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緑仙と現代J-POP/「私は嘘つきです」と嘘をついた異端なスター ——椎名林檎、King Gnu、Official髭男dism



椎名林檎の処女作は「虚言症」。線路の上に寝転ぶ誰かに語り掛けるこの曲の最初の名前は「大丈夫」だった。さらに、この曲の英題は"I Am A Liar"


緑仙のことを書くのは非常に困難だ。

一見すると、緑仙は「歌の人」として見ている人が多いだろう。実際に再生数の多い動画は歌動画である。しかし、活動を最初から見ている人にとっては、絵もできる、企画もできる、悩み相談もしてくれる、なんでもできる人に見えるはずである。

しかも、雑談や歌配信やマンガ紹介配信を覗くと、歌謡曲からロボソング、デビルマン、狂四郎2030etc...とありとあらゆる固有名詞が飛んでくるのである。それをすべて紐ほどいていくことはできない。

そこで、この記事では緑仙にとって、重要な意味を持つだろうアーティストの言葉をフックに、思いついた言葉を書き連ねてみようと思う。



Fashion 流行

流行について語るのは難しい。

アーティストにとって、「流行」や「モード」というのは自分のやりたいことを束縛する可能性があるものだ。しかし、人々は「流行」に弱い。だから、人の見方はあっさり時代と共に移り変わる。

だとすれば、たとえ古い音楽が好きな人であっても、現代において音楽をやり、世に出ようとすればキワモノ扱いされるか、相手にされない可能性もある。

米津玄師が『白日』を作る前のKing Gnuに歌謡曲の作り方を教えていたように、ある時代を彩るポップアーティストの多くは、その時代の流行を読み切り、それをあえて模倣しながら裏切る



ファッションという言葉は厄介だ。「服装」の話と「流行」の話がこんがらがりやすい。

「服装」という話に限定してもことはややこしい。哲学者、鷲田清一によれば、人がどのような服装を着るかというのは、その人が自分自身に持っているイメージに左右される。しかし、一方で自分が持つ自分へのイメージは、他の人に影響されて形成されるものである(二次創作で、作品と同じ服を着るコスプレをするVtuberならなおさら)。しかも、服装は他の人に見られることで、一定の社会的意味がある(ドレスコードが一例)。

つまり、ファッションに現れているのは自分が「こうありたい」自分と、他人が「こうあってほしい」自分の間の、微妙なあわいである。



David Bowieは着る衣服を、自分がその時演じる人格と曲の種類によって変えていった。奇抜な恰好だったと思われた彼は、最後には現代の美術の教科書にのるまでになった。最初はある意味Bob Dylanの真似に近かった、流行に乗っかった形だった彼も、途中から流行を作る側にまわっていった。


Black Or White 白か黒か

緑仙のサムネは、白黒のコントラストがくっきりしたものが多い

Binary Opposition 二項対立

今読み返すと恥ずかしいツイートなのだが、一年前ほどに緑仙のキャラデザイン的な特徴について語ったことがある。それは、緑仙のデザインはあまりにも二項対立にまみれていることだ。緑の髪(安心)⇔赤い目(敵意)、男⇔女、大人⇔子供、白⇔黒といった真逆の要素を一身に受け止めている。


MAN IN THE MIRROR 鏡の中の誰か

Official髭男dismのファーストアルバムのタイトルは、マイケルジャクソンの曲からとって「MAN IN THE MIRROR」。『異端なスター』は違うアルバムの曲だが、彼らが「スター」であることにこだわりがあるのは間違いがない。緑仙が大事なタイミングで繰り返し歌う歌のひとつ。

60-70年代の反戦デモ(世界を変えるためには行動をする)という時代が終わり、80年代にスーパースターとなったマイケルジャクソンの存在は、「世界をよくするためには、まず鏡の前の自分自身を変えるべきだ」という、自己啓発の時代を象徴するものだった。不思議なことに、ここ数年のヒットチャート、特に星野源やヒゲダンと言ったポップアーティストはマイケルジャクソンへの傾倒を隠さない人が多い。

ここで、私が考えているのはこうである。緑仙が歩いているのは「スターの道」である。しかしそのスター像は仙河緑にとっても、「スター」なのである。なぜなら、仙河緑にとって緑仙は、まちがいがなく、銀幕の向こう側にいるスーパースターなのだから

バーチャルユーチューバーは、自分自身の像をスクリーンの上でしか認識ができない



Vinyl ビニール

口が悪いことは果たしてその人が危険人物だということを示すだろうか。

一見音楽的には孤高を保っているように見えるが、King Gnuの歌詞は実はその多くが「他者」に対する犠牲も厭わない献身や、他者に伝わるかどうかわからない不安を振り払うためのヤケクソに向けられている

