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第十九話 清純可憐な優等生美女の、露わな太ももに……

【前回までのあらすじ】

 夏祭りで出会った市川満里奈さん(18)と、本の貸し借りをするようになったぼく(16)。清純可憐で優等生系の彼女に、ぼくはすっかり恋をしてしまっている。
 海辺の近くのかき氷屋さんでデートを重ねるなか、前回は台風も接近していたとあって、ほとんどお喋りができなかった。結局、土砂降りの雨のなか、自転車で帰ってきたぼくは、ひどい風邪を引いてしまって……。




「ほんまにつらそうやな……そうや、これ、姉ちゃんが潤に渡しといてって」
 風邪を引いてから三日目、勇吉が見舞いにやってきた。千鶴さんから預かってきたという瓶の栄養ドリンクをぼくの枕元に置いた。
「悪いな、風邪うつるから、来なくてよかったのに」
 水枕と、おでこに氷嚢を乗せて、ぼくは咳き込みながら言った。
「アホか。気にするな。熱はだいぶ下がったんか?」
 病人が珍しいかのように、勇吉はまじまじとぼくの顔を見下ろしてくる。かつてはこんなふうに顔を合わせながら、大人の女性をあいだに挟んで、腰を振り合ったものだ。いまはとてもじゃないが、そんな気持ちになれない。
「昨日は三十八度ぐらいあったけど、今日は三十七度半ぐらいになったよ」
「そうか。明日には復活するとええな。潤がなかなか遊びに来ないから、みんな心配しとったで」
「みんな?」
「陽太に姉ちゃん。それに夏帆、理沙、静子も」
 久しぶりに一号機、二号機、三号機の名前を聞いて、ぼくは「あぁ」とつぶやいた。
 陽太や千鶴さんとも、なんだかんだいって十日以上会っていない。夏祭り以降、それこそ熱に浮かされたように、ぼくは満里奈さんに熱中していた。
「なあ、潤、お前ほんまはもう飽きているんやろ?」
 勇吉がにぃと白い歯を見せて、冷やかすように言ってきた。
「は? なんのことや?」
「隠さなくてええって。まあ、はっきりいってオバハンばかりやもんな。俺はあれぐらいの歳の女のほうが好きやけど」
 勇吉はあぐらをかいた姿勢で、両膝を叩いて豪快に笑った。どうやら、一号機、二号機、三号機のことを言っているらしい。
「別にオバサンとは思ってないで」
 好きな女性が出来ただけなのだ。ただ、勇吉には言いたくなかった。女をモノのように扱う勇吉のことだ。「早くヤレよ」とか「女なんて多少乱暴に扱ったほうが興奮しよる」とか、ろくでもないことを言い出しかねない。ぼくは満里奈さんとは純愛でいたいのだ。
「とりあえず、はよう元気になれ。夏休みもあと十日しか残ってへんからな。はよう元気になって、遊ばないと損やで」
 真っ黒に日焼けした勇吉が、まだ遊び足りないように言った。
「……そうやな」
 そこだけはぼくも同意した。
 今日は八月二十一日だ。次に満里奈さんと会うのは五日後の二十六日だ。夏休みいっぱい祖母の家にいるといっても、二学期の準備もあるから、そろそろ実家にも帰らないといけない。そうなると、満里奈さんと会えるのも、次が最後になるはずだ。
「どうした? 大丈夫か?」
 思い詰めた顔をしていたのか。急に勇吉が心配そうな顔でのぞきこんできた。
「へ? ああ、大丈夫や……」
「ほんまか?」
「ああ……そうや、勇吉」
「なんや?」
「……いや、なんでもなかったわ」
 ひとつ聞いてみたいことはあったが、冷静に考えると参考にならなさそうなのでやめた。
「なんやねん! 困ったことがあったら、なんでも俺に言ってくれよ」
「ああ。とりあえず、せっかく持ってきてくれたから、それ飲むわ」
 ぼくは誤魔化すように布団から起き上がると、枕元の栄養ドリンクをつかんだ。
「おお。それ、飲んだら、めっちゃ元気になるで。なんてたって姉ちゃんのおすすめやからな。チンポもビンビンや!」
 バカみたいに大笑いする勇吉をみて、やっぱり女の子への告白の仕方など聞かなくてよかったと思った。
 ぼくは栄養ドリンクを一気に飲み干した。
 そう、夏は終わるのだ。次が最後なのだ。だから今度会ったら、満里奈さんに告白をしよう。




