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マジョリティと同調圧力

12年前の結婚パーティーで、5人の友人たちにスピーチを依頼しました。
幼なじみ→中高時代→大学時代→元職場(歴史博物館時代)→元職場(児童福祉施設時代)の5人の友人に、それぞれ交流した時期の私との印象深いエピソードを語ってもらいました。
「1分くらいで」と依頼しましたが、みなさんしっかり起承転結の素晴らしいスピーチをしてくださいました。

幼なじみが小3のときのある出来事を語ったのですが、いま再び、その出来事を思い出しました。

小3の体育の時間。
男子チームと女子チームに分かれて長縄跳びをしていました。
私は、風邪気味で見学していました。
担任(若い女性教師)が男子チームばかりにつきそうことに不満を抱いた女子のリーダー的存在の子が休み時間に
「みんなで学校を出ていこう!」と言い出しました。
私は
「なんでそんなバカなことを」と思い、残りました。
クラスの女子は、16人くらいだったでしょうか?
幼なじみ2名は、迷いつつ、私と一緒に残りました。
そして、大多数(おそらく13人)の女子たちは、学校から出て、隣町のリーダー的存在の子に縁ある場所まで行ってしまい、担任や親たちを心配させる騒ぎになったのでした。

そのとき私が大多数の「行こう」という意見に惑わされず、「私は行かない」と意思表示したこと…幼なじみが深く印象に残っていると語ってくれました。

担任が男子ばかりえこひいきするから、私たちは担任を困らせちゃうよ〜という、かまってちゃん行動。
本当にリーダー的存在の子と同じ気持ちで行動した子は、いったい何人くらいいたのでしょうか?

多数派の意見がいつも正しいとは限らないけど、多数派の意見に同調しなければならない空気感が子どもの頃から苦手でした。

少数派でいることは時に孤独ですが、そこに私の強さがあると、幼なじみもまた、幼い時期に感じ取り、そして30年近く経っても覚えていてくれたことが嬉しかったです。

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