おばあちゃんの学生時代の思い出in京都

どうも、アラフォーでかわいい3人の孫娘ができておばあちゃんになった、れいかです。

昨夜ネットサーフィンをしていると、日本を代表するジャズ・サックスプレイヤーの古谷充(ふるや たかし)さんが今月初めにお亡くなりになっていたことに気付いた。ご冥福をお祈りします•••。

このパーティ参加したかったな。素敵なジャズ演奏に、おいしいお食事とおもろい夫婦漫才(?)で23,000円ならお安いですっ!

京都での大学生時代、同級生に誘われて木屋町三条にある「RAG」というライブハウスに入り浸っていたが、そこで古谷さんのバンドのライブが終わった後もしばらく残って、よくバンドのメンバーたちと一緒に飲んだりしゃべったりしたものだ。

いぶし銀の充さんにパワフルな光広さん親子、ドラムの東原さんも当時からのバンドメンバー。RAGも当時の雰囲気がまだ残ってて懐かしい!

私も友人たちも年が近かった古谷さんの息子さんや若いバンドメンバーとしゃべる方がメインだったが、当時まだ10代で田舎からでてきたばかりの私は、なんだか大人の世界に入ることができたようでとても楽しかった。

誘ってくれた友人はかなり個性の強い子で、ファッションや生活スタイルにとてもこだわりがあり、発売されたばかりのApple社のMacを持っていたり、彼女の全面フローリングのアパートでは欧米式に靴のままでうろうろしていた。(大家さんにはもちろんナイショ。笑)

他の誰から理解されなくても、自分の好きなものは好き、嫌いなものは嫌い、とはっきり言える芯の通った頭の良い子だったが、周りからはあまり理解されないことも多く、大学の中では浮いた存在だった。

(教育大で、先生を目指す人が大半だったからきちんとした常識的な人が多くて、個性的ではっちゃけた子は受け入れられにくかったのかも。あ、でも、私が住んでいた学生寮にはすんごく変で個性的な人もいっぱいいたなぁ! その話はまた今度。)

そんな「個性の塊」みたいな彼女と「無個性の塊」みたいな私はなぜだか気が合って、よく一緒に遊んでいた。いや、好奇心旺盛という点で気が合ったのかも。彼女がいつも誘う方で、私は誘われることが多かったけど。

大学では浮いていた彼女も、大学の外ではこれまた個性的な友人を色々作っていた。自分の好きなジャズバンドのメンバーや、お気に入りのお店の人など、彼女は躊躇なく話しかけては仲良くなってしまう。

大学生キーボードプレイヤーのゲイの子を紹介された時は、あまりにも普通にゲイであることを宣言されたので、私も普通に受け入れることができ、自分の知らない世界を知ることができて嬉しかった。

彼女が容姿端麗だったら、かなり個性的でも「カッコイイ!」と周りからチヤホヤされて、私なんて相手にしてくれなかったかもしれないし、容姿端麗でない私が容姿端麗な彼女みたいに個性を発揮しても笑われるだけだと思っただろう。

でも、そうでもない彼女が周りの反応を気にせずに自分のやりたいことをやっている姿を見てきて、無個性で周りに合わせるタイプだった私も、人と違うことをして個性を発揮しても大丈夫なんだな、という気持ちにしてくれた。

やがて、無個性だった私は人生で初めての大決断をすることになる。

当時まだ誰もあまり行ったことのなかったワーキングホリデーなるものをオーストラリアでやってみよう!と決めたのだ。誰も知り合いのいない海外で一人で、しかも1年という長期間過ごすなんて、彼女に出会っていなったら考えもしなかっただろう。

ワーキングホリデーに行く前に歯医者に行ったら、「え?君が行くの?そういうタイプには見えないけどねぇ。」というようなことを言われて嬉しいような、くすぐったいような、そうでもないような複雑な気持ちになったが、「すごいなぁ、頑張ってきてね。」と応援してくれたのは素直に嬉しかった。

そんな感じで、個性的な仲間と過ごした学生時代は本当に楽しくて、もう何回でも繰り返したいくらい。でも、残念なことに彼女をはじめ、当時の仲間たちとの連絡は途絶えてしまった。元気にしてるといいな。


もしあなたが周りから浮いていて、自分の好きなことや嫌いなことを理解してもらえなくて苦しんでいたら、私と彼女のことを思い出して欲しい。

例え周りに理解されなくても自分の嫌いなことを続けたり、好きなことをやめたりしないで!

私は正直いうと、彼女の好きなファッションもジャズも靴をはいたままのフローリング生活も、Macの良さもそこまで理解してたわけではないし、真似したいと思ったこともあまりない。

でも、嫌いなことはやらない、好きなことは周りに理解されなくてもやる、という彼女の生き方にはぼんやりとした憧れがあった。

自分の好きなことを楽しんでいる姿は「なんであの人はそんなに楽しそうなんだろう?」と必ず誰かが見ているし、私みたいに、例え心底から理解はできなくても見ている側のその人自身を変えていく力になる。

そういえば、カナダにワーホリで来た最初の頃、友達と地下鉄に乗ってワイキャイしゃべっていたら、知らない若い男の子から、「君たち日本人でしょ!?日本人の子たちはいつも楽しそうだからすぐわかるよ。」と笑顔で言われたことがある。

オーストラリアのワーホリを終えてからは大学を卒業して就職し、会社と自宅の往復でもんもんとしていたが、ついにカナダでまた私の大好きな海外生活ができて、当時は本当に楽しくて幸せいっぱいだった。

好きなことを周りに理解されないからって諦めたり、隠したりしてつまらない日々を送ってつまらない顔をしている人には魅力がないし、人を巻き込んだりできない。

一方、いくら周りに理解されなくてもウザがられても、自分の好きなことをして楽しんでいる人には魅力的な何かがあって、周りの人を巻き込んでいく。

地下鉄での彼だって、わざわざ見ず知らずの私達に声をかける必要なんてなかったのに、なんだか声をかけたくなるほど私達が楽しそうに見えたのだろう。

話が長くなっちゃったけど、とにかく、「好きなことは好き、嫌いなことは嫌い、ってはっきり言って、自分の好きなことをやって幸せになろうよ。」って感じかな?

あなたにも、「なぜかわからないけど、いつも幸せそうで生き生きしてるなー。」と気になる人っていませんでしたか?

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