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めんどくさいことがもたらす光!

53歳独身。最近は一人で長い休みやイベントごとを過ごすことに全く違和感を感じなくなってきました。

数日前「靴をそろえない」と言うことをビジネスパートナーにマジモードで指摘されるということがありました。「育ちがわかります。」と結構きつめに言われるという悲しい話です(笑)
言い訳させてもらうと気を抜いていて、揃えなかったんだと思うけど、その時に初めて一人時間が長いと、いろんなことがルーズになっていないか?って思たんです。

自分を大切にする

最近”ご自愛”と言う言葉が流行ってますよね。

ご自愛とは自分のことを他人を愛するように大切にする。

私はこれがなかなかできない。
決して、自分をないがしろにしているわけではないし、
どちらと言うとわがままに暮らしていると思う。

でも、「一人だから散らかっててもいいか」とか
「片付けなくても誰からも怒られないから、別にいいか」なんて
私が気持ちいいかとかどうかではなくて、人から見られれているか、いないか、みたいな他者目線で決めることが多いんです。
私も散らかっているよりきれいな部屋がいいんだけど、つい使ったら使いっぱなし、出したら出しっぱなし。”丁寧”とは無縁の暮らしっぷりです。
そういうことから、誰か一緒に暮らすパートナーでもいると、他者目線で暮らす私は少し、”きちんと”できるんじゃないか、と思ったんです。

きちんとしたい!

私もできることなら、”きちん”とした生活をしたいです。その解決方法の一つとして、53歳だけど、彼氏探しをやろうかと目論んでます。
これしか方法はないような気がしてきてます。
誰かと一緒にいてちょっと気を使いながら暮らす。そう言うことで私にも”繊細さ”と言うものが戻ってきそうな気がしています。
思考を現実にするには「先に現実化したときの感情になる」ことが重要です。例えば「彼氏ができた時の感情を先に感じる」ってことをやるんですね。でも一緒に暮らすってホントにちょっとしたことで気を遣うとか出てくるじゃないですか?そこまでは妄想できなかったんです。
実際久しぶりに息子と数日暮らしただけで、「ドア静かに閉めて!」って言われちゃいました(笑)これがパートナーならずっと続くんですよ。
ドアをそっと閉めるとか当たり前のことができないからだになってしまっている私を矯正できる最強の作戦だとますます思いました。

めんどくさいことが律してくれている

何も規制するものがなければ、どんどん緩くなります。
誰かといるのはめんどくさいかもしれないけど、その”めんどくさい”が”緩み”を律してくれています。
些細な気の使い方や、言葉のかけ方など人との関係の中からしか磨かれません。そういう意味から私は完全に”おばさん化”してしまっていました。
めんどくさいことがなくなるのはいいことの様で、実はそのめんどくささが繊細さを磨いてくれていました。
世の中の中年女性の皆様、めんどくさくてもゴムではなくホックのチャックのスカートを履きましょう。そのめんどくささの先にウェストのくびれが見れるかもしれません!
私もめんどくさいの先の光を信じて、パートナーに出会えるように過ごしていこうと思ています(笑)




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