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話し合いがこんなに早く役に立つとは思わなかった。 実りある会話は尊い。

人間は食事をとる。
生まれてこの方一回も食事をとったことが無いという人間は、ゼロとは言い切れないがその数は極僅かだと推察する。

かくいう俺は大変ありがたいことに、毎日2~3回の食事をとることが今のところできている。本当に有難いことである。時には夜食も含めて4食とることもなくはなく、さらに幸せであることは間違いない。

何を食べているかによってその幸福度も変わるのかもしれないが、一般的な普通の食事ができるだけでも十分である。豪華な食事ばかり毎日とっていても身体の健康が担保されるわけではない。

食事のとり方は地域でマナーに差がある。日本には日本の、西洋には西洋の、中国、台湾、朝鮮などにはそれらの国のマナーがある。地域によって食するものや料理の仕方、食事をとる環境が違うからマナーに差が出るのは当然だ。

マナーがあるからと言ってそこに住む人間すべてがそのマナーに従って食事をしているわけではないのだが、多くの人がそれに従っているはずである。特に今回がマナーの話というわけではないので、これ以上は触れない。

さて、今日は日本語の英語表現について友人と話をした。英語が不得手な俺が英語が得手な友人に教えを乞うていたのだ。

本当はとっくに知っていなければならないことを、英語嫌いな俺はずっとほったらかしていた。ほったらかし続けていた。ほったらかし続けをずっと継続していた。ほったらかし続けの継続をおおいに推奨して憚らなかった。だがそれではいかんのよなぁ、ということで遅ればせながらやっと重い腰を1mmほど上げてみたのだ。

人類には実にいろいろな物事を得手とする者たちがいるが、その中で自分が今助けを求めていることを得手とする人類がほんの近くに存在するということは俺にとっては恐ろしく幸いなことである、と思う。

それは本当に稀有なことなのだ。

小便をすることを得手としている人類がどれくらいいるか調査したことがないので何とも言えないが、例えば俺が小便に行きたくても行けない状況で困り果てているときに、代わりに小便に行ってきてくれる小便が得手な人類が傍にいる確率は一体どのくらいあるだろうか想像して欲しい。近くにいる英語が得手な人類の存在が如何に稀有なことなのかよく分かるだろう。

さてその英語が得手の人類と食事に行った。
「食事をとる」の動詞は「have」が使える。
I am having Sushi as dinner.

また「eat」が使えるのは言うまでもない。「take」だって使える。
ただ各々でニュアンスが違うから状況によって使い分ける必要がある。

というような種類ことを今日は沢山話し合っていたのだ。
日本語の雰囲気をどんな英単語で表現するのか考えるのは面白かった。

注文を済ませてテーブルで待っていると、250グラムのスコッチフィレのステーキが運ばれてきた。ミディアムレアで焼いてもらった。英語得手氏の選んだソースはグレイビー、俺はマッシュルームにした。フライドポテトと野菜サラダがついている。

ステーキにソースを垂らし、ナイフを入れる。カットしたピースをフォークで刺して口に運ぶ。

旨い。
ミディアムレアよりほんの少しだけ焼きが入っていて、絶妙に俺好みの焼き具合。見事な歯ごたえ、広がる肉汁。至福の時間だ。

幸福に浸っていた俺がふと目を向けると、同時に運ばれてきたはずの氏の料理がすべて皿の上から消え失せていた。

ええええーっ、そんなことある?

魔法でも使ったというのか? そうでなけれはどうやって一瞬で物体を消し去れるというのだ。「目を疑う」とはこのことだ。

今日の話し合いがこんなに早く役に立つとは思わなかった。
実りある会話は尊い。

「食事をとる」には動詞で「vacuum」も使えることが分かった。

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