「翔べ! 鉄平」  6

 着地訓練が始まった。

 戦闘服に着替え鉄帽(ヘルメット)を被り、草地に踏み台を置いてその上から飛び降り、着地の練習をする。高さは五十センチほどで、前方に飛び出すと、左右前後に倒れて落下の衝撃を交わす訓練である。

「足が地に着く瞬間から、柔道の受け身で交わすようにしろ!」

 龍宮少尉自身も混ざって訓練をする。練兵場の遠くから見守る他の兵隊たちはそれを不思議そうに眺めている。

「ウ!」

 熊沢が倒れた瞬間うめき声を上げた。地面に転がっていた石の上に尻餅を着いたのである。熊沢は尻を押さえて四つん這いになると、

「いてぇ~」

 と苦痛の表情を露にした。

 精神注入棒は尻を広範囲に叩くので力は分散されるが、地面の石は尻の局部にめり込み突き上げるので集中した鋭い激痛が走る。

 訓練が終わり食堂に向かう彼らは一様に体のどこかに手を当てていた。手にしている鉄帽には所々凹みができていた。不思議な訓練をやっている彼らを垣間見た他の兵隊たちはくすくすと笑いを堪えてすれ違った。

「初等訓練の注入棒の方が痛く感じなくなるかも知れませんね」

 と、鉄平が小声で言うと犬飼が流し目で見た。

「じゃぁ、戻るか?」

「あ、いえ」

「研究委員会の連中は何を考えているンだか」

 と熊沢がため息混じりに呟いた。

「そういえば少尉の、志願のさせ方は強引だったな」

 犬飼もため息をついた。

「少尉自身、似たような志願をさせられたに違いない」

 熊沢は嫌味を込めて言った。

 次の日、またあの格納庫に連れて行かれると、そこには先日には見なかった大きな機材が置かれていた。大きく正方形に組まれた鉄パイプの下に、更に四本のパイプで吊るされた大きな籠が左右に揺れているのである。

 龍宮少尉がその機材の前に進み出た。

「これは、ゆりかごだ」

 エエ!!?

「飛行機は前に向かって飛んでいる。だからこれを使い、動いている乗り物から飛び出すことを想定した訓練を行う」

 揺籠に踏み台を使って四人が乗り込む。そして揺籠の左右に結ばれた綱を他の訓練兵が交互に引っ張りあう。籠は次第に速度を上げて左右に揺れる。

 揺籠とマットの間の高さは一メートルほどしかない。しかし左右に動いている籠の中から飛び出す時、足元を十分に踏ん張ることができないことと、視点が変わるので目指す着地点を定められず飛び出すことに迷う。
 いざ飛び出そうと籠を作るパイプに捕まると体は大きく左右に揺れる。景色が揺れ、世界が揺れる。

 ウゥ!

 鉄平が籠の中で蹲ってしまった。

「どうした! カラス!」

「しょ、少尉殿、目が回って気持ち悪いです。脳みそが揺れます」

 それまで大きく揺れる自動車にも乗る機会の滅多になかった鉄平は乗り物酔いを感じてしまった。ところがそんな鉄平を見ていると、同じく搭乗しているほかの三人も籠のパイプに捕まりながら俯いて情けなさそうな顔つきになっていた。

「気合だ! 気合を入れて飛び降りろ!」

 鉄平は意を決し、体を躍らせ飛び出した。体が斜めになって捩れて落ちる。マットに足が着くと、横揺れの勢いで倒れると言うより、目が回って倒れてしまうのである。倒れた姿勢から無理に起き上がると周囲の景色が回っている。後の三人も飛び降りると同じように頭を振っている。

 揺籠が止められ次の四人が乗り込む。同じように飛び降りては頭を振っている。ところが犬飼は澄ました顔で飛び降りて、マットの上で転がり、優雅に立ち上がった。

「犬飼さん、大丈夫なンですか?」

 と鉄平は犬飼を覗き込んで聞いてみた。

「家は漁師だからな。船のような揺れには慣れている」

 次の四人の中に龍宮少尉も加わり籠の出口に立つと、気合を入れようとして叫んだ。

「揺らせ! 強く揺らせ! 私が手本を見せてやる!」

 熊沢と犬飼はここぞとばかりに綱を引っ張り、籠を揺らした。龍宮は飛び降りる姿勢をとったが、なかなか飛び降りない。怖いのではなく、目が回るのである。

 トォ!

 やっと飛び降りた龍宮は、やはり足をふらつかせながら立ち上がった。そしてしかめっ面をして揺り籠を見ている鉄平に近づいた。

「カラス、お前、飛行機に乗ったことあるか」

「いえ、まだありません」

「飛行機はナ、着陸するときが一番気持ち悪い。しかしな、途中で飛び降りるならそれは関係ない。船より揺れないぞ」

 龍宮はそう言って、ぎこちない澄まし顔を作り、籠を見守り続けたのである。ほとんどの者が揺れる籠を見ているだけで気持ちが悪くなった。

 食堂に向かう小隊の先頭を歩いていたのは犬飼だった。他の者は食事を貰ってテーブルに就いても食欲が湧かない。げんなりした顔の小隊を横目で伺う連中からくすくすと笑う声が聞こえてきた。

「龍宮少尉の顔、見たか?」

 と犬飼がニヤニヤしながら言う。

「ああ、完全に酔っていた」

「髭が垂れていたぞ」

 と言う熊沢もこの時まだ気分が優れないようであった。


 訓練が進む中のある日、あの格納庫に小隊と研究委員全員が揃った。格納庫の中では天井から白い布が吊るされ、その裾を周囲の梁から渡された幾本もの紐で引っ張り、傘のように開かれた落下傘が訓練兵たちに公開された。

 傘の裾からは幾本もの細い綱が垂れ下がり、それが一点に集まる

ところで黒い人型の錘のようなものがぶら下げられ全体を下に引っ張っている。

 オオ!

