自分のために泣いてあげる。

先週、交通事故に遭った。

朝、バイクに乗っていて直進していると、前を走っていた車が急に左折し、巻き込まれてしまったのだ。
幸い、骨折や脱臼、すり傷もなく、軽い打撲だけで済んだ。
相手も誠意を持って対応してくれ、事なきを得た。

しかし、さすがに夜には痛くなった。痛み止めを飲むほどじゃないが、処方された湿布を貼り直した。
「つめたっ」と顔をしかめると、だんだん泣きそうになった。
「なんでこんな痛い目に…」「でも、私の不注意もあっただろうし…」
私の心の声が頭をぐるぐる回る。

布団に入る頃にはすっかり弱気になっていた。
「しんどい…」「ツライ…」「さすが厄年…」
妙に寂しくなって、暗い中を歩いているような気持ちになった。
友だちに話したくても、もう夜中。
家族は眠っている。
いるのは、私だけ。
目をつむると、暗い中に私がいるような気がした。
なんて声をかけよう。もし、同じような事故に遭った友だちがいたら、何て言おう。
「痛かったね……辛かったでしょう……」
その瞬間、ぶわぁっと涙が出た。

一年くらい前から、自己否定するクセをどうにかしたくて、自己啓発の本を読み、心理学のセミナーに行っている。
クセは仕事や恋愛に影響を及ぼしていたから、必死だった。
自己否定はやがて承認欲求に拡大し、「誰かに褒められたい。認められたい」という想いが強くなっていた。
でも、褒められても満足しなかった。
むしろ「もっと、もっと」と、欲しがるようになった。
そして、「がんばれがんばれ。褒められるためにがんばれ」と、自分にムチを叩いて、走らせた。
カーブで転んだ。
前を走る人たちの、遠くなる背中を見ていた。

自己否定を直すにはまず『自分を認める』ことが必要らしい。
それまでの私は自分を認めることなんてしなかったし、やり方が分からなかった。
少しずつ、自分を褒めるようになると、周りが褒めてくれるようになった。
今でも一瞬、「そんなすごくないよ」と謙遜しそうになるが、ぐっと飲み込む。
でも、褒めることはできても、慰めることができなかった。
惨めな自分を認めることが恐かった。
でも、さすがに今回の事故は慰めるしかなかった。だって、痛いし。
そして、打撲で済んだ自分を褒めるしかなかった。だって、強い体なんだし。

翌朝、清々しく起きられた。
痛いはずなのに、辛くなかった。

それ以来、私は自分に『おはよう』『おやすみ』を言うようになった。
まだ恥ずかしさはある。
だけど、すぐ気にならなくなるだろう。
私が私の中にちゃんといる、という安心感があるから。
#コラム #エッセイ #日記 #心理学 #自己啓発



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