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終戦記念日に思う - No. 3

大学時代にひとり旅で訪れた広島平和記念資料館は、オレンジ色の夕陽に温められていた。入館受付終了直前に入り、順路に沿って進んでいく。しばしば、階段に残った人影や中身が焼け焦げた弁当箱の展示物を目にしたときの衝撃が語られるが、他の展示も直視できないものばかりで、目眩さえおぼえた。その原爆の被害にあった人々のことを、英語でhibakushaと呼ぶ。

前職の社員旅行で訪れたひめゆり平和祈念資料館は、雨に濡れて涙を流していた。望まぬ解散を告げられた瞬間に銃撃された学生たちがいたという。彼女たちのことを、英語でLily Corpsと呼ぶことは少なく、しばしばHimeyuri Studentsと呼ぶ。

日本のものを日本語のまま英語にする。その例は多い。しかし、そのせいで「日本固有のもの」という印象を与えないか。遠い極東の島国の"現地語"でhibakushaと呼ばれる人々は、自分たちの国には存在しないもの、と思わせはしないか。

確かにこれは難しい問題だろう。単に「原子爆弾の被害を受けた人」という英訳を当てられても、それはそれで不十分であるし、日本に原爆が落とされたということを示唆する形は語の借用かもしれない。ただ、hibakushaはsushiやtempuraとは違う。相手があって初めて生まれる概念なのだ。原爆を落とされた日本には固有の単語があり、落としたアメリカにはそれに当たる固有の単語が存在しないというのは、やはり不均衡な印象は拭えない。戦争というのはそういうものなのか。

今年は終戦から75年となる。いつまでも被害者・加害者の立場で話し合うのでは非建設的だ。いかにして、惨事を繰り返さないように国際社会に働きかけていくか、という段階に積極的に進まなければ意味がない。戦争は、傷つけた人や国を責めるのではなく、戦争それ自体を憎むべきなのではないか。それぞれが過去の過ちを認め(75年も経って今さら謝罪などの段階ではあるまい)、次の戦争を共に防ぐ。そんな考え方が、理想主義に過ぎると一蹴されてしまうのだとしたら、あまりに寂しい。

ポツダム宣言はこう締めくくられる。宣言を受諾しない場合の日本には「迅速且完全ナル壊滅アルノミトス」。そんなものを予告できてしまう戦争を、忌まわしいと思わないだろうか。

今も世界で紛争が絶えない。そんな中での、終戦記念日である。日本各地の資料館の名称は、平和を記念し、祈念している。

(文字数:1000字)

*私の「終戦記念日に思う」も3回目。ちなみに過去2回はこちらから。
2018年 終戦記念日に思う
2019年 終戦記念日に思う - No. 2

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