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祖母の世界と銀魂の世界

久しぶりに祖母に会った。祖母の住む町は、都内から1時間程度の距離にある、今では大分栄えた町ではあるものの、少なくとも親の子ども時代は、商店街が連なり、町の人々皆が皆を知っており、良いことも悪いこともうわさが広がり、持ちつ持たれつで生きてきた町だという。

その町で商売を営む祖母のもとには、町に昔から住む人たちが訪れる。今では新しい客は来ず小遣い程度の収入でやりくりをしているものの、近くの店の商人から学者まで、祖母の店に来ては話をしていくようである。

祖母には兄弟が多く、亡くなった祖父の兄弟とも仲が良い。祖母との会話でも、なんとかおじさんがどうだの、どこどこのおばさんがどうだの、誰かも知らない親戚の近況の話題がよく出てくる。誰なのかと聞けば、祖母の一番上の姉だの祖父の弟だのと教えてくれるのだが、しばらくするとまた忘れてしまうほど数多くの親戚の話をする。昔の田舎の話なので、とくに立派な経歴の人はおらず、大半は農家か自営業で、女性は兄弟の世話のため、泣く泣く進学せずに家のことをしていたらしい。私にとっては知らない人の話なのだが、80を過ぎても、そして祖父が亡くなって何十年も経つ今でも、実兄弟だけでなく義兄弟とも仲良くしており、その町に住む親の旧友の近況も把握しているほど地域に根差した生活をしていることが、少しの間実家を離れていた自分の心に響いた。誰もかれもが親切で、喧嘩はすれど悪人はおらず、少し恥ずかしさや後ろめたさを感じさせる出来事があっても、笑い飛ばして助け合いながら生活する。いうなれば、古き良き日本が祖母の暮らしにあった。

祖母との団欒の空気が変わったのは、祖母が何気なくある話を打ち明けたときだった。なんでも、ある会社の人が家を訪れ、うちの商品に切り替えると料金が安くなると言ってきたという。祖母は同じ話を何度も繰り返す人だが、「何回も何回も足を運んだんですけどなかなか会えなくて…」というその人の言葉が印象的だったらしく、その発言を何度も何度も繰り返していた。結局、その人に言われるがままその場で契約を切り替えたのだが、後日住宅の管理組合の人から「うちではもともと入っていた会社のものしか使えない」と言われ、発言の真偽や切り替えによる価格や条件の変更も把握しないまま、もとの商品に戻したという。これはまだましな方で、祖母がまだ若いときも、店に看板を売り込みに来たセールスマンの泣き落としにかかって、月の支払は1万円だからと、総額100万円以上する看板を購入してしまったという。要は、何度も探してくれたからとか、買わないとこの人がかわいそうだからとか、そのような感情に駆られて、損得や真意も考えずに契約をしてしまうのである。

地域に根差して生きて、町の人とだべって、喧嘩して、また仲良くなって、でも難しい話はわからないで、その人を助けたいと思えば損をしてでも騙されてでもなけなしの金を使ってしまう。よく言えば義理人情の世界だが、悪く言えば外の世界を知ることを放棄した思考停止ということであろう。漫画や映画の世界であれば、そのような生活も好意的に描かれることが多いかもしれない。本日銀魂を読み終わったばかりだが、かぶき町の人たちの描かれ方にも似たものを感じる。地元で飲んで騒いで馬鹿ばっかりやっているけど、情に厚く仲間思いで、仲間のためなら自分が危険な目に合うことも、時には国や権力と戦うことも厭わない。そのようなかぶき町の温かさや人情味が好きで、最後まで銀魂を読んだのであるが、現実は「いい話だな~」だけでは片づけることはできない。もちろん、祖母がどれだけ地元以外の世界を知らなかろうが、熟慮せずに目先の感情だけで不合理な決定をしてしまおうが、私には関係ない話だが、自分が高齢者になったらこうはなりたくない、という思いが強くなってしまった。また、それまで楽しく聞いていた周囲の人の話も、最後の契約の話を聞いたがために、この人には親戚と地元の人と商売の話以外にできる話がなく、狭くて閉じた世界で生きてきた人なんだなと思うようになってしまった。

もちろん義理人情を大事にすることと、合理的な判断をすることは両立する。現実には必ずしもうまく機能しない義理人情が、フィクションの世界では登場人物に感情移入し、殺伐とした世界に彩りを添える材料になることもまた事実である。ただ、銀魂を読んで人の温かさに触れ、祖母の話を聞いて古き良き昭和の人間関係に思いをはせた自分自身が、その日のうちに祖母の世界を醜悪だとも感じ取ってしまったことが、一つの学びでもあり悲しみでもある。

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