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【review】 世界のブックデザイン 2021–22

本は、いつ生まれたのか —— この問いに唯一の正解を求めるのはむずかしい。なぜなら、何をもって本とするかの線引きが困難だから。しかし、粘土板でもなく巻物でもない、わたしたちがよく知る「冊子」の形態の誕生については、紀元1世紀頃に古代ローマで発明されたとする説が有力だ。

つまり、本の基本形はおよそ2000年前にできていたのだ。コップや皿ならまだわかる。ワインを飲むため、あるいはパンをのせるための器について、その機能が最もよく果たされる形態が2000年前に発見されていたというのは、その具体性と身体性ゆえ納得がいく。でも、本は、もっとうんと抽象的な存在だ。知恵や知識や記憶という目に見えないものを収める器であり、そんなつかみどころのないものを容れる器が2000年間ほとんど変わらぬ形態を維持しているなんて、結構すごいことじゃないだろうか。


しかし、本の基本構造は大きく変わらないものの、その意匠はいまや百花繚乱だ。本の装丁は、造本の様式、素材の選定、表紙のビジュアル、本文の文字組など、すべての要素が世相や世情を映していておもしろい。

ちなみに、スペインの製本家、ジュゼップ・カンブラスの記した『西洋製本図鑑』によれば、表紙の意匠は形式的あるいは装飾的な時代が長くつづき、その内容とは無関係だった。その本を所蔵した家の紋章や、定型化した紋様などをほどこすのが通例だったのだ。いまのように本のコンテンツが表紙に反映されるようになったのは、20世紀後半になってからだという。2000年の歴史に照らせば、つい最近のことだ。本が大衆のものになってから、といいかえることもできるかもしれない。


そんな、現代ならではの楽しみ、ブックデザインの最先端に触れようと「世界のブックデザイン 2021-22」にでかけた。会場は、印刷博物館内のP&Pギャラリーだ。ありがたいことに、この展覧会では本を直接手にとってページをめくることができる。ビニール製の手袋越しではあるけれど。

会場には、ドイツで開催された「世界で最も美しい本 2022」というコンクールの受賞図書に加え、日本、ドイツ、オランダ、オーストリア、フランス、カナダ、中国における造本装丁コンクールの受賞図書、計160点が国別に並べられていた。全冊をめくっているとさすがに日が暮れてしまうので、第一印象でいいな、というものを手にとっていくことにする。


最初に「あ、いいな」と思ったのは、アメリカの小説家、ライト・モリスの写真集『Write Morris: L'essence du Visible(仮訳:ビジブルの本質)』だ。角背上製本、錆色の布貼り、タイトルはシンプルな書体で箔押しされ、型押し部分にビジュアルが貼り込まれている。本文にはモノクロ写真が淡々と配置され、ほどよい余白がある。この余白は空気みたいなもので、あまり意識することなくページをめくっていける。これらの写真は、モリスが1930年代にアメリカ中西部で撮影した日常風景だという。人物は一切写っていないのだが、そこには生活の匂いがもわっと立ち込めている。

それからもう一冊、フランスの彫刻家、ヴァランタイン・シュレーゲルの作品集『Valentine Schlegel: je drs, je travaille(仮訳:寝ても覚めても)』も好きだった。並製、橙の紙表紙、表紙には彼女の仕事道具だろうか、ナイフの絵が箔押しされている。彼女の彫刻作品や陶芸作品は、まるで荒野の真ん中で素っ裸でつくったかのような、命そのものみたいな姿をしている。本人の制作風景やアトリエもふんだんに紹介されており、その写真がまたいい。


こうして直感的に、誰にも忖度することなしに、そして言語すらも越えて(2冊ともフランス語なので、わたしにはさっぱり読めない)「好きだな」と思える本に出会うことのしあわせったらない。

この展覧会では、それぞれの本が受賞した際の審査評がキャプションとして添えられている。わたしが気に入った2冊のキャプションを読んでみると、両方に「控えめ」という単語があった。そうか、わたしは控えめなのが好きなのか……と納得しかけたが、いや待てよ、ちょっと違う気もする。わたしが好きなのは、コンテンツに敬意を払い、コンテンツを尊重した装丁だ。この2冊はそういう意味においても、とても素晴らしかった。


ところで、審査評といえば「見事だ」「素晴らしい」「チャーミング」などと受賞図書を手放しで絶賛する日本の評に比べて、オランダの評は辛口だった。「表紙は残念」「タイトル書体が合っていない」「審査員の一人は理解できないといっていた」と歯に衣着せぬ調子で、審査の真剣味と審査員の人間味にあふれていた。わたしは賞なんてものにはちっとも縁のない人間だけど、もしも誰かに評されるなら、もちろん日本式でお願いしたい……。


● 「世界のブックデザイン 2021–22」
印刷博物館 P&Pギャラリー
2022年12月10日〜2023年4月9日

● 『西洋製本図鑑』ジュゼップ・カンブランス/市川恵里 訳(雄松堂書店)

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