どのように伝えればよいかわからないけれども、「自然免疫」が一番だと思う。

おはようございます。
今回、玄米・菜食生活でいつも記事にしている内容とは少々テイストが異なるかもしれませんが、「体と向き合う」「健康を考える」という意味では、今の世の中の状況も踏まえたうえで、一度、説明する必要があると思いましたので、記事にいたします。

以前、以下のように「I have a Dream。」というタイトルの記事を書き、その記事にわたし自身の夢や想いをたくさん詰め込んできました。

その想いの中に、ワクチンはいらないということも書きましたが、それについて、どこかで、きちんと理由を伝えなければならないと思いました。

どのような言葉でよいかわからないのですが、一番の理由は、自然の持つ力、人の身体がもともと持っている力はとても大きいと思ったからであり、特に自然免疫が一番だと考えております。

人間の免疫には、仕組みとして大きく分けて、自然免疫獲得免疫の2種類あります。

まず、自然免疫は外から特定の病原体(菌やウイルス)が入ってきたとき、「(いつもの)自分自身の細胞かどうかそうでないか」を基準にして、正常なものか異常なものか判断したうえで、異常と判断された場合のみ、その菌やウイルスを攻撃して無力化したり、排除しようとします。
※異常なものの中に、外から入ってきた病原体だけでなく、自分自身の正常でない細胞(例:がん細胞)も含む場合もあります。

そのため、どのような未知の菌やウイルスであっても、ほぼ感知することができ、排除できる仕組み(多様性)があります。また自分自身の正常な細胞に対しては排除せずにそのままにすることもできます(自己寛容)。

一方、獲得免疫は自然免疫で完全に排除しきれなかった菌やウイルスに対して、未知の菌やウイルスの細胞がどのような構成になっているか記憶してから、菌やウイルスを排除しようと働きかけます。未知のものでも、既知のものに変えることによって、対処しようとするものです。

そのため、獲得免疫は、特定の菌やウイルスがどんな構成の細胞になっているか一度学習してからでないと活動できません。(この性質を特異性というようです。)

ただし、ほとんどの場合、自然免疫のみで、外から入ってきた病原体は無力化したり、排除できることが多いです。そのため、実際には獲得免疫まで働くという状況はあまりなかったりします。

ワクチンというのは、獲得免疫を事前に備えておこうという考え方で作っている、という認識だと思いますが、念には念を入れる、極端に言ってしまうと、石橋を叩いて渡ろうとする、使い方になるのかなと思います。

ただ、そのように病気に備えようとするならば、とても大変なことになってしまい、また、ウイルスに感染・重症化するリスクとは異なる別のリスクが大きくなってしまうと思います。

なぜかというと、消毒・除菌を繰り返したとしても、ウイルスは決してなくならないものであり、しかも毎年(毎回)変異するものですので、ワクチンもそれに合わせて毎回変えていって用意していかなければならない、と考えられるからです。また、ワクチンを打つときに様々なリスクが発生する可能性もだんだん大きくなります。

しかも、従来の生ワクチンや不活化ワクチンではなく、「遺伝子組み換え」ワクチンという、今までに例のないものがどんどんと使われています。

使われる理由については、ウイルスの変化するスピードに対して、新しいワクチンが開発されるスピードに間に合わせる、といったふうに説明されることもあるようですが、通常は開発だけではなく、数年間の試験も行われて、短期的だけでなく長期的な安全性も十分に確認されたうえで使われるものです。

ですが、現状では、「緊急事態」のため、試験中のワクチンであっても、特例で承認がなされてしまっており、その状態でどんどん使われようとしております。その状況に、わたし自身、とても割り切れないものがあり、危惧しております。

わたしたちの身体と命は実験台じゃない、わたしたちはモルモットじゃない、もっともっと、わたしたちは一人一人大事にされて良い存在だ、と思います。

わたしは、人間の身体は非常に繊細なもので、とても精密なものと思っています。宇宙や深海と同じくらい、人間の身体、特に脳などはまだまだ科学的にわかっていないところがたくさんあって、数多くの不思議が詰まっております。

