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厄の年は役にたつ年?「役割の年」と「厄割り石」

厄と役

「厄」とか「厄払い」とかって、若い頃は気にせず生きているけれど、何か不調が起きると気になるもの。
周囲で「厄」という言葉を聞くことが多いので、ちょこっと「厄」について調べてみました。
「厄年」は人様の「役に立つ年」とも言われるのですね。

厄年と言われるのは、「男性は二五歳、四二歳、六一歳、女性は一九歳、三三歳、三七歳が厄年にあたるとされています。これは数え年で、〈本厄〉である厄年の前後に〈前厄〉と〈後厄〉もある」[1]のですね。
そして、厄年は「役割の年」であると中村真さんは書いています。[1]。

個人的には、厄年って、体が変化したり、環境が変わる年齢だと考えていたのですが「役割の年」といわれれば、厄年くらいの年齢は、環境が変わり役割が増えるお年頃だから、それはそれで腑に落ちます。
許麻神社[2]のホームページには、厄年は「神様にお仕えする大事な役目を任される年」[2]とありました。

そして、「『ハワイでの「YAKUDOSHI」はおめでたい行事として』受け止められており、日本のネガティブな面が強調される「厄年」とは正反対のよう』」で「ハッピー・ヤクドシ」[3]として迎えられる年だとも書かれていました。

興味深い!
さすが。常夏の島に移民として渡った方々は、逞しくポジティブに生き抜いて来たのですね。
ものごとは捉え方次第。
考え方ひとつで、同じ物事が真逆にも捉えられますね。
昨年の私のように、厄年でなくても転ぶし、骨折もするしね🥰


大塔宮鎌倉宮

先日、ご縁のある大塔宮鎌倉宮[4]に久しぶりに行ってきました。
広々とした境内が素敵なお宮さんです。

お参りの途中、「役割り石」という札が目に入りました。

厄割石?

台の上に素焼きの小さなお皿(かわらけ)が積んでありました。
厄割りとは、この、「かわらけ」という素焼きの土器に「息を吹きかけて、自分の中にある厄をのせて」、「役割石」という石にめがけ「かわらけ」を投げて厄を割ることなのだそう。
割れなかったら、割れるまで続けるということ。「石をしっかり見つめて投げるのがコツ」なのだそうです。

「一回で割れなかったら、拾いに行って再び投げてください。自分の厄は、自分の力で必ず割れますから。」と書かれていました。
「自分の厄は自分で必ず割れる」って、いい言葉💛

早速、かわらけに息をふきかけ、気になることをのせて石に向かって投げました。
1回目は端が欠けた程度。
拾いに行きましたよ。自分の厄は自分で割る!ですから❣
次は思いっきり投げつけて、見事に厄を割りました。

なんだか気持ちがスッキリしました。
お祓いや、厄払い、厄除けって気持ちが切り替わり、すっきりすることが大事なのでしょうね。

お願いばかりでなく、感謝

小林正観さんは「神社というのは、『お願いごと』をしに行くところではなく、『感謝』をしに行くところ」[5]だと書いています。
そういえば、小学生のドリルの読解のお話の中に、お願い事ばかりされて、疲れきってしまった神様のお話がありました。

中村さんは「厄年になったら神社に厄払いに行くのではなく、挨拶に行くこと。『お役目が来たな。ちゃんとやりますって、神さまにご挨拶に行こう』」[1]と書いています。

つい、神社でお願いしそうになりますが、そんな時は思い出して「お守りくださって、ありがとうございます!今日もよい行いをします!」と感謝と宣言をお伝えするようにしています。

今日も良い1日になりますよう、自分の厄を自分で割る❣️勢いで参りましょうか🥰


[1]中村真(2015年7月9日)「『厄年』は『役割の年』だから恐れなくてもいいですよ」DIAMONDonline
https://diamond.jp/articles/-/74642

[2]許麻神社
http://komajinjya.com/archives/714

[3]「厄年パーティー 【Yakudoshi Party】」ハワイ辞典.hawaii456.com
https://www.hawaii456.com/society/yakudoshi_party.html

[4]大塔宮鎌倉宮
https://www.kamakuraguu.jp/

[5]小林正観(2022年10月23日) 「【神社は「お願いをするところ」ではない】『神様が味方をする人』が神社で必ずしていること」DIAMONDonline
https://diamond.jp/articles/-/311371



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