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プリクラがわからなくなった

プリクラが私たちのものではなくなってしまった。

90年代初期生まれの私たち。プリクラが流行り始めた当初はまだ幼かったけれど、それからの成長は常にプリクラと共にあった。小学校高学年のときには近所のヨーカドーにクラスメイトで集まってはプリクラを撮っていたし、プリクラ交換などもしていた。
中学生になると隣町まで遊びに行ってプリクラを撮るようになった。この頃はギャル字最盛期で、私の周りはギャル系の子から地味な子までギャル字を書く人が多かった。デコり文化もあったから、当初買っていたnicolaという雑誌のプリ帳特集を真似してはプリ帳というプリクラを貼るノートをイラストやギャル字でデコレーションしたりしていた。

高校大学と上がるうちに、次第とプリクラを撮ることは減った。少しずつスマホが普及しだし、スマホでも写真を撮れるしアプリで盛ることもできるしということなのであろう。私の性格もどんどん地味になっていって、そもそも写真を撮ってキャピキャピしたいという性格でもなくなってしまった。
私がプリクラをだんだん撮らなくなっていった頃も、プリクラは進化を続けていた。高校の頃くらいからだんだんとプリクラはデカ目機能を強調するようになり、美白モードを選ぶと真っ白な肌になるようになった。プリクラ世代なのでプリクラを撮ること自体にはさほど抵抗感がないものの、ぎょろっとした目や加工しまくりの顔には嫌悪感を示す人が多かった。

今日は中学時代の友人らと集まってビアガーデンに行き、最後に久しぶりにプリクラを撮った。最近のプリクラはカメラの位置や角度を自分でいじれるようになっていて、こだわろうと思えばいくらでもこだわれるのだろうけど慣れない機能なので難しい難しいと言いながらプリクラを撮った。出てきたプリクラのシートも半透明で、私たちがプリクラをよく撮っていた頃の真っ白なシートとは異なるものだった。
プリクラは確実に私たちが中学生だった頃のものから進化している。しかし、変わらないことだってある。写真を撮ってから落書きブースに移動する流れ自体は変わらないし、むしろ落書き機能は中学の頃からあまり変わっていないのではないか。私が中学生の頃からペンやスタンプは豊富だったし、背景をいじれたり文字スタンプがあったりする点も変わらない。当時の私たちは落書きにも夢中になって、スタンプで枠を作ったり顔や頭の周りにスタンプを加工したりその日したことをペンで書いたり、思い思いに落書きを楽しんでいたはずだった。
それにもかかわらず、今日もそうだったけれど近年プリクラを撮ると、皆言い訳のように「プリクラわかんない」と言いながら、困ったようにスタンプを探し、少しだけスタンプを押したら逃げるように他の人に落書きを交代する。私もその一人であり、自由に落書きできる時間もあればその経験も十分にあるはずなのに、いざ落書きブースに立つと困ってしまう。

プリクラというのは、私たちにとって実に微妙な立ち位置になってしまったのだろう。確実に世代ではありながらも、懐かしい懐かしいとはしゃいで試すようなものではなく、かといって完全に現在までの進化を追えているようなものでもない。自分たちに無関係の新しい若者文化というわけではないけれど、かといって私たちのもの、という感じもしない。プリクラを撮るときの「わかんないわかんない」と言う感じも、そういう自分たちのものではないという思いから来ているのだろうか。本来落書きくらいなら余裕でできるはずなのに、最近の私たちはプリクラを突き放してしまう。

#日記 #エッセイ #プリクラ #ギャル #ゲーセン #90年代 #平成

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