わからないことがたくさんある中でも、毎日身体はよく動いてくれますし、美味しいものを食べて「美味しい!」と感じることもできます。
また、太陽の光を浴びたり、道に咲いた花を見て癒されたり、好きな映画・アニメを観て楽しんだり、温泉に入ったりして気持ちよく浸かることもできます。
人間の身体って、もっともっともっと貴重でかけがえのないものであり、大事にされていいものだと思っております。

それで、ワクチン、特に「遺伝子組み換え」のものについては、とてもデリケートでかけがえのない人間の身体に対して、なんというか根本的にいじってしまうというか、変えてしまうというか、大事なものが変わってしまうような気がします。

そのため、わたし自身はずっと、
「うーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーん」
と思っております。

1回目、2回目、3回目、などがあるかと思いますが、回数を重ねるほどに、少しずつ取り返しがつかなくなるような、遠いところまで行くようなそんな感じもあります。

もちろん、わたし自身の心配が考えすぎで、杞憂で、そうでない場合もあるかもしれません。できることなら、そのようなことがなければないほうがいいなと思っております。
ただ、どうしても自分の中で納得できない、受け入れられないものがあるなあ、と感じました。

そのため、頭でっかちと思われるかもしれませんが、ただのわたしのわがままですが、そういう理由で、わたし自身はワクチンは打っておりませんし、これからも打つつもりはありません。

その代わりといってはおかしいかもしれませんが、先ほど触れた、自然免疫をできるだけ活かすことができるように、働くことができるように、日々過ごしております。

自然免疫が働くために大事なことは、自分の身体が「気持ちいい!」と思えるようなことをすることです。例えば、
・たくさん笑って過ごすこと(ストレスを感じないようにする)
・血液をサラサラにすること
※わたしの場合は菜食で、肉の脂を入れずに血液を汚さないようにしたり、野菜をたくさん食べることで血液をできるだけ綺麗にしています。
・日光を浴びること
・入浴すること
・よく運動すること
・早く寝て早く起きること(たっぷり睡眠もとる)

などなど、みなさんも良く知っているような当たり前のことではありますが、その当たり前のことを日々、実行していくのが一番大事かなと思います。

そういう意味で、先ほど「I have a Dream。」というタイトルの記事の中に、ワクチンはいらないということを書きました。
noteで、このようなことを書いてしまいましたが、わたし自身は後悔しておりませんし、スッキリはできました。すみません。
先ほども伝えましたが、本当に、ただのわたしのわがままだと思ってもらっても大丈夫です…。

ただ、わたしが打たなくとも、変わらずに接してくれる人、受け入れてくれる人もいて、その人たちには感謝するしかないと思います。
わたしはその人たちを大事にして、ちゃんと自分自身に素直になって、毎日精一杯生きていこうと思います。

このように、毎日いろいろと考えることがあったり、悩むことがありますが、これからもっとどんどんと、わたし自身も含めて、一人一人の意思・選択が尊重され、一人一人が違ってもよいようになっていけたらよいなと思います。
また、一人一人の意思・選択が、可能な限り、他の人や他の命にも全て配慮ができるような、個人の選択と他の存在への配慮が両立できるようになっていくことを願っております。

(アドラー心理学的に言うならば、『自分軸』と『他人軸』が両立した状態、【依存】でも【身勝手】でもなく、【相互尊重】ができる状態が望ましいと思います。)

最後に、世の中が、もっともっと明るい世の中となり、みんなが好きなように生きながらも、みんなみんなを大事にすることができて、そして、一緒に協力し合いながら、笑って楽しく過ごすことができるよう、祈っております。
きっと、そうなる!と強く強く想っております。

ここまで読んでくださって、ありがとうございました。

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