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天真爛漫さの罪〜朝ドラ「らんまん」と「ブギウギ」の類似点から考える

ずっとテレビの正面に座っているので、毎朝、NHKの朝ドラを見ている。
田舎にいる頃は毎朝見ていた。大学卒業後にはテレビ番組制作会社で働き、夜型の生活をしていた頃には、ほとんど見ていなかったから、この頃のラインナップは私のドラマの記憶にはない。1990年4月から2010年3月までの20年間だ。

2010年にもうテレビはやめると言って、フルタイムでテレビの仕事をするのをやめた。結局は食べていけないので、2012年春辺りからフリーランスで、構成作家の仕事をするようになったが、とりあえず、ここで一旦、怒涛のようなテレビ制作の日々からは遠ざかることとなった。朝ドラ視聴の習慣が復活したのは、この時、2010年の4月期である。
それからは、朝ドラは朝8時を知らせる時計となり、すべての作品を見ている。
たしか、2010年4月期の作品は「ゲゲゲの女房」ではなかっただろうか。

ヒロインは漫画家水木しげるの妻であり、演じたのは松下奈緒。しかし、存在として凄すぎる水木しげるの方を中心に話が進むのは必然で、この時は、演じた向井理が注目の新人だったこともあって、彼の方がこのドラマの主人公のようだった。最近は男女平等の意識も広がってきたため、朝ドラは必ずしも女性の生き方の物語ではなくなってきて、夫婦役でダブル主演のようなことが多いが、この「ゲゲゲの女房」がその走りだったと思う。男性の方が有名人で、それを支える妻との二人三脚人生が描かれる。今年前期の朝ドラ「らんまん」もそんな夫婦の物語だった。

なんだか前振りが長くなってしまったが、本題はここからだ。
そんな変わり始めた朝ドラでは、主人公や登場人物の描かれ方も変化してきた。そして、このところ、それが顕著な気がする。

主人公が必ずしもいい人ではないのだ。
ドラマを見ていて、主人公の言動にイライラすることが増えた。それが顕著だったのが「ちむどんどん」。主人公だけでなく、主人公の家族みんなにイライラさせられた。
お前、自分のことしか考えてないだろという言葉が頭の中を駆け巡る毎日。

でも、これが現実なのだろう。
「らんまん」のマキノも自分本位なところがちゃんと描かれていた。
素直で、自分の好きなものに忠実で、努力家で、周りの人間も明るくする。しかし、それが暴走して、周囲に迷惑をかけていることに気づかない。頭のいい人や才能のある人にありがちな上京だ。基本、牧野万太郎はいい人に描かれながら、ちゃんとそういう突出した人の自覚のない身勝手がちゃんと描かれていた。

今回の「ブギウギ」の主人公鈴子も、牧野万太郎とおぼっちゃまと大阪の元気印の庶民の女の子という違いはあるが、自分を信じてまっすぐに進む一本気なところは同じ。しかし、彼女も相手の立場を考えることができない。自分ができることは人もできると思って、なぜ?なぜ?なぜ?と友人に行動を促すお節介な姿は見ているものをイライラさせた。
まあ、子どもに相手の立場や環境を慮れというのも酷だが、大人になった鈴子もそうした性格は変わっていないようで、ストライキの責任をとって梅丸をやめるという大和に対し、団員全員集合した場所で泣きじゃくり、大和さんがいなかったらストライキの意味もないし、私もやらなかった、大和のいない梅丸なんてなくなればいいとまで言う。これがまた通る大きな声でワンワンやるものだから、見ている方のイライラも倍増。この子、やっぱり自分のことしか見てないなあって思うのだ。

今週、描かれている出生の秘密にしても同様だ。
ツヤさんが育ての親だったことへのショックはわかる。しかし、子どもの頃からずっとあった鈴子と六郎の本当の兄弟じゃない疑惑についても、まずは兄弟じゃないことを否定しながらも、心の中ではもしそんなことがあっても、六郎の方が貰われっ子だと勝手に自分の中で決めつけていて、大人になってもそれは変わらず、貰われっ子と判明した時の六郎のメンタルを心配したりしている。彼女の中に、自分が貰われっ子だという考えはこれぽっちもない。これって、ある意味、六郎を見下している。この人は自分が一番幸せ教にでも入っているかのようだ。

自分がツヤさんの子どもではないと知った時の落ち込み用たるや、ちょっと本当のお母さんが可哀想になった。鈴子は何にあれほどショックを受け、あそこまで呆然としてしまうのか?そんな姿を生みの母に見せて、目の前の本当の母がどんな気持ちになるか考えてみないのだろうか?