だから、彼らの多くの楽曲は実は他者への信頼に基づいている。



関ジャムにて、常田さんは自らの詞の書き方を「RadioHeadよりもOasisだ」と表現していた。Oasisは毒舌を吐きながらも、歌詞では実直に人への思いを伝えるバンドである。

Official髭男dismは、対照的に「他者にはわからないものがある」という断絶から歌詞を作っていることが多い。曲調や見た目だけではわからないものがある。




Invisible Man 透明人間

緑仙の紹介動画を見て、びっくりしたのは動画の半分以上がチャイカさんをはじめ、他のライバーさんがしゃべっているシーンだったことである。これは特に初期において、緑仙が他のライバーをたてたいという気持ちがあったことを示している。

通常、ライバーさんのサムネは集合絵でも自分のチャンネルなら自分を大きめに出すことが多い。しかし、緑仙の初期には他のライバーを思い切り前に出す企画/サムネが多い。初期の緑仙の企画を説明すると、月ノ美兎さんが「自分を笑われるようにした」のなら、緑仙は自分の存在を消しつつ「他の人に笑ってもらおうとした」のだ…と思う。

しかし、ある時期、難しい事件があった時期、2020年後半から、緑仙は「緑仙」本人と向き合って活動をしていくことになる。

緑仙は企画で人をいじることが多いと言われがちだった。そこで逆にはねるさんは緑仙をいじる企画を作った

後期になると緑仙は、他の人と一緒に、少しずつ自分の良い所と好きなものを探しにいくようになる。それはちょうどRainDropsやソロアルバムで、「緑仙」が自分の形を作り上げていくタイミングと重なっていた。

それは、実は自分が大嫌いだった緑仙が、自分が好かれていることを怯えながらも確認していくプロセス…だったのかもしれない。後期の企画は、少しずつ、友達と一緒に緑仙本人がやりたいことを探しにいくことになっていく。


公式でも消されてしまった緑仙



Subtraction 引き算

adobeの案件放送のなかで緑仙は「機能が増えるとやりたいことが増えてしまうけど、基本的にデザインは引き算」と述べていた。緑仙のサムネは余計な情報をあえて書く月ノさんや、ユーチューバーらしいクソデカフォントをぶちこむエビオくんとも違う、独特の雰囲気を醸し出している

緑仙のサムネ(特に最近)は、にじさんじでかなり珍しく赤枠など装飾をつかわず、見た瞬間に何が起こっているかわかる瞬間をクリアカットしているものが多い。

ゆらゆら帝国のボーカル、坂本慎太郎はソロプロジェクトのためにipadで比一ヶ月、線だけで作られたシンプルなPVをつくった



Until Dawn 夜明けまで

緑仙と会えるのは夜だけで、昼の仙河緑は友達のできない不器用な人かもしれない

余談だが、king gnuのIt's a small worldの元ネタはChildish GambinoのRedboneと思われる




THE STANDERD 歌謡曲


スタンダードというのは変な言葉である。

アーティストであれば、今までの既成概念を破壊すべく、新しいものを探しに実験をすることだろう。しかし、あえて既成概念や古いものの側からアプローチして、新しい音楽を作る人々がいる。9mm Parabellum Bulletの菅原さんなどは、そうした志向を持ち続けている。

歌謡曲と言えど、古賀政男さんから現代のあいみょんまで、ありとあらゆるミュージシャンがいるため、一概には言えない。しかし、椎名林檎やKing Gnuが好きな方なら、触れておくとよいのはブルーグラス、カントリー、ジプシージャズである。椎名林檎さんのフランスへの興味と共に、南仏で愛されている音楽の音が、東京事変からは出てくることがある。東京事変のギター、浮雲さんのルーツはなんとカントリー。


椎名林檎は、自分がプロになることについて「私の考え方はすごい普通(=スタンダード)」であることを意識している。だとすれば、「人生は夢だらけ」というこの曲で彼女が表そうとしているのは、ある意味で「普通」の人の考え方でもある。


原田真二は、70年代にすでにシティポップの原型となる曲を世に送り出しており、早すぎた天才と呼ばれている。

椎名林檎は、初期のカバーアルバムでその広い音楽素養を披露している。

歌謡曲については、いつか緑仙の記事を書きたいものの、中島みゆきの情報が集まらなさ過ぎてつらい。歌謡曲に近い世界には、松田聖子や中森明菜など、ひとりで歌を歌う80年代アイドルが数多く存在し、彼女たちの存在は一人でアイドル活動をする形になりやすいVtuber/YouTuberを語る上で、参考になるだろう


日本の音楽史をまとめることを構想するみのミュージックのみのさんは、「歌謡曲中心史観」を構想している。日本のアーティストは、戦前から続く音楽(謡)とどのように対峙するか、あるいは協調するかずっと考え続けてきた。

(みのミュージックさん、歌謡曲企画があったら緑仙さん連れて行ってくれないかな…)(小声)(絶対に滅茶苦茶詳しいですよ…)(小声)

