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放送大学大学院博士後期課程:1期生の立場から(9)国際日本文化研究センター特別共同利用研究員

京都にある国際日本文化研究センターに、特別共同利用研究員という制度があることを、あるとき知りました。おそらくツイッターで知ったのだと思います。

以前に書いたように、国際日本文学研究集会での発表についても、エントリー期間の延期をする旨の告知がツイッターに流れてきて、インターネット上で応募が可能なことから、急遽エントリーしたのでした。私がツイッターでフォローしているのは、研究者の方や研究機関などが多いので、手軽に貴重な情報を入手することができるのです。そのなかには、貴重な文献の新刊があったり、論文があったりします。

日文研の特別共同利用研究員制度は、全国の博士後期課程学生を学費無料で受け入れるというもので、センターに所属する教授から指導を受けられるというものです。私は指導教授が日本文学を専門とする方ではなかったので、これは自分のためにこそある制度だと考えたのでした。指導教授に相談したところ、快諾してくださったので、規定に則り、日文研の日本近代文学を専攻する教授に指導の打診をしたのでした。

京都まで通うことになりますが、幸いなことに生涯学習開発財団の助成が受けられたこともありました。また、妻の実家が神戸なので、宿泊が容易だったこともあります。東日本大震災以後、関西に生活の拠点を移すことも、この時期にはひとつの方向として考えていたのでした。

お手紙をさしあげた教授が指導を快く引き受けて下さったこともあり、事務手続きはつつがなく完了しました。教授は、文学と戦争や植民地主義との関係について研究している方なので、ポストコロニアリズムの視点から遠藤周作を読み直す上で、またとない指導者なのでした。

ところが、私も仕事が忙しく、また、指導教授も海外出張が多く、なかなか直接お目にかかって指導を受けることができません。空間的な障壁を、放送大学の遠隔教育は楽々と乗り越えてしまいますが、対面教育はそうはいかないのです。

それでも、論文が活字になればお送りし、メールを差し上げれば、打てば響くように教授は返事を下さいました。海外からの返信ばかりでした。大学などの研究機関に身を置くというのはこういうことなのかと私は思いました。大阪にある大学の教員公募に応募して1次の書類審査が通り、2次審査で落ちてしまった際にも、こころのこもった励ましの言葉をいただきました。

当時の私は、休日には論文執筆に集中していたので、学会に足を運ぶことが稀だったのですが、学位論文が一段落して学会に行ったところ、どこでもその教授が来ておられて、京都まで行かずとも、東京の学会に来れば会えたのだと気がついて、苦笑したものです。こういう間抜けなところが私にはあります。

その後、上智大学で開催された遠藤周作学会の全国大会で研究発表したところ、続いて発表した若手の方が、その教授から現在指導を受けている方で、私の博士論文も読んでくださっていました。どこかで人の縁が繋がっているのは、面白いことです。

ここで学会について少し書いておくことにしましょう。私は学部を卒業してすぐに社会に出ましたので、学会といっても学内学会しか知りませんでした。(そういえば、放送大学には学内学会がなく、大学院生が投稿できる研究紀要もありません。将来的には必要だと思います。)30歳前後で、高等学校の教員も多く参加している学会に入りましたが、大会に足を運んだことは数回です。まして、自分で発表したことはありませんでした。

レジメの作り方、口頭発表の仕方、質問の作法などを研究するために、大きな学会の大会に行くようになりましたが、知っている人はまったくおりません。居心地の悪さといったらありません。おまけに、会場では、知り合いの方々同士が、あちらでもこちらでも、楽しそうに笑顔で談笑しています。

私は学部からそのまま大学院に進み、学会での先輩の発表を見たり、学会運営の手伝いなどをしながら、自然にその世界に馴染んでいったわけではありません。おまけに、現在の学会では、ほぼすべての発表が、若手の大学院生です。私は年齢だけは重ねていますから、何とも場違いな人物であることは否めません。

博士課程に進み、学会で気後れする気持ちについて、ある教授に正直に申し上げたところ、自分も海外の学会に行けば同じですよと言われて、ずいぶん気が楽になりました。このような違和感は、しかし、性格にもよるのかもしれません。大学に所属する研究者の方でも、学会での社交を楽しめない方は少なくないようですから。
(続く)

*写真は、博士論文の一部となった論文です。

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