 八月二十六日、ぼくは満里奈さんと会うため、かき氷屋さんへ向かった。台風に見舞われた前回と違い、天気も良く、お盆を過ぎたとあって、うだるような暑さも少しは和らいでいた。おかげで、自分では一番お洒落だと思っている、襟付きのシャツが汗で汚れることもなかった。
 いつものように約束の十五時より三十分前に到着して、おばちゃんにカルピスを注文した。店の外のパイプ椅子に腰掛けて、カルピスを飲みながら、ぼくは告白の言葉を何度も反芻した。
 満里奈さん、夏休みが終わるからぼくはもう帰らないといけません。だけど、ぼくは満里奈さんのことが好きです。付き合ってください!
 こんな感じでいいだろうか。告白をするのも初めてのことで、ましてや満里奈さんとは二週間前に会ったばかりだ。時期尚早ともいえるが、今日を逃すと今度はいつ会えるかわからない。奥手なぼくがこれほど積極的になるのは、いうまでもなく、彼女が完璧な理想の女性だからだ。清純可憐な優等生タイプで、ほんわかと優しい。初々しさにも満ちていて、きっとまだ男も知らない処女だ……。
 彼女を思うだけで興奮が高まり、ごくごくとカルピスを飲んでいると、あっという間にグラスの中は氷だけとなった。ジュルジュルル~と氷の隙間に詰まったカルピスの残り汁を啜っていると、その音にかぶさるようにチリリン、チリリンと自転車のベルの音がした。
 来た! ぼくは音のしたほうを見た。
 そして、目を疑った。
 前カゴに籐編みのバスケットの空色の自転車で、満里奈さんがゆうゆうとペダルを漕ぎながらこちらに向かってくる。
 だけど、見たことのない服装だった。
 上は真っ白なTシャツで、下はデニムのショートパンツだった。意外にもむっちりとした肉感的な太ももが、太陽の陽光を浴びてきらめいていた。それだけではない。
「潤さん、お待たせ」
 爽やかな笑みで声をかけてきた彼女は、かき氷屋さんの前で自転車を停めると、
「今日は晴れて良かったね」
 くだけた口調で話しかけてきて、あ然とするぼくの前に立った。
 真っ白なTシャツもサイズが小さめで、ワンピースのときから存在感のあった隠れ巨乳を惜しげもなくアピールしていた。マスクメロンを詰め込んだような膨らみに、純粋な気持ちで告白をしようとしていたぼくの心は瞬く間にかき乱された。
 なぜ、今日はこんなにハレンチな格好なのだ。
 清純無垢で優等生的なイメージしかなかっただけに、ぼくは一瞬、目の前の彼女が別人かと思ったほどだ。
「潤さん、私、かき氷を食べたいんやけど、潤さんはどうする?」
 言葉遣いも以前は敬語を使ってくれていたのに、友達のようになっていた。それはそれで嬉しいはずなのに、ぼくは彼女の豹変ぶりにまだついていけていない。
「へ? あ、はい。ぼくも食べます……」ほとんどなにも考えず、答えていた。
「よかった。今日は私に奢らせて。何味にする?」
 財布から小銭を出している満里奈さんをボーッと見つめるあまり、またしても女性に奢られるという失態もしてしまった。
 結局、満里奈さんに勧められるまま、ぼくはブルーハワイのかき氷を食べることになった。満里奈さんはみぞれを注文した。
 それからまた二人で店の外のパイプ椅子に腰掛けた。
