド会社の従業者として新大陸にやってきたようだ。
 1626年にピーターミニュイットがニューネザーランドの総督としてやってくる。ここで彼の有名な伝説が生まれる。彼は60ギルダー(24ドル)程度のナイフ、ガラス玉等の小物類でマンハッタン島を買い取ったというのである。そもそもほぼ札幌と同じ緯度の寒いマンハッタンに定住した先住民などいなかったとか、先住民がいたとしても売買契約の概念などあるわけがないとか、交換レートは誰が決めたとか、もはやよくわからない話だが、この後土地を巡って激しい戦いが起こるのは当然と言えよう。
 兎にも角にも当時ニューアムステルダムと呼ばれたマンハッタン南部、今は無き貿易センタービル辺りでマンハッタンビジネスの幕が上がる。
【REG's Diary   たぶれ落窪草紙    1月23日(火)】
 


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