老ナルキソス感想:自己防衛の湖に沈む

きっかけは友人が
「見るべき作品だろうが、気乗りしない」
と言いながら見せてきたチケットだった。

『老ナルキソス』とあるが
老の字はおい、なのかそれともろう、なのか
わからないし、慣れないカタカナの並びも
スッと頭に入らず、上映開始時のアナウンスで
やっと正しい作品名を認識した。

『老(ろう)ナルキソス』は、東海林毅監督が
70代のゲイの欲望と絶望を赤裸々に、しかし
現実的な描写にこだわって制作した映画だ。
20分ほどの短編作品として2017年のレインボーリール東京*に出品し、グランプリを受賞している。
当時は、主人公の高齢ゲイ山崎がウリセンボーイのレオとの間で展開する関係性を物語のメインに据えていたらしいが、
今回長編になるにあたって、家族・友人を巻き込んだ関わりやパートナーシップ制度の詳細など、より社会的な流れを汲んだ作品に変化している。

* レズビアンやゲイの物語をメインとした映画祭。2023年は7/15〜 東京青山で開催

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新宿 K's シネマのロビーには作品に関するインタビュー記事が掲示されており、
ざっと読んだだけでも
「当事者のリアルを置いてけぼりにしない」
という意気込みが見て取れた。

パートナーシップ制度が婚姻制度と同列に語られる違和感や、年を重ねた同性愛者の話が作品としてあまり取り上げられてこなかったこと、
近年の作品でクィアネスが漂白されていく感覚
など、きちんと監督の口から語られていたことが、鑑賞前からもう頼もしい感じだ。

とはいえ、男性ジェンダーと女性ジェンダーではセクシュアルマイノリティの枠組みの中でも直面する困難が変わってくる。経済格差もあれば、社会の中での眼差しも変わる。

ゲイ男性の作品とわかっていて見に行くけれど、やっぱりわたしが自分を投影する余地は無いのだろうなぁ…
とゆったりかまえて、座り心地のいいシートに身を任せた。
予告編などは流れず、すぐに本編が始まることをアナウンスが告げている。


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上映後、「気乗りしない」と言っていた友人は
ケロっとしたものだった。懸念していたほど、本人の背景には刺さってこなかったらしい。
一方のわたしは
泣きすぎて若干メイクは剥げ、ティッシュを忘れたせいで涙と鼻水で重くなったハンカチを握りしめて、言葉にならない思いに沈んでいた。

各シーンを思い返しては、
あーだこーだと思い当たることを出していく友人の会話にひと言も加われないまま、夜の新宿を歩いた。
遊びに行く若者でいっぱいの区役所通りの喧噪すら遠く感じるくらい、打ちのめされていた。

あれは、わたしが最も恐れている
じぶんの老い方じゃないか。

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本編は74歳のゲイでマゾの山崎が、ウリセンボーイのレオとSMを楽しむところから始まる。
歳の差はおおよそ50歳。
老体に鞭打つ…ならぬ、パドルを打つプレイにレオは
「本当に大丈夫ですか?俺、お年寄り初めてで」
と腰が引けているが、ひょんなことから山崎が絵本作家であることを知り、
客とボーイという枠組みをはみ出た関係性が育っていく。
山崎の絵本は、父親を早くに亡くし母子家庭として孤独に育ったレオのよりどころだった。
自身にとって大切な作品を作った人である特別感から、記憶さえ残っていない父親を想像して
山崎に懐くレオの寂しさと、
若き日の失恋以来愛し愛される日々を諦めたはずだった山崎の恋情が、
金銭を介した逢瀬の中ですれ違ったまま歪に溶け合っていく。

設定の面白さや各シーンの画の可笑しさを中心に話す友人の中で、
暗く陰ったじぶんの気持ちを共有するのは水を差す気がして、飲みの時間も特に何も語れず帰った。
それでも十分に沈んだ空気を纏っていただろうし、気を遣わせてしまったことを反省したけど、その日に張れる虚勢はフル動員してなんとか帰宅した。

その夜は眠れなくて、
宅飲みなんてめったにしないのに、ウイスキーをしこたま飲んで眠くなるのを待った。

何に恐怖したのか、珍しく言語化すらしたくなかった。
それにそういう時に言葉を紡いでも、簡単に認知できる範囲にあるワードにしかアクセスできない。

酒に任せて眠れたのは午前1:30で、
夢とも考え事とも付かないものから覚めてスマホを見るとまだ 3:00。
諦めてまずはTwitter の感想を検索することにした。ゼロからじぶんで考えるより、誰かからヒントが欲しかった。

ハッシュタグを中心に検索すること30分、
意外と自身の在り方に引き付けて述べているような感想が少ない気がする。
公開から4日は経過していたし、内容ゆえに関係者も幅広い作品だから、もっと深く入り込んだ言葉が並んでいるとばかり思っていて少し拍子抜けした。

わたしが考え過ぎているだけなのかもしれない。
そう思いなおしつつも、
「同じように打ちのめされた人は
見えるところで言葉にしないのかもしれない」
という可能性にも行き当たる。いやむしろ、そうであってほしい。