 満里奈さんはぼくが貸していた『二十四の瞳』をちゃんと読み終えていて、感想も聞かせてくれた。「途中から涙が止まらなかった」とか「同じ女性として、大石先生の強さに惹かれるわ」などと優等生らしいことを言ってくるのだが、ぼくはパイプ椅子に腰掛けた彼女の、はちきれんばかりの瑞々しい太ももから放たれる雌オーラにしてやられて、なにも頭に入ってこない。
 こんな子だったっけ? という戸惑いと、否応なしに目に飛び込む女の柔肌に雄の本能が自然とかき立てられて、体が熱い。
 もう熱もなく、今日はだいぶ暑さも和らいでいるのに、襟付きのシャツの首元がじんわりと汗ばんできていた。それどころか、股間も痛くなってきていた。考えまいと自制しても体は正直で、満里奈さんのそばにいるだけで、ペニスがむくむくと大きくなってくる。
 純粋な気持ちで告白をするつもりだったのに、これではやりたいだけの男ではないか。
「潤さん? 大丈夫? 具合が悪いの? 汗がすごいわ」
 満里奈さんがぐっと体を近づけて、ぼくの顔をのぞき込んできた。ふんわりとした夏みかんのような香りはいつもと変わらなかったけど、間近で彼女を見ると、唇がヌメヌメと輝いていた。口紅もうっすらと塗っていた。
「はい、大丈夫です……」
「ほんまに? しんどかったら無理せんといてな」
 満里奈さんが心配そうにぼくを見つめてくる。そのまっすぐな視線は先日見舞いに来ていた勇吉とどこか似ていて、ぼくはますます混乱した。
「本当に大丈夫です……あの……満里奈さん……」
 それでもぼくは自分の使命を全うすべく、告白をしようと試みたのだが、
「なあに?」
 彼女が妙に甘えるような口調でささやいてくるから、
「……いや、なんでもなかったです」
「なによ~。困ったことがあったら、なんでも言ってよ」
 こんな会話も勇吉と交わした気がする……。
 この日の満里奈さんはお喋りでもあった。学校にいる変な先生のことや、友達の舞子さんの誕生日になにをプレゼントしようか迷っていること、昨日見た不思議な夢の話もしてきた。
 そうこうしているうちにお互いかき氷を食べ終えて、小一時間ほど経っていた。早く告白をしなきゃいけないのに、今日の満里奈さんの色気に圧倒されて、ぼくは結局、なにもいえないでいた。
「ねえ、潤さん」
 ふいに満里奈さんが、ぼくの耳元に顔を寄せてきた。みぞれのかき氷を食べたあととあって、息も甘ったるかった。ドキドキしながら、ぼくは「なんですか?」と訊ねた。
「ちょっと私に付き合ってほしいんだけど」
「へ? 付き合う!?」
「うん。一緒に行きたいところがあるの」
 満里奈さんが内緒話をするようにひそひそとささやく。やっぱり今日の彼女はおかしい。この一週間でなにがあったというのか。困惑するぼくがごくりと息を飲んでいると、
「夏も終わっちゃうから、海にいかない?」
 考えてもいなかった展開にぼくは目を丸くして彼女を見た。
 すると、満里奈さんは純粋な子どものように瞳を輝かせて、かき氷の皿を空にかざすように持ち上げた。
 氷はもう溶けていて、ガラス製の小皿には甘い水だけがわずかに残っていた。
「ねえ、これ、綺麗やない?」
 そう口にしながら、ガラス製の小皿を下から覗き込む。
 陽の光を受けて、小皿の水が揺らめいていた。
 キラキラと水面が輝いて、そこにも小さな海があるみたいだった。
 そして、小皿から反射する美しい光が彼女の太ももを妖しく照らしていた。