「でっけぇ傘だな」

「ふわふわしとるぞ」

「クラゲのようじゃ」

 格納庫を見上げる小隊から感想がもれる。それを聞く藤倉博士は自慢げに笑っていた。

「これが、今回、写真や新聞の記事の情報を素に試作した、最初の空挺隊用落下傘じゃ。飛行隊が背負う落下傘を改良して作成した。こいつをまず飛行機から落としてみようと思う」

 すると犬飼が博士に質問した。

「この傘、体に巻きつけて飛行機に乗るンですか?」

「いや、この傘とその下に繋がっている沢山の細かい紐は背嚢に畳

み込む」

「じゃ、背嚢は何処に背負うンでしょうか」

 すでに幾度も地上戦訓練を受けている犬飼が続けた。

「ドイツで撮影された写真を分析すると、別途落下傘で落としていると見られる。ただ軽量化が進んだ武器を纏めて落としているよう

じゃ。おいお前、カラス、ちょいと来い」

 と博士は鉄平を手招きで呼び、落下傘が吊るされた格納庫から隣の格納庫へ移動した。同じ落下傘がつる下げられていたが、黒い重りは付いていなかった。

 鉄平が博士の後に付いて進み入ると研究助手たちが彼を取り囲んだ。鉄平は両腕を上げてされるがままになった。
 両肩に太い皮製の帯紐がサスペンダーのように掛けられ、腰の両脇から尻の下へ伸びた帯紐が股の下を通って腹に当てられ、肩から胸に落ちる帯紐と金具で結ばれる。
 丁度胸の上で左右に幅広の帯紐が伸び、左右のサスペンダーを中央に引っ張っている。それは落下傘の下で黒い人形が着けている胴巻きと同じであった。

 最後に助手が天井から下げられたロープを鉄平の肩に付いた止め具に引っ掛けた。するとウインチの音がして鉄平の体が宙に浮く。鉄平は自分が生まれて初めて、地面から足を離したような気になった。そして足をぶらつかせてみるが力を入れることができずぶらぶらと揺れてしまう。自分の望む方向を向くことができない。

「この状態が、落ちているときじゃ」

 鉄平は頭を下げて格納庫の地面に立つ人たちを眺める。地面にいる者は頭を上げて鉄平を見守る。

「どうじゃ、着心地は」

「体が、締め付けられます。それに向きが替えられません」

 鉄平はそう感想を述べてから、自分も天井を見上げてみた。肩幅で平行に垂れ下がったロープが彼を吊るしている。
 そこで鉄平は両腕を上げ、右手で左肩のロープを掴み、左手で右肩のロープを掴むと、その二つを同時に引っ張った。すると二本のロープは捩れて体は少し浮き上がり、向きを変えることができた。

「おお、カラス、すばらしい。方向が替えられるではないか」

 鉄平が手を離すと体は半分錐揉み状態で回転し少しだけ低い元の位置まで落ち揺れる。 

 ウインチの音がして鉄平が降ろされると、今度は一人ひとりそれを体験していく。まるで遊園地の遊具に乗ったような気分になり小隊に笑顔が広がっていく。
 ウインチの音がして急に上に引き揚げられたと思うと、今度は勢い良く下げられる。下げられて急に止まると、又の下に通された帯紐が引っ張られ睾丸を挟みつける。

「ウ!」

「どうした!」

 博士が驚いて見上げて聞く。

「あ、あ、金玉が、挟まれて」

「フォホホホ、落下傘が開いたときには、落下に急激なブレーキが掛かり上方へ引っ張られるように感じるはずじゃ。大きな力が加われば皮の帯紐も伸び縮みするでのォ。大切なところを分けるようにして、確り体に巻きつけにゃならんな」

 そして全員が体験し終わると、龍宮少尉が進み出てきた。

「諸君、今日は楽しかったと思う」

 中尉は鉄平に視線を向けた。

「はい。なんか、噂に聞く遊園地の乗り物みたいですが、初めての体験のようで」

 少尉の顔はにこやかになったが、髭は震えているように見える。

「さよう。そこで、明日は君たちに本当の遊園地を体験してもらおうと思う」

 エエ!

 小隊に少尉の笑顔を訝る声が漏れた。

「明朝は、全員私服で集合するように。君たちを、読売遊園に招待する」

 その日の食堂では遊園地の話で持ちきりであったが、笑っているものは一人もいなかった。

「なにが遊園地じゃ」

「何を企んでいるのか」

「少尉の髭は震えておった」

                        つづく

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