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『論語』と、「三十」の僕の生き方

半年前、とうとう三十歳になった。

孔子大先生は『論語』で、「吾十有五而志于学。三十而立。四十而不惑。」なんて仰っている。
まったく「立」って(自立して)ない自信だけはあるが、四十まではある意味「惑」って(迷って)いいのだというから、安心していいのだろうか。
いや、これから十年経っても迷いは増える一方な気がするが。


主語を明確にすること

最近、少しだけ、自分の中に変化があった。
昔の友人からもはっきり指摘されてハッとさせられたものを、1年くらいかけてようやく消化できた気がするものだ。
それは、「主語を明確にする」ということ。

ここで、例を示す。
AさんがBさんに酷い仕打ちを受けていたとする。

「Aさんはきっと苦しいだろう。AさんはもっとBさんに対して憤るべきだ。Aさんはきっと○○なように考えているに違いないし、むしろ○○と考えて行動するべきだ。」

僕は、Aさんを見ていて、そう感じる人間だ。
この場合、そう感じている主語はあくまでも「僕は」であって、「Aさんは」ではない。
Aさんのために寄り添っていたつもりが、実は僕の中で勝手に創りあげたイマジナリーなAさん、つまりイコール「僕が」、勝手にBさんに憤っているかもしれない。

こんなこと、きっと世の中の常識だろうし、何を今更って思う人がほとんどな気はするけど、少なくとも「僕は」、そのことに三十まで気付けなかったというのだから情けない話だ。

だから、「僕は」、「僕が」不信に思うもの、嫌悪感を抱くもの、悲しい気持ちになるものは、「僕が」そう感じているということをはっきり分けて伝えるようになった(ここ半年くらいの話)し、それは、孔子大先生のいう「而立」の十分条件でないにしろ必要条件の一つではあるように感じているし、そこに自分の成長を見出してもいる。

同時に「僕は」、友人の指摘の消化の過程で、その指摘を鵜呑みにし過ぎてはいけないとも感じるようになった。

上の例をそのまま引き継ぐなら、Bさんに憤りを感じる主体はあくまで「僕」であることを自覚しながら、Aさんに(時にお節介なほどに)寄り添うこと――寄り添いたいと思う気持ち、そしてそれを実際に言動に換えていくフットワーク――は、僕自身の良さであると信念をもって疑わないし、これからも大切にしたいと思っていることでもある。

Aさんを救いたい、手を差し伸べたいと思うのは、「僕が」思っていることであり、そう思うことは(AさんやBさんといった当事者以外の)何者にも侵されない部分だと思っている。

手を差し伸べることによって起きうるリスクを指摘してくれる存在は、確かに大切にしたいと思う。
それはあくまで指摘であって、Aさんを救いたいと思った「僕」の主体性を脅かすこととは全く異なっている。

誰もがその思想を尊重されるべきものであって、否定されたり強制されたり誹りを受けたりするべきものではないことは、憲法でも定めているとても大切なこと。
三十にしてそうぼんやり思うようになったのは、遅いながらも一つの進歩だ。

これに関連して、もう一つ、大事にしたいことが最近見えてきている。

「嫌い」と「否定」

もう一つ、大事にしたいこと。
それは、「嫌い」と「否定」を混同しないことだ。

僕は、音楽や小説、ゲームによって自分自身の価値観が育ってきたと思う。
三十年生きていると、親や家族や、パートナーや、友人から、「僕が」好きなものについて、時に否定を受けることがあった。
その都度、悲しい思いをしたものだ。
僕が好きなものを分かってほしくて、その良さを理解してほしくて、余計に否定を受けて打ちひしがれたことが何度あっただろう。

でも、ふと立ち止まると、僕も同じように、誰かの「好き」を否定してこなかっただろうかと思う。多分、いっぱい否定してきたし、今も否定することがよくあると思う。
「好き」の否定は、とても苦しいと知っていてもなお、誰かの「好き」を否定してしまう。

そういうのって、良くない。

これでは、「而立」には程遠いのだと思う(ある意味、三十歳以上の人生の諸先輩方による他人の「好き」の否定が、知人・他人問わず散見(リアルでもネットでも)されていることに対して、「而立」と程遠いと彼らを「否定」してしまっていることについては、一応自覚的だが、あくまで「僕が」思う「而立」について「僕自身が」程遠い場所にいると思っている、という言説だと捉えてもらえるとありがたい。こういうのを「都合がいい」「調子がいい」ともいう)。

