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そろそろ今後使わないと思うものは処分しようかな・・・

 私の両親は揃って85歳を超える大往生であった。戦争を体験してきた人たちにとって、経済的に急成長を遂げた我が国は、まさに物質天国であったと思う。おそらく戦時中や戦後暫くは食料品だけでなく、日用品品にも事欠くような生活であったと思われる。その後経済の発展によって世の中は商品で溢れ、次から次へと市場競争の原理に乗っ取り、より便利な新商品が出てくる。新しい物が来たり、同じような物の数が増えれば当然必要のない物は処分を余儀なくされるはずなのだが。

 私の両親は昭和世代にありがちな物を捨てられない体質であった。これは個人の信条によるので、全ての人にいえることではない。しかし、時代には関係なく物を捨てられない傾向の人は存在する。大方、取っておけば、この先何かに役に立つかもしれないという発想に基づく。しかし、そのように溜まっていく物が日の目を見ることは殆どない。役に立つ瞬間が訪れたとしても、残しておいた物の存在すら忘れたりしている。友人の中には「開かずの間」に押し込めている人もいる。

 私は両親の遺品を整理するのに数年かかった。大量の品物を廃棄した。個人的には楽しい作業だった。様々な事を思い出したり、こんな物までと爆笑したり、少額のお小遣いをゲットすることもあった。特に個人の趣味に関する物は、興味がない者にとっては全くガラクタでしかない。

 今の若者達は不要な物はネットでどんどん売っていくというスタイルが定着しているようだ。効率的で賢い対処だ。

 さて私もこの年になり、そろそろ終活の一環として不必要な物は整理をしようと考えている。あまり家族や親族に負担をかけたくないし、寧ろ自分の意思で処分したいと思うのだ。

 ここで改めて時代を感じるのが写真。昔はフィルムを現像した写真しかなかったので、写真やアルバムが、ある時代までの紙の記録として残っている。しかもモノクロからカラーへという変遷も。ディジタルの時代になってからは全く無くなった。

 終活として家族にしっかり伝えなけければいけない情報もあるが、必要の有る無しを判断したり、にやにや昔の写真を眺めたりしながら、片付けも楽しみたい。
【REG's Diary  たぶれ落窪草紙  4月10日(水)】

 

 

 

 

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