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15年前の大きな選択がもたらしたもの

ブランド物を買ったり派手なことをしたりすることとはほど遠いライフスタイルで一度に多額の出費をすることがない私にとって、今から15年ほど前のある支出は、今でも人生ビッグ3に入るものです。

それは、4年半東京で勤めた監査法人を辞めて、自らニューヨークへ飛びこもうとしていたときのこと。アメリカに3ヶ月以上滞在するためには、何らかのビザが必要です。そのため、私は学生ビザを取得することにしたのですが、マンハッタンで一番授業料が高いことで有名な語学学校を選びました。

その値段は、普通の語学学校の3倍以上。コロンビア大学附属のAmerican Language Program、通称ALPと呼ばれるプログラムでした。無職になって貯金を切り崩しての生活の中で、高い授業料は生活を逼迫しましたが、今振り返っても、この選択をして良かったと確信しています。

ニューヨークの街で暮らすことだけを考えたら、もっと手ごろな値段の語学学校へ、ということになったでしょう。では、なぜ私はALPを選んだのでしょうか。それは、ニューヨークの街で「暮らす」ことではなく、ニューヨークの街で「生きていく」ことを選んだからです。

ALPといえば、アイビーリーグの付属の語学学校ということで、バブルの頃など日本が元気だった時代には、芸能人をはじめとして多くの日本人が在籍していたようです。コロンビア大学附属の「語学学校」と言わず、「コロンビア大学」に通っています、と言うと聞こえが良いから、という事情もあったようです。

しかし、当時の私にとって、学校名は関係ありませんでした。英語力をできるだけ早く向上させること、そして、ニューヨークの街で仕事を得ることを2大目標としていた状況の中で、きちんとしたカリキュラムのもとでしっかりと教えてくれる学校に通いたかったのです。そして、様々なリサーチの末に辿り着いたのがALPでした。

ALPの建物は、コロンビア大学のメインキャンパス内にあったことから、現役大学生たちの生活を垣間見れたのも、良い経験となりました

ALPの授業は、先生から一方的に何かを教わるという日本式教育で育ってきた私にとって、衝撃の連続でした。先生は生徒との対話を重視して、授業中は、手を挙げることなく、あちこちから皆が自由に発言したり質問したり。クラス分けテストで振り分けられたクラスメイトたちは、私とほぼ同じ英語力のはずですが、よくそんなにテンポ良く話せるのかと思うほどに発言していました。

授業の内容も奥深く、ニューヨークタイムズなどの新聞記事を読んで、その内容について討論したり、といったことが頻繁にありました。先生が選ぶ新聞記事のテーマは、アメリカの貧富の差、銃社会、同性愛結婚など、米国社会で選挙の票を左右するようなセンシティブな内容が多かったです。この時に学んだアメリカの社会に関する基礎知識は、私がその後アメリカで暮らしていく上での礎となりました。また、母国の大学を卒業した後でのコロンビア大学への編入やアメリカの大学入学を目標としている人たちも多く、エッセイの宿題も多かったです。その時に、アメリカのエッセイは、起承転結ではなく、結論→本文→結論、という構成で、新聞記事もそのように書かれているということを知り、驚きました。

次々に出てくる知らない単語につまづいては辞書を引き、何度も繰り返し読んで文章の内容を理解し、膨大な量の宿題をこなす日々。これだけ英語を頑張っても、ニューヨークで仕事が見つかるという保証はどこにもありませんでした。異国での生活の立ち上げにも苦労しました。しかし、一つの目標に向かって、素晴らしい先生のもとで好きな英語に没頭できた日々は、かげかえのない時間であったことは間違いありません。

ALPに行ったからこその交友関係もあります。最初のクラスメイトは、ウクライナ、カザフスタン、コロンビア、ドミニカ共和国、中国、韓国など、様々な国からやって来ていました。クラスに日本人は私しかいなかったこともあり、仲の良い女性クラスメイトたちを小さな我が家に招いて、和食ナイトも開いたりして、SUSHIしか知らないクラスメイトたちに、日本の家庭料理を食べてもらって交流を深めました。高校を卒業したばかりというティーンエイジャーを筆頭に私よりはるかに若い彼らでしたが、皆それぞれ目標をもってこの街にやって来ていました。こんなに優秀なクラスメイトに出会えたのはALPだからこそです。

初めてのALPのクラスメイト達。中国、韓国、コロンビア、ウクライナの友人たち。

その当時は、毎日をサバイブすることで精一杯でしたが、振り返ってみると、ALPは、語学学校という枠を超えて、私のニューヨーク生活の土台を築いてくれた場所となりました。

リーマンショックの尾を引く中でのニューヨークでの仕事探しは難航し、その後、貯金が底を尽きてしまう前に仕事を見つけられるか心配で、ALPをいったん離れるという選択をしました。授業料が半額ぐらいの語学学校へ移ったのです。でも、授業の質はALPの半分以下。英語力を向上させたい状況の中で、学びがあるかないか分からない場所に居続けるのはもったいないと意を決して、次のセメスターからALPに舞い戻りました。依然仕事が見つかっていない中で大きな賭けとなりましたが、ALPの夏学期が終わりかけた頃、渡米からほぼ1年後、私は念願の仕事を手にしたのです。

私が気に入っている当時の写真のひとつ。
隣はアメリカでの大学入学を目指して渡米していた韓国人のクラスメイト。彼女は厳しい韓国での高校生活に嫌気がさして高校を退学し、大検を取得した後、NYへやってきたそうです。
彼女とは今でも交流が続いていて、数年前にソウルに遊びに行ったときには、素敵な宿泊先を紹介してくれて、街を案内してくれました
ALPに舞い戻った時のクラスメイト。
短期でのNY滞在の人たちも多く、最初のALPとは全く違う新しいクラスメイトたちと出会いました

あれから私は15回目のニューヨークでの秋を迎えましたが、振り返ってみると、ALPで学んだことは、その後の米系企業での仕事やニューヨークでの生活では体験できないものであり、あの時、あの選択をして良かった、と思います。

お金の使い方は人それぞれ。でも、今も昔も、自分の人生を豊かにしてくれるものにお金を使う、という私の生き方は変わっていません。旅行や美味しいごはん、習い事。どれも形として残るものではありませんが、そうした体験や学びは、私の中に大切な記憶として積み重なり、豊かな財産となっています。

コロンビア大学のメインキャンパス内の図書館。
私はこのキャンパスの雰囲気がとても好きで、今でもたまに当時を懐かしんで訪れています。

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お金について考える

2009年に単身NYへ渡り、語学学校から就労ビザ、グリーンカードを取得したアメリカでのサバイバル体験や米国人と上手に働くためのヒントをまとめた「ニューヨークで学んだ人生の拓き方 」がキンドルから発売中です。渡米したい方、日本で欧米企業で働いている方に読んでいただけたら嬉しいです。