ギター2

【いつか来る春のために】㉕ 仮設からのリライブ編❻ 黒田 勇吾

「お母さん、光太郎にも少し食べさせてみるわ。ぜんざいのお汁くらいはもう食べれると思いますから」加奈子は炬燵に座って抱っこした光太郎に前掛けをした。美知恵はその姿に微笑みながら三人分をお椀に盛りテーブルに置いてから座って、いただきますと言った。お椀から美味しそうな湯気がのぼった。加奈子はスプーンでぜんざいの汁を掬うと、息を吹きかけて冷ましてから光太郎の口に運んだ。光太郎はいやいやをして食べようとしなかった。美知恵はそれを見て言った。
「じきに食べれるようになるでしょうよ。おかゆも離乳食もずいぶん食べれるようになったもの。しかし光ちゃんは元気に育ってて安心ね、風邪もひかないし。お母さんのおっぱいの栄養が豊富なのね」
「私そんなに食べてはいないんだけど、母乳はまだいっぱい出ます。少しずつ離乳食に換えていってますが、まだおっぱいとミルクが好きなんですよね」加奈子は笑いながらスプーンの汁を自分が飲んだあと、二時からの復興イベントはお母さん、どうしますか、と問いかけた。
「これを食べたら少し休憩しますね。二時過ぎぐらいに顔を出しましょう、鈴ちゃんが歌うの聴かないと。というか是非聴きたいねぇ、どんな歌なのか楽しみ」美知恵はそう応じて、ぜんざいをゆっくりと味わい始めた。

「お母さん、先に行ってますよ」という加奈子の声で美知恵は昼寝から目を覚ました。ちょっと休むつもりが時計を見ると一時間ほど寝てしまったらしい。一周忌の法要が無事終わって緊張がほぐれたからなのか、起きたときは二時半を回っていた。加奈子は美知恵が疲れていることを知っていたのでそっと寝かせていたのだ。美知恵は急いで準備をしたが、もうすぐ二時四十六分になることを思って、いったん隣の部屋に行って写真の前に座った。いよいよ明日が3・11だなと思った。46分を待って静かに黙とうをした。いろいろな思いが駆け巡ったが、そうだ鈴ちゃんのコンサートが始まるんだと思いだして急いで化粧を直してから集会所に向かった。集会所の裏の駐車場には大型バスが二台停まっていた。見ると茨城県OO大学と書かれたステッカーがバスの右正面に貼られていた。
 去年の秋にも確か来ていた大学だと美知恵は思った。集会所の周りは人がいっぱいだった。急いで入口を入ると、歌声が中から聴こえてきた。鈴ちゃんの声だった。静かに中に入り、右隅に光太郎を抱いている加奈子を見つけると、その隣に座った。加奈子は涙ぐんだ眼をして美知恵を見た。集会所の正面に椅子に座ってギターを弾きながら鈴ちゃんは歌っていた。赤いバンダナをして、ラフな白の厚手のセーターを着た鈴ちゃんの歌は、三拍子の少し哀切な調べだった。鈴ちゃんの透き通った高音の歌声が響いている。美知恵はいい声だなぁと思いながら鈴ちゃんを見つめた。
 加奈子は目頭をハンカチで押さえていた。美知恵は遅れてきたことを後悔しながらひたすら鈴ちゃんの歌に聴き入った。やがてギターが終奏し、歌が終わった。ぎっしりと埋まった観客から大きな拍手が上がった。鈴ちゃんがゆっくりと立ち上がって一礼した。
 え、終わりなんだべか、と美知恵が半ばがっくりしそうになったら、鈴ちゃんがまた椅子に座り直して話はじめた。
「皆さん、それでは最後の曲を歌わせていただきます。この歌は、去年の暮れから今年のはじめの二か月ほどかけて創った歌です。先ほどもちょっとお話ししましたが、私は家族をこの震災で亡くしました。その悲しみと苦しみはそうやすやすと癒えるものではありません。今日ご参加されている皆さんのなかにも同じ境遇の中でこの一年を闘ってこられた方が随分といらっしゃるでしょう。私は震災翌日に、亡くなった妻と娘に対面できました。それは確かに悲しいものでしたが、それよりももっとつらい思いをされてる方も実はいらっしゃいます。それはご家族がまだ行方不明の方です。その状況がこの一年ずっと続いていることを思うとどんな声をかけていいのか正直言って分かりません。そうした方々の心を思い、創らせていただいた歌です。
 私はこの一年間、命というものについていろいろと考え続けてまいりました。いったい命とはなんなのか、という少々小難しいことを考えたりもしたのですね。本も沢山読みました。ある本では、死後は天国に行くんだよと説いている。いや、死んだらすべてはおしまいという方もいらっしゃる。人それぞれ宗教観も違うし、命のとらえ方も違います。私はそうしたことをいま議論するつもりはありません。ただ私はある宇宙学者の言葉に心惹かれました。それは、命は死で終わるのではなく、死は生の始まりであり、生命は永遠に続いていく、という言葉でした。その言葉は苦しんでいた私の心にドンと入ってきました。そしてそんな思いの中で創らせていただいたのがこの曲です。
 それでは聴いてください。追悼の歌、水平線を越えて、という歌です」鈴ちゃんは前説をそう話してから静かにギターを弾き始めた。シンと静まった集会所に、アコースティックギターの前奏がゆったりと流れ始めた。

              ~~㉖へつづく~~

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