 満里奈さんの見たかった海は、かき氷屋さんから自転車で、五分ぐらいの場所にあった。入り江状になっており、砂浜の距離は百メートル足らず。海の家などもない。プライベートビーチのような美しい砂浜で、地元民しか知らない穴場なのだろう。
 陽はまだ高かったが、時刻は十六時を回っているとあって、海水浴をしている人はひとりもいない。
「こんなところがあったんですね」
 海岸通りに自転車を停めて、ビーチに続く石段を下りながら、ぼくは言った。
「ええ。小さいころはたまに泳ぎにきていたんですよ」
 前を歩く満里奈さんは振り返ることなく、石段を下りていく。海から吹き抜ける風に乗って、彼女の黒髪がなびいていた。
「ぼく、この夏ちゃんと海を見たのは初めてです」
 ひとけのない浜辺に来たのが良かったのか。ぼくは少し落ち着きを取り戻していた。深呼吸をするように鼻で大きく息をして、磯の香りも取り入れてみた。
 砂浜まで到達すると、満里奈さんは本屋で出会ったときのように、後ろ手ポーズで波打ち際のほうまでゆっくりと歩み寄った。
 ショートパンツから伸びる太ももに目を奪われながらも、後ろ手ポーズで砂浜を歩く彼女の後ろ姿はやっぱり優等生感があった。
 砂浜にはぼくたちしかいなかった。入り江とあって、打ち寄せる波も穏やかだった。
「夏休みもあと少しね」
 波打ち際から水平線を眺めながら、満里奈さんは独り言のようにつぶやいた。
「そうですね……」
「潤さんと、会えるのも今日が最後になるのかな」
 波の音にまぎれて、満里奈さんが少し寂しそうに続けた。それでぼくはハッとなった。
 どうしてもっと早くに気づかなかったのか。思えば、今日の露出の激しい格好も、ぼくに見せるためだったのではないか。急にフレンドリーな感じで接してきたのも、今日が最後だと思って、彼女なりに距離を近づけようとしていたのではないだろうか。口紅だって塗ってきているではないか。
 そうなのか。彼女もぼくのことを──。
 後ろ手ポーズで海を眺める彼女は、何かを待っているような気がした。
 ぼくはもう一度、大きく深呼吸をした。それから満里奈さんの隣に寄った。ぼくが隣に立つと、満里奈さんは後ろ手ポーズのまま、ちらりと顔を向けてきた。
 目と目が合う。心なしか、彼女の瞳が潤んでいるように見えた。
「満里奈さん……」
 ぼくは彼女の目を見つめた。
 満里奈さんは静かにうなずいた。沖からの風にあおられて、彼女の黒髪が乱れる。彼女は乱れた髪を右手でおさえながら、ぼくの言葉を待つように見つめてきた。
「ぼく……満里奈さんのことが……」
「……ねえ、潤さん」
 告白をしようとしたとたん、満里奈さんが遮るように呼びかけてきた。
 虚を突かれたぼくは、「は、はい」と告白の言葉をとりあえず飲み込んだ。
「……変なこと聞いてもいい?」
 満里奈さんが可愛く首をかしげて、はにかんできた。
「変なこと?」
「うん。あのね……」
 後ろ手ポーズのまま、満里奈さんがナヨナヨと腰を振る。女の子が無意識にやってしまう、恥じらいの仕草を見て、ぼくは確信した。 
 潤さん、彼女はいるんですか?
 きっと満里奈さんはこれを聞きたがっているのだ。いわれてみれば告白の前段階で、恋人の有無を確認するのは基本中の基本だ。ぼくは満里奈さんが処女であることを疑っていないから、彼氏の存在など考えたこともなかったが……。
「なんですか? なんでも聞いてください」
 ぼくは自信たっぷりに言った。
「ほんまに? あぁ、でも、恥ずかしいわ!」
 まさに乙女のように満里奈さんは両手で顔を覆った。無邪気でわかりやすい反応をしてくれるから、ぼくはますます心が弾んだ。
「大丈夫ですよ! 聞いてください。ぼくは嘘をつきません」
「そ、そう? こんなこと聞いて、はしたない女とか思わない?」
 すがるような目を向けてくる満里奈さんに、ぼくは頬がほころんでしまう。彼女の有無を訊ねるだけで、はしたないと思うなんて、やっぱりぼくが想像していたとおり清純な女性だ。
「思いません」
「ほんまにほんま?」
「はい。絶対に思わないです」
「……そう? じゃあ、こっそり聞くね」
