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大坂城と真田丸跡を散策 [日本100名城] [大阪府大阪市]

(2021年3月のブログ記事を転載)


今回のテーマは「大坂の陣と真田丸」とし、
伊丹空港から空港バスで大阪駅へ向かい、そこからのんびり歩いてまずは大坂城へ。


大坂城はご存知のように豊臣秀吉が本願寺跡地に築城したのですが、現在の大坂城の縄張りは、徳川二代目将軍である秀忠が全国の大名に号令をかけて築城したもので、豊臣時代の遺構はほとんどが土の中、埋められてしまっています。

なのですが、上町筋のドーンセンターのところで豊臣時代の石垣を見ることができます。

豊臣時代の野面積みの石垣

豊臣時代の三の丸にあった石垣をここに移したとのこと。

時折、期間限定かつ人数制限(抽選制)で地下に眠っていた豊臣時代の石垣が公開されるのですが、なかなかチャンスがありません(涙)

大坂城豊臣石垣公開プロジェクト|太閤なにわの夢募金


ということで、京橋口から城内に入っていきます。
さすが、枡形門の石垣の石が大きいですね。櫓はなく、石垣の跡だけのようです。

門の石垣の石が大きければ大きいほど権力の証となる


で、目の前にどーーーーん!と巨石が。こういう入り口となる門にどれだけ大きな石を置くか、美しく見せるかで城主の権威が見て取れますよね。
肥後石と名前がついているので、加藤家がもってきた石なのかしら?

小豆島からはるばると・・


京橋口から入っていくと、右手に北仕切門跡がありました。
二の丸には各区間があってそれを仕切るための門だったようですね。


と、目の前にはお堀と石垣と天守が!もうこれは見事ですね。
特に屏風折の石垣とお堀がいいですね、美しすぎます。大好きです。


うっとりと眺めながら内堀沿いを歩いて、本丸へ向かいますよ。
極楽橋を渡ると、これまた見事な枡形門跡が、、、


山里丸を抜けて、本丸へ向かいますが、ここでうっかりある重要なものを見逃してしまい、また後で戻ってくることになります。


枡形門跡を抜けると、ついに本丸です。


天守台が見事すぎて、うっとりしちゃいました。

天主は復興天主です。確かにそこに天主はあったけれども、デザインなどが実際とは違うものになります。大坂城は豊臣時代の天守を模したものを徳川時代の天守台に復元したという、、ややこしいな。


せっかくなので、天守閣の中にも入ってみることにしました。入場料600円。
中の展示は古文書がビッグネームだらけのウハウハ状態でのなのですが、残念ながら撮影禁止で、、、撮影できたら家で古文書解読の練習に使いたかった、、。


撮影OKのところだけ少し。
こちらが大坂の陣の配置図で、左側が冬の陣の時のものですが、もう幾重にも堀があり、周りの河川が天然の要害となって鉄壁の、難攻不落のお城だったんですよね。唯一の弱点だと思われる部分には「真田丸」が築かれましたしね。

なのに、冬の陣の後の和睦条件で堀を埋め(しかも条件にない堀まで)、真田丸も取り壊され、完全に丸裸にされてしまうんですよねえ、、、。


と、天守最上階からの眺めになります。

ゆっくり一周まわって、大阪の街を一望できました。


いやー、今までも何回か大坂城は来たことあるんですが、自分の中での見え方がまるっきり変わっていて、そういう変化を感じるのが面白かったですね。



と、山里丸にまた戻って、どうしても見たかったのが、、、

淀君、秀頼の自刃の跡地でした。
真田信繁の嫡男、大助ももしかしたらここで一緒に自刃したんでしょうか、、。



そして、桜門跡の巨石。これが大坂城内で一番大きいものだそうです。

こうして人が歩いているのをみると、巨石のスケール感がわかるかと思います。
これ、どうやって運んできたのか気になります。石垣は小豆島から切り出してきているとのことですが、これも小豆島から運んできたのでしょうか?!


桜門を抜けて、、


空堀と石垣、いいですねー。


ということで、大手門を抜けて大坂城を後にします。
ここは多聞櫓が残っているんですね〜。


大手門の石垣にもやはり巨石がありますね。


大手門を出て、しばらく内堀沿いをぐるっとお散歩です。

屏風折の石垣の美しさに本当惚れ惚れしてしまいます。
まさにこれぞ近代城郭の美ですね。



大坂城を後にして、テクテクと向かった先はというと、、三光神社です。


おっと、ここで長野県上田市でも見た六銭文と真田信繁の銅像がお出迎えです。


見たかったのはこちらの抜け穴で、これが大坂城内との行き来に使われていたとか、、。


そして、三光神社から歩いてすぐの学校の敷地(グラウンド)が真田丸の跡地だったようです。


石碑のすぐそばにあるお寺には「真田幸村出丸城跡」という石碑が立っています。


そして、お寺の境内に入ってみると真田信繁のお墓もありました。


そして、真田丸跡地から地下鉄で移動し、通天閣側までやってきました。
こちらの神社なのですが、、、


大坂夏の陣で徳川家康の本陣まで切り込み、家康を伊賀越えの時に続いて自害寸前にまで追い込んだにも関わらず、戦の流れが変わり、、真田信繁は討ち取られてしまいます、、。その場所がこの神社だったそうです。


今まで何度も来ている大阪ですが、こうやって旅のテーマ(大坂の陣と真田丸)を決めて見て歩くのも面白いですね。 まだまだ見たい場所がたくさんあったのですが、今回はここまでということで、通天閣で串カツ食べて帰ろうとしたら、お店がほとんど閉まっていました。


泣く泣く餃子とビールを頂いて、その夜の宿泊先に戻ってきましたとさ、、。

(終)



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