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vol.10 お面めくり

列車に揺られていた。

薄暗い車内を、時折差し込む月明かりがサーチライトのように通り過ぎていく。

僕の向かいにも電車に揺られる人がずらり。皆決まって、お面をつけている。

ここにいる乗客に限らず、皆が等しく持ち合わせるお面。色、形、模様、一つとして同じものはない。不気味なほどに規則正しく並んだそれらをぼーっと眺めながら、僕は想像する。列車の小刻みな振動に身を任せながら「その下」に意識をめぐらせる。お面に描かれた表情がその人物を表しているとは限らない。皆少なからず、素性を一枚のデザインされた皮で覆っている。ごく稀に、本当の顔がほとんど表れてしまっているような人もいるが、出くわしたことがあるのは片手で数えられるほどだ。

決して、決してひと思いにめくってしまおうとは思わない。たかが同じ列車で向かい合わせた赤の他人。あくまでも、隠された表情を妄想するだけで満足。答え合わせまで足を踏み入れてしまうと、たやすく法に触れてしまう。モラルの範疇で限りなく真実に近づこうとするプロセスが、こんな退屈な道中さえも彩ってくれる。

列車がトンネルに入った。対面に向いていた意識が根こそぎ暗闇にさらわれる。やがて、左から光の輪が迫ってくる。僕が乗る車両が照らされると、目の前に並ぶお面の表情はまるっきり変わっていた。こうなると、僕の妄想は振り出しに戻る。すごろくのような落胆は皆無。むしろ、またイマジネーションを膨らませることへの喜びに包まれ、同じことを繰り返すのだ。

すると突然、横から一枚のお面が覗いてきた。困惑している顔だと認識できる。怒りともとれる。とにかく何かを訴えたがっている様子だ。一瞬の気まずい静寂を挟んで、ようやく気づいた。僕がここにいる目的は、こんな退屈な列車に揺られている理由は、この人をもっと深く知ることだったんだ。ずっと時間を共有してきたはずなのに、この列車に乗った瞬間からすっかり存在を忘れてしまっていた。

右頬を脂汗が一滴流れ落ちた。大丈夫、お面に隠れて本人には見えていないはず。




……こんなことが、本当にしょっちゅうある。

言うなれば、僕は「人間観察病」だ。ふと目にした人の様子から、どんな気持ちなのか、本当はどんな人なのか想像してしまう。道を歩いていても、図書館で勉強していても、交差点を渡っても、そこで出くわした人の素性を妄想する癖が付いてしまっている。

誰にも迷惑はかけないので自分でも楽しんでいる節もあったのだが、最近になって、この症状にどうやら弊害がついて回っていることに気がついた。

目の前の人に注意が向かなくなるのだ。

親しい人と時間を共有していても、見ず知らずの誰かに注意を向けてしまう僕。その人数が多ければ多いほど、相対的に本来向けるべきベクトルは短くなる。

居酒屋チェーンのような、一つの空間に島が乱立しているような場所なんて最たる例だ。同じテーブルを囲む人より、その背後に映る名前も知らない人に注意が向いて、想像してしまう。

あそこにいるカップル、どことなくよそよそしいな……。実はまだ付き合っていないのか?
あの人、ずいぶん楽しそうに飲んでる……。よっぽど普段の仕事がきついんだろうな。
いますれちがった二人組、片方がずいぶん一方的に話してたな。喧嘩しちゃったのかな。

そんな奴と僕が食事に行ったと考えてみよう。たまにしか会えない友達と食事。いざ始まると、向かいに座った彼がどことなく素っ気ない。同じ卓を囲んでいるはずなのに、ずっとキョロキョロしていて上の空。ちゃんと話聞いているのかな。よく見てみると、自分越しに後ろの人をチラチラと見ている。

……だめだ。コミュニケーションのあり方として最悪だ。

事実、一緒に呑んだ友達から帰り際に「今日静かだったね」と言われることもしばしば。これは由々しき事態。実際に被害が及んでしまっている。

しかし、なぜなのだろう。どうしてここまで灯台のように遠くに注意を張り巡らそうとするのだろう。

単純に人への興味が強いのは間違いない。LINEなど感情を探るヒントが少ないコミュニケーションが得意ではない僕にとって、直接人を拝める機会はご褒美のようなものだ。その好奇心が目の前の人にとどまらず、その奥にいる見ず知らずの誰かまでにもあふれてたどり着いてしまうのだろう。そして結果的に、ある程度気心の知れている友人よりも、完璧な謎に包まれた人物のキャラクターを探り始めているのだと思う。

そう考えると、この癖も良い方に応用できそうな気がしてくる。この症状はいわば、人の「ゼロからイチ」を知る作業だ(真実にたどり着くことはないのだけれど)。それを「イチからヒャク」にしてしまえばいい。つまり、僕が本来持ち合わせる人への強烈な興味、それを純粋に目の前の人にぶつけるだけで良い。ある程度気心の知れた友人でも、隠れた一面はもっとあるはず。あらゆる方向に散らばっていた矢印を一つの大きな束にして然るべき人に向けてみよう。

個室で食事をとったときはこの癖が封じられたこともあった。他にも色々試行錯誤できそうだ。次会う友人に先に断っておきたい。食事中がっつり見つめてしまったらごめんなさい。


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