 周りにはぼくたち以外、誰もいないのに、満里奈さんが至近距離まで体を近づけてきた。それこそその気になれば、ぐいっと引き寄せて、そのままキスもできてしまう距離だ。
 ぼくはいますぐにでも抱きしめたい欲望を必死に堪えて、彼女の質問を待った。
 彼女の緊張が伝わってくる。胸のドキドキが収まらないように、かすかにハアハアと荒い息も漏らしていた。
「満里奈さん……」
「潤さん……」
 互いに名前を呼び合って、また目と目が合った。すると、満里奈さんは口元をわずかに緩めた。それから自分を納得させるように、
「そうやね。潤さんと会うのはこれが最後やもん。だから、どんなに恥ずかしいことをいってもかまわないですよね」
 と、ぼくから目を逸らして、足元の白い砂浜に視線を落とした。
「はい。ぼくはもう実家に戻ってしまうので……なにも恥ずかしいことはありませんよ」
 ぼくは彼女を励ますように言った。もちろん、これで最後にするつもりなどない。今日から恋人同士となって、遠距離恋愛をするのだ。しばらく会えないのは寂しいけど、冬休みには必ずまた戻ってくる。先走るぼくはそんな言葉まで出そうになっていた。
「うん……じゃあ、言うね。ほんまに変なことやから、笑わないでね」
「はい」
 ぼくは軽く目を閉じた。波の音が心地良い。潮の香りに混じって、彼女の夏みかんのような香りもしていた。
「あのね……」
「はい」
 潤さん、いま好きな人はいるの? 彼女はいるの?
 きっと満里奈さんもこの日のために告白の練習をしてきたに違いない。
 夏の終わりの夕暮れ時のビーチで──この最高のシチュエーションで思いを告げようと計画してくれていたのだろう。そう思うと、可愛くて仕方ない。
「どうして、男の人はエッチのとき、女の子に意地悪なことをするの?」
 打ち寄せる波の音の一瞬の静寂をついて、彼女の綺麗な声が耳元で響いた。
 そっと打ち明けるように耳打ちをしてきたのだろう。
 ぬめっとした息の温もりが、ぼくの耳の穴をくすぐった。
 甘い、甘い、みぞれ味のかぐわしい息がぼくの鼻腔に広がった。
「…………………え?」
 ぼくは目を開けた。眼前にはかき氷の小皿の水よりも、何億倍もの広い海が夕陽にきらめいていた。
「私の彼、エッチのとき、すっごく意地悪なことばかりをするの。私を辱めることを言ったり、はしたない格好をさせたり……私がやめて、といってもやめてくれなくて。むしろ、私が嫌がるほど、苛めようとしてくるの。どう思う?」
 すらすらと彼女は愚痴るように言う。ぼくは頭の中で嵐が巻き起こっていて、眼前の穏やかな海の景色が、ぐにゃぐにゃに歪んで見えていた。
「あ、誤解しないでね。私もそれが嫌で仕方ないというわけじゃなくて。苛められるのも、ちょっと嬉しかったりもするんやけど……ほら、男の人って好きな女の子ほど意地悪したくなるっていうでしょ。それと同じ? 好きだからそういうことをするなら、私も安心できるんやけど。潤さんは、そういう男の子の気持ち、わかる?」
 一時間ぐらい前までは、この浜辺に子どもが来ていたのだろう。数メートル離れた場所に、砂山が残っていた。だけど、潮が満ちてきていて、砂山もあとしばらくで、跡形もなく消え去るだろう。
 だけど、ぼくの心はもう水平線の遙か彼方まで流されていた。
「あ、ごめんなさい! やっぱり変でしたね。潤さんみたいな真面目な男の子はきっとそんなふうに苛めて楽しんだりしないよね。ほんまにごめんなさい。もう二度と会わない相手だと思って、ついうっかり……」
 もう二度と会わない相手──。どんな秘密の話よりも、これがこのときのぼくの心を一番抉った言葉だ。
 そのあと、ぼくがなんて答えたのか覚えていない。満里奈さんはぼくに訊ねたことを後悔したように、「このことは誰にも言わないでね」と何度も念を押してきた。それから、
「そろそろ家庭教師の時間だから、私、帰らなきゃ。潤さんは? もう少しここにいる? じゃあ、先にいくね」
 呆然と海を見つめるぼくに、軽く手を振って、急ぎ足で海岸通りへ戻っていった。
 ぼくは暗くなるまで、砂浜にいた。太陽が沈むところも生まれて初めて見た。
 右手には彼女から返してもらった、『二十四の瞳』だけが残っていた。