POP STAR ポップスター

France Gallは世界初のアイドルと言われる。しかし、彼女が歌う曲は既にアイドルであることがいかに「からっぽ」かを歌う痛烈な皮肉ものだった。

緑仙から私が感じたのは、緑仙の活動のある部分、特に歌にかんしてはいわゆるテレビに出てくるスター、沢田研二や椎名林檎のような人の活動形式から見たほうがわかりやすいのではないか、ということである。流行にのりながら、流行とは違う場所に人を連れていく人

緑仙が、自己紹介動画で今の気持ちはこれと言った曲。「他者にわかって欲しい」という気持ちを爆発させた『勝訴ストリップ』の中の一曲だが、このアルバムの一曲目は「虚言症」であるため、これが本音かどうかはベールに隠されることになる。

椎名林檎は、実は一般的に言われている以上に「甘えたがり」の人ではないか、というのは最近の批評本でもよく言われるようになった。初期の椎名林檎は『シドと白昼夢』に代表されるように、「多重人格」と呼ばれることが多かった。さらに本人が「人間が多重人格であるのは当たり前じゃないかな」という趣旨の発言をしたこともあった。

好きな人が多すぎるから、好きな人それぞれのために、まるでコスプレをするかのように、普通の人たちに合わせてスタイルを変えていくこと。その中に、少しだけでも自分のエッセンスをいれていき、最後には時代をも作ってしまう人。それはポップスターの条件なのかもしれない。

平井堅初期の名曲「片方ずつのイヤフォン」。James Brown、Stevie Wonder、サザンオールスターズといった、古い流行の歌が入った自作カセットを恋人に聞かせる情景を歌っている。こうした光景は、ネットで音楽を聴くようになって廃れていったが、Vtuberにとって、他の人が知らないだろう曲を歌う時の気持ちは、今もドキドキするものだろう。

僕がライバーになろうと思ったのは、高校で上手く友達が作れず、自分と同じような境遇の人がインターネットの世界にならたくさんいるんじゃないかと思ったのがきっかけです。それと僕は1970年代、1980年代の音楽やアニソンが好きで、漫画やアニメも同じ年代のものが好きなんですけど、同世代で同じ趣味の人を見つけるのが難しくて(笑)。身近では共感してもらえる人がいなくても、自分の好きな音楽、漫画やアニメについてのおしゃべりや、歌いたい曲を歌ってインターネットで発信できれば、住んでいる場所や世代といった垣根を超えて“好きなことを共感できる友達”が作れるんじゃないかと思ってライバーになろうと思いました(上記リンクより)


Just The Two Of Us 君になりたいから

実は緑仙の場合、椎名林檎と違う「バーチャルユーチューバー」という特性が独特の問題を引き起こしている。実は、緑仙はVtuberの中でも例外的に曲や配信で、明らかに中の人らしき人が画面の中に出てきてしまっているのだ。その名は仙河緑。ここ三年の歩みは、実は緑仙が仙河という本名を認めていく過程でもあった(初期は滅茶苦茶隠していた)

私がこの記事で描いてきた、「スターとしての緑仙」が存在している一方で、リスナーたちは雑談や企画の配信を通して、「普通の仙河緑」を見ることがある。宝塚を見ればわかるようにスターは舞台の上では努力や汗を見せない。出てくるのは、しかし本人も言っているように配信では「素の自分」(仙河緑)が出てくることがある。そこには、隠しきれなかった努力や不安がにじむこともある。(とはいえ、基本的には人のいい若者にしか見えないんだけどね…w)

だから、緑仙のことを追うことは、一面ではスターが自分を作り上げていく過程を、舞台の上と舞台の外、二つの方向から見守っていくことだ。

...ところで、この二側面が見えてしまえば、果たしてそれは嘘といえるのだろうか。他の人に気に入ってもらうために作ったペルソナだった「緑仙」は、偽物と言えるだろうか。


こうして今日も、仙河緑/緑仙は生放送を始める。

丸の内サディスティックは、本来『無罪モラトリアム』の一曲にすぎなかった。しかしカラオケで定番曲となる人気が出たのは、この曲がおしゃれコードの定番Just The Two Of Us進行を使っていたからだと言われている。さらに椎名林檎は、「ふたりぼっち時間」という曲の洋題に「Just The Two Of Us」とつけている


P.S. 緑仙へ

こちらの記事は、歌い手としての緑仙のイメージから、緑仙のある一側面を書いてみたものです。歌謡曲やロキノンの話も全然できるのですが、そちらは書いているうちに情報量が多すぎてカオスになったので、一旦こんな風にまとめてみました。こんな一面で書き切る人じゃないので、また何か書くかもしれません。まずはお体に気をつけて、活動頑張ってください。ずっと応援しています。





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