「安心して」美味しいものを毎日食べることが、自分を好きになりやすいのかもしれない。

おはようございます。
今回は体の健康(玄米・菜食生活に関すること)について書こうとしたつもりが、いつのまにか【自分らしさ】に関係する内容ともなっており、あまり文章としてまとまっておりませんが、それでも記事にしたいと思いましたので、投稿します。

最近、心身ともに健康になるためには、「安心して」美味しいものを食べることが重要だと考えました。身体も心も良い状態に保つためには、
毎日、健康に良いものを食べて、かつ、自分自身が「安心して」好きなものをしっかりと食べること』
が必要であると。
そのようにすることで毎日思う存分活動しやすくなり、日々、元気で過ごしていけると思っております。

この「安心して」というのは「罪悪感を無くす」ということでもあり、わたしなりに色々な意味を込めました。(「ギルトフリー」という用語とも関係が深いかと思います。)

罪悪感とは?

わたしが考える「安心して」とは、例えば、次のようなものです。

①ドーナツやアイスクリームなど一般的な高カロリーな食品について砂糖不使用などで可能な限り糖質オフにして、「食べたら太るかもしれない」という罪悪感を軽くする。

②添加物をできるだけ入れない、もしくは小麦粉の代わりに米粉で代用することでグルテンフリーな食品を取り入れるなど、「食べたら体に悪いのかもしれない」という罪悪感を無くす。

③肉の代わりに大豆ミート、牛乳の代わりに豆乳、卵の代わりに湯葉や豆腐、ターメリックなど様々なもので代用する。
そうすることで、普段食べるものの中に、自分のできる限り動物を取り入れないようにして、「動物たちや地球環境をおろそかにしてしまっているかもしれない」という罪悪感を無くす。

(③の補足:どのように言葉を選んでいったらよいかとても難しいのですが、わたしの知っている範囲・調べた範囲では、多くの消費者が購入すればするほど、経営者や生産者たちが多くの利益を出そうとして、牛、豚、鶏など動物たちがより過酷な環境に追いやられてしまうという現状があると思います。

そのため、わたし個人としては、買うとき、食べるときに動物を取り入れないほうが、後々、動物たちの生きやすさに繋がっていくのかなと考えており、そのほうが罪悪感を感じずに、自分自身が毎日元気でいられると思いました。
健康面だけでなく、そのような考えもあるため、肉だけでなく、なるべく卵や乳成分のあるものを口にしないように心がけたいなとも思います。)

以上の①~③のように、様々な「罪悪感を無くす」ことがわたしの考える「安心して」という意味になります。

「安心しないまま」美味しいものを食べると、幸せ度が上がりにくくなる。

わたし自身、食べることがとっても大好きです。
カレー、ラーメン、寿司、チョコレート、たまごサラダ、ツナマヨ、パスタなど、思いつく限り、美味しいものを毎日食べたいと思っています。
「美味しいものを食べて幸せになるために生きているんだ!」と時々思うくらいです。

ですが、もし、食べるときに美味しさだけでなく、罪悪感も同時に感じてしまうならば、せっかく『美味しい!』と思えるようなものであっても、心から堪能することが難しくなります。

また、深く気にしない人もいると思いますが、みんながみんなそうではなく、中には心配性な人もいますし、心がとても優しい人もいます。

そのような人たちは、「食べないほうが思いつつも食欲がなかなか止まらない…」とか「知らず知らずに命を粗末にしてしまうかも…」というようなことを食事のたびに毎回考えてしまいがちになったりします。
そうすると、とってもストレスが溜まってしまうかもしれません。

更には、自分で食べたり、買うだけでなく、人からお土産やお菓子など食べ物をいただいたり、知り合いや友達と一緒に店に行って食事することもあると思います。

そのようなとき、お土産やお菓子が高カロリーなもの、または添加物が入っていたり、友達と一緒に行ったお店のメニューの全てに肉類・卵・乳成分など動物性のものが含まれていたりします。(自分の経験談で、事前にお店のメニューをろくに調べずに行ったわたしも悪いですが)