どんな事情があったかはまだ描かれていないが、生みの母のキヌさんは鈴子を捨てたわけではないようだ。彼女の当時の悲惨な事情を鑑みて、ツヤさんがしばらく預かると言って連れて行ったようである。

最初は年に一度鈴子に会っていたが、やがてツヤは香川の実家に帰ってこなくなったと言う。それを聞けば、鈴子自身、風呂屋の家族として幸せそうな鈴子の姿を見たキヌは鈴子を返してと言い出しづらかったのではないかと言うことくらい想像がつきそうなものである。なのに、ここでもまた彼女は自分本位に泣きじゃくり、目の前の生みの母を傷つける。
キヌさんは自分の娘を目の前にして、どんなに辛かったことだろう。

鈴子の気持ちが本当によくわからない。自分があの風呂屋の家族の本当の血のつながった家族でなかったことがそんなにショックなのか。この態度は六郎をも傷つけていると思うが、彼は子どもの頃から人の気持ちがわかる人間であった。鈴子にとっては全てが自分を中心に回っている。明るい良い子の罪にありがち。自分では無意識に、自分はこの人より幸せでないわけがないと思い込んでいる。

今日の回は録画に失敗し、朝も昼も仕事の関係でちらっとしか見ることができず、今は深夜の再放送はやってないみたいで、オンデマンドはカードの使用限度を超えて使えず、見ることができていない。しかし、その後、鈴子のキヌに対する態度がどう変わったかは気になる。土曜はダイジェストだし、早くカードを復活させて、オンデマンドで見なければいけない。

私の場合は病気という事情もあっての金欠だが、現在、貧困が蔓延していると言われるのは、アベノミクスの失敗のせいだと私は思う。安倍晋三という人は、牧野万太郎や福来鈴子とはまた種類も方向性も違うが、自分を顧みることなく、自説の正しさを信じ、それを実行し、国民を貧乏のどん底に叩きつけた。世に出る人というのはそのくらい自分勝手でないと、すぐに足を掬われてやってけないかもしれないが、それで迷惑を被っている人は多い。

ある意味鈍感、ある意味ではなく、完全に鈍感だからこそ自分を信じ、人の意見に耳を傾けずにやっていけるのだ。常に笑顔でまさに天真爛漫。多分、安倍晋三を支持した人は、自分が抑圧された環境に生きているからこそ、彼が天真爛漫に自説を語る姿のファンになったのだろう。それは読み過ぎか、、、?

天真爛漫というのは楽しいけれど、罪も大きい。

これは一方、リベラルな頭の良い人たちにも言えて、みんな頭の良い自分たちと同様に考えられるのだというのを前提に自説を組み立てる。一見平等な意識でいるようで、現実はそんなことはないという事実からは目を背ける。そういうところに、自分はそんなに頭は良くないという自意識を抱えながら生きてきた人たち(実際に頭がいいか悪いかはわからないが、学校の成績やらなんやらで自分のランクみたいなものを多くの人が勝手に決め込んで生きているものだ)は傷つき、頭のいいリベラルへの憎悪を拡大させるのである。それが、安倍晋三という人の支持を押し上げた要因の一つであると、私はずっと思ってきた。まあ、これも私自身のコンプレックスである。

明日の朝の朝ドラ、どう進展しているだろうか。まだ水曜日である。
ツヤさんの事情も気になる。ツヤさんにもいろんな闇があるのだろう。
今まで、鈴子は闇を抱えな過ぎたのだ。抱えそうになると、笑って払拭し、闇についてはなかったことにする。でも、六郎はアホのおっちゃんに、本当の兄弟やないでと言われてからというもの、その謎にずっと向き合ってきた。やはり、闇は無かったことにしてはいけないのかな。あまりに辛い時はちょっと離れてね、、、。

というわけで、なんかだらだら書いてしまった。
論理破綻してるかもしれない。
でも、「ブギウギ」はちゃんと人間のダメさに向き合った脚本を作ろうとしてるってことかな。理屈じゃ説明できない人間の行動よ。

私も早くこうした文章のみで食っていけるようになりたいもんです。
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