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見上げた夜空は

6年前の今日、祖父が死のない世界へ旅立った。9月27日・金曜日。一定の周期で曜日は還るとはいえ、日付と曜日が一致する今日という日には、やはりどこか特別な心持ちに包まれる。


その日も今日と同じように、東京は雲一つない快晴だった。大学の夏休み中であった私は、10月1日から始まる後期の通学に向けて、洋服を買い足そうと思い立った。他方、両親もその日は家におり、歩いて5分ほどの祖父の家に行くという話だった。あまり体調が優れない祖父が気がかりで、私も買い物の前に両親についていくことにした。

そして私たち三人は現実を目にしたのだった。前日父と話をしたという祖父の口から、声が発せられることはなかった。洋服の購入など頭の中から消え去ったのは言うまでもない。救急車で向かった病院からの帰り道、やけに青い空が眩しかった。


その数日前、私は道を歩く祖父を目にしていた。元気がないと聞いていたものの、以前と変わらずかくしゃくとして歩を進める祖父に、少し安心を覚えた。声を掛けようと思ったが、暑い日差しの中で呼び止めてはと遠慮して、遠くで見送った。後から省みると、それが私にとって最後の祖父の立姿だった。それ以来、その記憶が何度も私の脳裏に浮かぶ。後悔してもしきれない。なぜ挨拶だけでもしなかったのだろうか。呼び止めたとしても、互いに長話をするような性格ではないのに、と自責の念に駆られるばかりだ。

祖父との思い出は数えきれない。その終盤に後悔が残ったのはとても辛い。


私が生まれた当初、祖父は私の名前をあまり好まなかったらしい。女性的な名前であることと、父の名前の漢字を使用していなかったことが不本意だったのではないか、と父は話していた。しかし、それからしばらくして、「この子の名前はとてもいい」と父に改めて伝えたとのこと。実際に、私自身にも「名前の通り、大きな人間になるんだよ、なれるよ」と何度も言ってくれた。幼稚園に通っていた頃に新聞の漢字を読むと、大げさなほどに褒めてくれた。どのおじいちゃんおばあちゃんも、孫にとってはそんな暖かい存在なのだろう。しかし、私の祖父は誰よりも私の祖父なのだった。


会社帰りに、ふと夜空を見上げた。東京の明るすぎる街では、星一つさえ見えない。新月まで二日に迫り、微かな繊月もそこにはなかった。しかし、私に無意識に空を見上げさせる何かがあった。

――そういえば、祖父は多く語らずして、語る人だった。

(文字数:1000字)

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