だから、最近心がけるようになったことがある。
それは、基本的に否定は避けて、「僕が」「嫌い」と思っているということを、主語を明らかにして明確にするということ。

「この曲、「君は」好きなんだね。「僕は」、あまり好きにならなかったよ」

と、あくまで「僕が」好みではないことを発信するようにシフトチェンジしようとしている(本来は何でも「好き」になることが好ましいとはいえ、それが不可能な場面は社会生活を送る上で多々あるので)。

繰り返すが、「嫌い」は「否定」ではない。

「嫌い」のベクトルは、それを嫌っている主体から発せられ、結局は主体に戻って向いている。
対して「否定」は、ベクトルは嫌っている対象に向き、その向こうにそれを作ったり、考えたり、好いている誰かに向かう。

「嫌い」は尊重されるべき、その主体の信念や趣向そのものだし、周囲の漠然とした「好き」に流されていない主体性の裏返しだ。

その「嫌い」が、たとえ大切な友人の言動や思想に向いたとしても、そういう意味では仕方ないのだろう、と諦めもつくようになった。
「僕が」「嫌い」と思っているのだ。どうしようもない。
そこには、僕自身すらも侵すことができない不可侵性が保障されている。

逆に、いい意味で流される(つまり、自身の感情に嘘をついたり、何も感じないふりをしながら円滑に社会生活を送るために「合わせる」こと)のは、大事な側面もあるとどこかで分かってはいるものの、少なくともプライベートにおける「妥協」は不要、時間の無駄だな、とも思っている。
プライベートで、「嫌い」なものや人への忖度は、「僕は」要らない。

そういう忖度やイエスマンにまみれた仲良しごっこ(に見えているのは「僕が」もつ感性からであって、その忖度やイエスマンその人を評価するものでもないし、仲良しごっこに甘んじている人々を「否定」するつもりは毛頭なく、ただ「僕は」そういうのを「嫌い」になった、というだけ)からは、もう卒業することにした。
そういう組織に属しないと死ぬ病気にかかっているのは、悪しきニッポンの教育制度においてせいぜい高校生までだし、もっと自由に生きていいんだって思えるから(逆に、高校生までの子どもには、もう少し辛抱したら自由になれるからねって、声を大にして伝えていきたい)。

『論語』で孔子大先生は

『論語』に立ち返ってみる。
この古典、儒教を広めた孔子が言ったことを弟子がまとめたものであって、孔子自身が書いたものではない。

「吾十有五而志于学。三十而立。四十而不惑。」なんて仰っているが、これ、現代語(タメ語に直すと次のようになる。

「俺は、十五歳で学問やろうって思い立ったんよ。
三十歳になったらようやく自立できてきたなあって。
四十歳でやっと迷うことがなくなってさ。」

孔子大先生、ちゃんと「俺は」=「吾」って、主語を明確にしていらっしゃる。
これってつまり、孔子自身がそうであったことを謙虚に言っただけであって、それを周囲の誰かに強制するような文言じゃなかった説ってないだろうか。

ここで、少し専門的な視点で『論語』を見てみる。

孔子は、早くして両親を亡くし、学問により官僚となって働きながら、国の衰退を食い止めるために大臣として懸命に多くの人を説得した。
多くの弟子を獲得しているなか、国の為政者から亡命したのが五十代。そしてしばらくして戻ってきて、多くの弟子の教育に心血を注いで生涯を閉じたと言われる。
孔子の死後、特に懇意にしていた弟子たちがその問答などをまとめたのが『論語』というわけだ。

当然、筆者が弟子なのだから、孔子先生が仰った文言はイコール「そうすべきこと」という前提として描かれ、そのような言説になっているのは当然のことではあるのだが。

この有名な「吾十有五而志于学~」が載っている「為政」について書かれた「第二」に限ってだが、「吾」が出てくるのは「吾十有五而志于学」と、もう一つしかない。

つまり、「孔子は」そう言っただけであって、そう生きるべきというのは、弟子はそう感じたかもしれないし、読者が勝手にそう感じているだけかもしれない。

孔子は、「俺は」こう生きてきたぞ、と述べたまで。
弟子たちが「君子」として国に、社会に尽くすため、「俺のように君たちも生きろよ」という話の流れだったかもしれないし、「君たちはどう生きるか」と問いかける文脈だったかもしれない(これに関する論文等はパッと見、見つからなかったので何とも言えないけれど……教えて詳しい人)。

まあ、話は大いに脱線したけれど、何が言いたいかというと。
「僕は」、「僕が」思う「好き」や「嫌い」を大切にして、僕以外の誰かの「好き」や「嫌い」も尊重して、迷いながらも三十代楽しんでいきたい、ってこと。

孔子大先生が四十歳でやっと迷わなくなったのなら、僕は一生涯かかるかもなあ、くらいのスタンスで、真の意味での「立」てる(自立できる)ように、精進していこう。

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