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【製本記】 飛ぶ教室 07 | 闇に瞬く小さな光

本をつくってばっかの日々。編集者として本を編みながら、時間を見つけては製本家として本をこしらえている。編集した本は世にでて光を浴びるが、製本した本は暗所に埋蔵するだけの習作も多く、せめてここに記録する。

いよいよ『飛ぶ教室』の表紙に取りかかる。二つの案の間でどうしたものかと揺れていた表紙は、天の小口を染めたことでB案に絞られた。B案というのは「闇に瞬く小さな光」だ。

表材は漆黒のブッククロス。これに光のつぶを描く。伝熱ペンを使って、金の箔で点を打っていくのだ。本来なら芯材をくるんでから箔押しするほうが位置も押し具合も微細に調節できるのだけど、このペンは手に入れたばかりで、まだ使いこなせているとはいいがたい。そこで、くるむ前にやることにした。これなら、たとえ失敗してもブッククロスだけ新調すればいい。

切りだしたブッククロスの上に箔のロールを広げ、さらに点の位置を下書きしたトレーシングペーパーをのせ、熱を加える。「あちっ」と声をあげること数回……手指に名誉の傷を負いながら、光のつぶをちりばめた。


少年たちの友情物語『飛ぶ教室』に、真っ黒な表紙なんて似合わないだろうか? B案「闇に瞬く小さな光」は、わたしなりに物語から抽出したイメージで、とりわけ印象に残った二つのシーンをモチーフにしている。

一つは、少年ジョニー・トロッツが寄宿学校の窓から夜の街を見下ろすシーン。幼い頃に両親に置き去りにされたジョニーには、身寄りがない。胸に深い悲しみを抱えた彼は、いつも一歩引いたところから物事を見ている。自分自身ですら遠巻きに眺めている節があり、「ぼくはすごくしあわせってわけじゃない。でも、すごくふしあわせってわけでもない」などと話す。一人静かに街の灯りを見つめるジョニーは、こんなことを考える。

「どの屋根の下にも人間が暮らしている。そして、ひとつの町にはすごくたくさんの屋根がある! ぼくらの国にはすごくたくさんの町がある! ぼくらの惑星にはすごくたくさんの国がある! 宇宙にはすごくたくさんの星がある! しあわせは、数かぎりない人びとにわけあたえられている。ふしあわせもだ……ぼくは、父さんがぼくにしたような、ひどいことはしない」


もう一つは、ジョニーの親友、マルティンが夜空を見上げるシーンだ。マルティンは勉強ができて、そのうえケンカも強く、みんなのリーダー的存在。しかし家が貧しく、彼の両親は息子がクリスマスに帰省するための電車代すら工面できなかった。ところが、そのことに気づいた先生(正義さん)が電車代をプレゼントしてくれる。かくして家族で聖夜を過ごしたマルティンは、先生へのお礼をしたためた葉書を投函しにいく。その帰り道、流れ星が夜空を滑るように落ちていった。マルティンは、咄嗟にこんなことを祈る。

「母さんと父さんと正義さんと禁煙さんと、ジョニーとマッツとウーリとゼバスティアーンの人生に、たくさんの、ほんとうにたくさんのしあわせがありますように。それから、ぼくの人生にも」


背負った不幸への負の感情に絡めとられぬよう、慎重に距離を置こうとするジョニー。自分のしあわせの前に、みんなのしあわせを祈るマルティン。エーリヒ・ケストナーの作品には、ちょっといい子すぎる子どもがちょくちょく登場するのだが、中でもこの二人はとびきりのいい子かもしれない。でもそう思うのは、私が大人になってしまったから……というふうにも思う。

数年前、小学校にあがったばかりの甥っ子に、「将来、ぼくがみんなの面倒をみてあげる」といわれた。お父さんやお母さんのみならず、おじいちゃんやおばあちゃんならまだしも、おじやらおばやらも含め、自分がみーんなの面倒をみたいらしい。もちろん、いずれケロリと忘れてしまうのだろう。しかし、この甥っ子の太っ腹宣言を聞いて、わたしも彼くらいの頃、みんなの命を勝手に預かっていたことを思い出した。

小さなわたしは、大切な人が死んでしまうことが何より恐ろしかった。死が何かもよくわからないまま、とにかくそんなことはあってはならんと考えてていた。そこで、毎晩布団に入ると「誰それと誰それと誰それと……(名前を列挙)が死にませんように」と祈った。列挙する人数が次第に増え、「あぁ、面倒だな」と思った。それでも、今晩わたしがサボったせいで誰かが死ぬかもしれないと思うと恐ろしく、眠いのをこらえて長々と祈った。これをいつまでやっていたのか覚えていないが、「面倒だな」という気持ちと、わたしがやらねばという謎の使命感は記憶に残っている。


ジョニーやマルティンの真っすぐっぷりと、甥っ子の太っ腹宣言やわたしの謎の使命感は、根底でつながっているような気がする。つまり、小さな人間(いわゆる子ども)は、大きな人間(いわゆる大人)より、命というものをよくわかっているんじゃないだろうか。その儚さも、その強さも、それが孤独に耐えられないことも。

そういや、『飛ぶ教室』より少し前、1919年のドイツを舞台にした小説『ベルリン1919 赤い水兵』のラストシーンもまた、夜空にきらめく星々だった。革命に翻弄されて傷ついた少年ヘレは、星の光に微かな希望を見出す。

闇に瞬く小さな光は、命というもの、人生というものへのことばにならない感情を呼び起こす。大きな光は見る者の心を射るけれど、まぶしすぎると周囲が見えなくなる。小さな光は見る者の心をきゅっと締めつけるけれど、慈しみとしかいいようのない切ない気持ちをつなぎとめる。

さて、箔押しをほどこしたブッククロスで、芯材をくるむ。溝を貼り、いちょうを入れ、表紙と本文を合わせる。わたしの『飛ぶ教室』は、こうして永遠に消えない小さな光に包まれた。


●『ベルリン1919 赤い水兵』クラウス・コルドン/酒寄進一 訳(岩波書店)


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