しかし、人からいただいたものを断るにも勇気がいります。
また、知り合いや友達と一緒に食事に行く際、自分自身の食事方針について相手に説明するときに、理解してもらえるように言葉を選ぶ必要もあります。( ← 相手と信頼関係がないと理解が難しい場合もあります)

そうすると、状況によっては、食欲に負けてそのまま人からいただいたものを食べてしまう場合もあったり、お店に行って、一緒に食事をする相手に説明したり、店のスタッフに確認することもできずに、そのまま動物性のものが含まれているメニューを選んでしまう場合もあると思います。

このように色々な状況があると思いますが、いずれも、人によって、罪悪感を感じながら食べてしまうというのがあると思います。そのような状況は良くないなーと思いました。

わたしも含めてそうですが、罪悪感を感じたまま食べるのは、【自分自身を好きになること】【自分らしさ】を身に着けていくためには良くないかなーと思います。

例えば、
1. 「食欲に振り回される自分」「伝える勇気を出せずに周囲に合わせてしまう自分」というような自分を認識する。
2. その認識から【自己嫌悪】が起こるようになる。
3. 【自己嫌悪】が進み、どんどん自分に自信がなくなり、【自分らしさ】が失われていく。
ということもあるのかなーと思います。

だからこそ、「罪悪感なく」好きなものを食べるというのはとても重要なことだと考えており、先ほどの「安心して」という言葉にわたしなりの深い深い想いを込めました。

自己嫌悪からガード(防御)はできる。

話が逸れてしまうかもしれませんが、上に述べた自己嫌悪について、心理学的には、「完璧主義」なところも関係するのかもしれません。

なぜなら、「完璧主義」なところがある場合、先に述べたような
「食欲に振り回される」
「伝える勇気を出せずに周囲に合わせてしまう」
というようなことを失敗や過ちと認識し、そのまま「直さないといけない」「ちゃんと伝えるべきだ」と「べき思考」で考えてしまい、そこから自分で自分を更に追い詰めようとしてしまうかもしれません。

そのため、もし、可能であれば、失敗や過ちと認識したなら、その時点で
「失敗してしまうこともある」
「間違えてしまうこともある」
「落ち着かなかったら気が済むまで、精一杯心の中で謝ってまた明日から頑張ればいいよ」
というように、「べき思考」から手放して、「そんなこともある」「何とかなる」とポジティブに切り替え、楽観的に、伸び伸びと考えられるようにしたほうが良いのかなーと思います。(※)

※これもわたし自身の経験談ではありますが、以前に会社にいたとき、仕事を完璧にやらないと気が済まないところもありましたし、その時は無意識で「もし、失敗したら上に行けない」という0か100かという極端な二分的な思考もわずかにあったので、自分自身を追い詰めてしまいがちになっていました。

ですが、仕事を辞めて、少しずつ心に余裕を持ってからは、「完璧主義」なところがあるなーと自分で思考の癖に気づくことができたので、最近はなるべくリラックスして、ラクに考えるようにしています。

失敗したとしても自分のできなかったことが多かったとしても、「自分自身のできる範囲でいいかー」と思って気にしないようにしていますし、そんな弱さも含めて、自分自身を認め、許すようにしています。

まとめ

書いてみましたが、なんだか文章がまとまっていなくて申し訳ありません。それでも伝えたいことだけ挙げていくと、以下の2点です。
・体も心も良い状態に保つためには、毎日、健康に良いものを食べて、かつ、自分自身が「安心して」好きなものをしっかりと食べること』が重要であること。
・「完璧主義」なところは手放し、失敗したとしても、間違えていたとしても、「そんなものなんだ」と思って自分をラクにして、自分自身を認めて、許せるようになること。

ここまで読んでくださってありがとうございました。
また何かありましたら記事にいたしますので、興味がありましたら、またよろしくお願いいたします。

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