似た恐怖を覚えた人を見つけたいと思うほどに、疎外されたような空虚感に焦らされていた。

機能不全家庭育ち、精神疾患あり
女性向けのセックスワーカーで
人生途方に暮れながら
まもなく30になるわたしは、老ナルキソスを他人事として見ていられなかった。

仮に
「明日以降の人生、継続か終了か選べるよ」
って言われたら、わりとしっかり悩んでしまうくらい、わたしの人生は行き詰っていた。

数年もの通院の時間をかけて
幼少期からもつれにもつれまくった自身の情緒を紐解き、精神の安定を手に入れたのも束の間。
5年続けてきた女性間風俗(通称:レズ風俗)の営業はコロナ禍を境に状況が一変し、
進退を考えさせられる日々を過ごしている。
経済面の不安定は当然精神を不安に陥れるけれど、休んだら収入はゼロなので走りながら策を弄するしかない。

社会人になってからずっとこんな緊張状態で、
「息をするのにもカネがかかるなら、
いっそ息をしなきゃいいのでは?」
と思う瞬間は、今も多くある。
言葉を選ばずに言うなら、
生に執着するほど人生に希望は無く
欲望も燃やせないのが現状だった。
かといって死を引き受けることもできなくて、
この半年ほどはなんとか生きるモチベーションを探しながら日々を過ごしている。

結局、その日のTwitter に並ぶ感想からは
ヒントを得られなかった。
空虚さに煽られるがまま、
ぽつぽつと思い浮かんだ言葉をメモしていく。

並べ終わると、20代を賭けてじぶんが闘ってきたテーマが浮かび上がった。
自信がないからこそのプライドの高さと、
どう修正をしたらいいかわからないほどに拗れた状況が、甘い不幸へ駆り立てていく感覚。
重ねた負の経験ばかりが裏打ちとなって、
幸福ルートへの分岐をなかなか許さない。


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言われてやっと「あー」となる物覚えの悪さを恥じたのだけど、
作品名の「ナルキソス」とは
ギリシャ神話に登場する美少年のことだ。
他者を侮辱し、思いやりに欠けたナルキソスへの罰として、自身のことしか愛せない呪いが
神よりかけられる。

ある日水を飲もうと湖に近づいた彼は、
水面に映る自身に惚れてその場を離れられずに
餓死したとも、キスしようとして水死したとも
言われている。
転じて、自己愛を拗らせた人のことを
「ナルシスト」と呼称するようになったというわけだ。

劇中では、山崎とレオが自身をガラスに映す姿が描かれる。
水面を見つめるナルキソスと重ねた描写であることは間違いなく、
そのシーンは決まって、自分を守るあまりに他者から差し伸べられた手を掴めないときに差し込まれていた。
自身の功績への賛辞を受け取れずに
老いゆく惨めさにばかり気を取られて絶望したとき。
恋人から「パートナーシップを結ぼう」と提案されても
「家族」を知らない不安に絡められて踏み出せなかったとき。

これまでの自分とこれからの自分のギャップに挟まれたときに、彼らは自己防衛の水底に沈んでしまう。

過去の自分が知らぬ人間の救いになったと知っても、恋人とその家族が温かく包んでくれても
抱え込んでいる自信の無さが埋まるわけではないからだ。
作り上げた自己像と違うものを提示されると
尻尾を巻いて逃げ出したくなってしまうその姿に、劇場の椅子に縛り付けられたように座って既視感だけを受けとめていた。

だから山崎のことを
ただの「変態の偏屈ジジイ」と言って笑えなかったし、
「あんなにパートナーとその家族から迎え入れられるなんてもはや不自然なぐらい幸福だよねぇ」
みたいに、フィクションとして横に置くこともできなかった。

まして山崎とじぶんを比較したとき、
彼は社会的に一定の成功を収め、財産を築いて歳を重ねられただけ遥かにマシに見えてしまう。
そのせいで傲慢な性格を修正してやり直すチャンスを奪ったとも言えるが、
彼が“彼のまま”長く生きてこられたのは一つの幸せの形であるとも思える。
その理由は、映画のラストで確認してほしいのだけれど。

作品を通じてじぶんのままならなさを改めて突きつけられ続けるのに、物語は思わぬ展開に収束してゆく。
それも含めて、鑑賞後のわたしは途方に暮れてしまった。

今のわたしには新たに踏み出す先も
すべて突っぱねて貫き通したい己も
見当たらなかったからだ。
せめてどちらかがあったら、人生を少しは楽しく組み立てられるのかもしれない。

神話のナルキソスは、呪われる前に不吉な予言を受けている。

「己を知らなければ、長く生きるだろう」

それは正に、主人公 山崎の姿と重なる。
己を見つめずに生き抜くこともまた、人生の一つの形なのだ。
けれどわたしはもう、そちら側のルートは選べない。
あまりにも多くの人の人生を通して、自らを見つめ、知ってしまったからだ。

新宿の人波にまぎれながら、思い悩む。
水面のじぶんを見つめ溺れることを引き受けるか、遠くに聞こえる誰かの声に我に返るか

せめぎ合いの日々はきっとまだ続いていく。


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