 祖母の家にある柱時計が八回鳴るのを、ぼくは暗闇の中で聞いていた。部屋を真っ暗にして、真夏なのに頭から掛け布団をかぶって、小さく丸まっていた。
 体は汗びっしょりで、顔は涙でぐっしょりだった。柱時計が八回鳴り止んだタイミングで、玄関の引戸を乱暴に開く音がした。
「おい、潤! いるか!?」
 勇吉だった。とてもじゃないが顔を見せられる状態でもないから、ぼくは無視を決め込んだ。すると、「おーい。入るで~」と勇吉は勝手に家の中に上がり込んできた。
 ぼくが寝込んでいる部屋の襖も、勢いよく開かれた。
「なんや!? 真っ暗にして。布団もかぶって。もう風邪は治ったんやろ!?」
 ずかずかと部屋に入ってくるなり、勇吉はぼくの掛け布団を強引にめくった。ダンゴムシのようにうずくまっているぼくを見て、「ああ?」と呆れたようにつぶやいた。
「なんやねん……寝てたのに」
 ぼくはとっさに涙を手でぬぐって、寝ていたふりをした。「じゃあ、起きろ!」勇吉は電気をつけたあと、ぼくの手を引っ張ろうとした。
 いったい何なのだ。
「痛い、痛い! なんだよ!?」
 仕方なく布団から起き上がった。
 明るくなった部屋には、帰り支度を済ませたリュックが転がっていた。勇吉はめざとくそれを見つけて、「いつ帰るつもりなんや?」と怒ったような口調で聞いてきた。
「明日……」
「明日!? なんでもっと早く言ってくれへんねん!」
「だって……」さっき決めたばかりなのだ。
「まったく。なあ、なにがあったのか知らんけど、また落ち込んでいるんか?」
 布団にいるぼくを押し倒す勢いで、勇吉が肩を組んできた。相変わらずスキンシップが過剰で、ましてや布団のうえである。男同士とはいえ、見る人が見たら勘違いされそうだ。
「落ち込んでへんわ」
 勇吉を払いのけて、ぼくは立ち上がった。
「嘘つけ。こっちにきたばかりのころみたいな顔になっとるで」
「うるさい。何しにきたんやねん」
 ぼくは珍しく声を荒げた。満里奈さんと別れてから、ぼくはいまのいままで凄まじいショックと悲しみ、そして怒りに全身が打ち震えて、心も粉々になっていたのだ。
「……ああ。そうやった。潤、いまから出かけるで!」
 ぼくの気も知らず、勇吉が楽しげに言った。
「はあ!? もしかして、一号機のところか? それとも三号機か?」
 こんな時間から出かけるとすれば、それぐらいしか思いつかない。
「いや、違うで……潤、俺がこの一週間近く、何もしていなかったと思うのか」
 勇吉がにぃと悪い笑みを浮かべてきた。
「ん? どういうことや?」
「聞いて驚くなよ。おばはんに飽きてしまったお前のために、俺はここ最近、こっそり新しい女を調教していたんや。若いで!」
「……な! 四号機ってことか?」
「そうや! 潤が帰るまでに、四号機を用意しようと思ってな。ほんま、俺、頑張ったんやで。さあ、いこう。今夜、用意してあるねん」
 勇吉がふたたび肩を組もうとしてきたので、すかさず払いのけて、
「いや、待て。俺はもう……」
 ただでさえ満里奈さんにあんな仕打ちをされた直後なのだ。そういう気分にはとてもなれない。
「おい、潤! 前にも言ったやろ? なにに落ち込んでいるのか知らんけど。男の悩みなんて、女とやってりゃ大抵なくなるもんや」
 ぼくよりも十五センチは背の高い勇吉が、絶対逃がさないとばかりに、眼前に立ちはだかってきた。
──男の悩みなんて、女とやってりゃ大抵なくなるもんや。
 久しぶりにいわれて、ぼくのなかで蘇るものがあった。
 ぼくは勇吉に負けないように、強く睨みつけるように見上げる。
 対して勇吉は、安心したように微笑んできた。一瞬、ぼくは泣きそうになった。
 清純可憐だと思っていた満里奈さんが、実は彼氏がいて処女でもなかった。それどころか、ぼくの気持ちも知らず、ふしだらでハレンチな性の相談までしてきた。裏切られた気分しかない。見た目は優等生ぶっていても、しょせん女なんて、そういう生き物なのだ。
「そうやな……いくか」
 ぐっと涙を堪えて、ぼくは勇吉に向かってうなずいた。
「よっしゃ! さすが潤や!」
 勇吉がぼくの肩に両手を置いて、揺さぶってきた。
 そうだ、ぼくの夏はまだ終わっていない。
「おっしゃ。いったるでー。今日はその女、めちゃくちゃにしてやるわ!」
 ぼくは帰り支度を済ませたリュックを思いっきり蹴飛ばして、勇吉よりも先に部屋を出た。



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著者プロフィール

柚木怜(ゆずき・れい)

京都出身、東京在住。1976年生まれ。
23歳の頃よりフリーライターとして、週刊誌を中心に記事を執筆。30歳の時、週刊大衆にて、初の官能小説『白衣の濡れ天使』を連載開始(のちに文庫化されて『惑わせ天使』と改題)。
おもに、昭和末期を舞台にしたノスタルジックで、年上女性の母性溢れる官能小説を手がける。
また、YouTubeチャンネル「ちづ姉さんのアトリエ」にて、作品を朗読配信中。

著書

『惑わせ天使』(双葉社)
『おまつり』(一篇「恋人つなぎ」 双葉社)
『ぬくもり』(一篇「リフレイン」 双葉社)
『初体験』(一篇「制服のシンデレラ」葉山れい名義 双葉社)
『明君のお母さんと僕』(匠芸社)
『お向かいさんは僕の先生』(匠芸社)
『キウイ基地ーポルノ女優と過ごした夏』(匠芸社)
『邪淫の蛇 女教師・白木麗奈の失踪事件 堕天調教編』(匠芸社)
『邪淫の蛇 夢幻快楽編』(匠芸社)
『姉枕』(匠芸社)



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